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纏まらないし繰り返す

昨晩は2時ごろ、今と同じくらいの時間に寝た気がする。

今日は何とか午前中に起きたけれど、結局活動したのは数時間で、食べたのは野菜ジュースと居酒屋のおつまみである。

昨日は22時前まで残業して帰ったけれど、大した仕事もしていないのに、と思う気持ちはある。自分で自分を褒めることができるのは、自分で誇れる部分についてだけだ。誇れないことについて自分で自分を褒めることは出来ない。

他人は気にしないようなちっぽけなことで悩み傷つき自信を失い死にたくなる私は、こんなに生きるのに向いていない人間は淘汰されてもいいんじゃないかと思うことの方が多いけれど、昨晩私が話した彼女は、そんなの他人から見たらちっぽけなことに違いないのだから、気にするほどでもないか、と思うのだそうで、私もそう思えたらな、と思うばかりだ。

気が付いたら歯を食いしばっていることが多い。何も関係ないけど。

歯医者にも行きたいし貯金もしたいし運転の練習もしなくてはならない。

関係ないけど。

学生時代とは違うな、ということをふと思った。家に持ち帰ってまで考えなければならない仕事や課題がない。いつも何かしらの課題に追われ、家でも部活でもバイトでもずっと頭の片隅にあれをやらなくちゃな...と思っていたけれど、今はそんなことはない。仕事のことは家ではできないからだ。

いつか家でも仕事のことを考えなくてはならない日も来るのだろうけど。

仕事とは、とか考えるより前に、生きるとは、とか考えてしまうからいけない。めんどくさい。なんで私はこうも面倒くさいことばかり考えたくなってしまうのだろうか。人間なんてかけらも面白くない。

推しが増えた。新しい才能ある人間を覚えて彼らの歌やダンスを眺めるのは楽しい。彼らが幸せであれば良いな、と思う。どうか彼らを脅かすような存在がいなくなって、彼ら自身の苦しみや悩みに向き合うことはあっても、他の何かから与えられる苦しみがなければいいと思う。どうか幸せに生きてくれ、と、そう願うほかない。

オタクしてるときは楽しいんだけれどなぁ。

ずっと楽しいことを考えていられたらいいのに。私の脳みそはなんだか苦しいことばかりを考えてしまうみたいで、どうにも自分で自分を苦しめる節がある。私は私が幸せに生きてはいけないとでも思っているのだろうか。

そうかもしれない。

今ある幸せに気づけないうちは、他の幸せを求めてそれにすがろうとすることは罪であるかのように感じてしまう。めんどくさい性格をしている。

自分に正直に生きているけれど、正直すぎる自分にも飽き飽きしていて、私の中には常に相反する気持ちがある。だから私には私の芯がないし、一貫性なんてものもない。あるとすればそれは、一貫性がないという一貫性である。

以前はもう少し読み返しても大丈夫そうな文章を書いていたような気がするけれど、最近はインプットが足らない。自分の中にある言葉しか出てこない。もっとちゃんとした文章が書きたいのに。いつも考えてることなんてほとんど一緒なのに、それについてばっかり考えてそれについてばっかりの日記になる。

大層な人間にはどうせなれないのだから、こんな人生、終わらせたってかまわない、と思う。なぜなれないと思うのかといえば、大層な人間になる為の「頑張る」をしたくないからである。したくないのが分かっているから誰かに強制的にさせられない限りやらないこともわかっているし、誰かに強制されてやる努力は身につかないから意味がないことも知っているから、私は何にもなれないまま死んでいくのだ。

何者にもなれないものが死ぬべきだと思っているわけではない。私という人間がそうなれないなら死んでもいいと思っているのだ。最近は薄々気づいてきたけれど、こういうことを考えているということは、私は本来大層な人間になりたいと思っているのだろう。だからなれない自分に、なろうとしない自分に絶望しているのかもしれない。

私は私で、私しかいないはずなのに、私の中には相反する考えが多く渦巻いていて、それはどうすることも出来なくて、ずっと結論を出して決意して覚悟を決めて行動するということから逃げ続けている気がする。

なんとなく、こういうことを考え始めた13歳とか、そのあたりから、ずっとそういう決意だとか、覚悟だとか、そういったものから逃げ続けているという感覚がある。それよりも前はそんなことあんまり考えていなかったけど。

頭が痛いし眠い。

確実に言えることは、私にはもっと向いている仕事がある、ということだ。しかし私にはその向いている仕事を探す気がない。お手上げである。参った。降参だ。

寝よ

2022.02.20

愛する推しジョンウ、Happy Birthday

とりあえず日記187