実感とは????
社会人になって4日、実感はない
そういうものだろう。生まれてこの方、何かしらの変化に対して「実感」なんてしたことない。中学生になる時、高校生になる時、大学生になる時、進級する度、卒業する度に、自覚がどうとかそういうことを言われてきたけれど、私の感覚はずっとふわふわしている。自覚も何も私は私で立場や学年が変わったところで何も変わらないことを知っていた
だからここまでずっと「実感」なんてものとは無縁の時間を過ごしてきた。実感ってなんなんだろう、と思ってコトバンクで調べたこともある。いまいちピンとこなかったからなんて書いてあったかは覚えていないが。それくらい実感というものがなんなのか私には分からない
自覚はある。スーツを買ったり、姿勢を正したまま誰かの話を聞いたり、社章をもらったり、今までの新生活とほとんど変わらない流れを経験しながらも、「ああ、また変わったのだな」と、そういう自覚はあるのだ。実感が伴わないだけで
4月1日という日付や、スーツを着て電車に乗る朝や、初めましての人と話す事が、今までの環境と異なっていることを私に自覚させる。しかしそんなことはこれまでにもあったのだ。4月1日という節目の日付も、新しい制服を着て知らない誰かと仲良くなって行く経験も、これまでにも確かに経験したものなのだ。だからだろうか、変わったのだな、という自覚しかない。社会人なのだ、という自覚はいったいいつから感じるのだろうか
これまでにも部活という組織に属していたから、組織の一員としての行動、みたいなものはなんとなくだが意識させられていた。自分一人の行動によって大きな何かが動く可能性を自覚していた。だから今更会社という組織に入ったところで意識としては変わらないような気もしている
でもここまできて思ったのは、自覚はしないといけないんだろうな、という事だ。いくら学生時代とほとんどデジャヴの様な流れの新生活を経験しているからといって、学生と社会人ではやはり何かが決定的に異なるのだ。それは「責任」というよく分からないけれども確かに存在する何かだったり、「賃金」というこれまでには無かった自分の時間ではなく成果に対する報酬というものだったり、そういう何かが決定的に異なるのだと思う
今のようなフワフワした気持ちではきっと私は今までのように遅刻したら失敗したり物事をギリギリまで後回しにしては苦しむのだろう。変わろうとしなければ人は変わらない。誰かが変えてくれる事はない、自らで奮起して変わるしかないのだ。変わるというのは非常に大変だけれども、それを後回しにしても苦しい時に変わらなければいけなくなるように思う
社会人として生きていけるだろうか、人間らしく生きられるだろうか、生きてるの楽しいって思えるだろうか、変われるだろうか
2021.04.04
髪はどうにもならなかったので切りました
とりあえず日記156