願わくは私の不幸を
起きた。昼過ぎだった。ランドリーに行った。部活に行った。後輩と話した。だいたい今日はこんな感じ
私はいつも独りよがりだ。1人で喋るし1人で考える。1人でできることなどたかが知れていると言いながら、1人でなんでも出来るかのように振る舞う。ひどく愚かで、目も当てられない
1人でなかった事がない、訳ではない。人類皆一人論を唱えながらも私は一人ではない。両親も兄妹も友人もいる。一人ではない。しかしなぜ一人だと感じるのか、なぜ一人だと言い張るのか
やはり本質的なところで私は常に一人なのである。誰かのことを考えられないのである。考えているつもりで考えられていないのである。結局は常に自分のことばかりが頭にある畜生なのである
自分を卑下することは何にもつながらない。けれども自分を卑下するしかない夜もあるのである。なぜなら私がこういう考え方を捨てられず、かつ、若干のエチルアルコールが体内を巡っているからである
自分を卑下することで自分を許しているつもりなのである。自分はこんなにも駄目な人間なのですそんなことはわかっているのですこんなにも私は自分が屑でどうしようもない人間であることは分かっているつもりなのですから、どうかお願いだから私を攻撃などしないでくださいと嘆願しているようなものだ
そうしていながら、人の事はすぐに見下しすぐに攻撃して誰かの嘆願など、そんなものは知らない見えない聞こえないと言って蹴散らして自分のために発言を繰り返すのである。それが私である
とんだクソ屑ゴミカス野郎である。ネガティブポンコツクソメガネなどという可愛らしい言葉で言い表すには値しない。もはやこんなものは存在しないに等しい。存在しないべきであるのだ
うわぁ、クソ病んでる人やん恥ずかしい
病み散らかした後はやはり恥ずかしさが襲ってくる。自分で自分を卑下し貶める行為などただの自己満足の塊である。そんなことをしても何にもならない。そんなことで許される罪ではない。自分を貶したくらいで罪の意識を軽くするな
自分はこのままで良いのだと思うのと同じくらい自分を卑下して貶めることは傲慢であると思う
しかし私はいつだってそんなことを考えている
だから駄目なのである
こんな人間が生きていて良いのだろうか。誰かが死ぬと誰かが悲しむ、ひどく悲しむということは分かっている筈なのに、分かっている筈なのに、すぐにこういうことを言い出す。親が死んだら私が泣くように、私が死んだら親が泣くのだ
無闇矢鱈に死にたいなどと言うべきではない。それなのにすぐにそんなことを考えて口に出す。本当に、とんだクソ屑ゴミカス野郎だ。1人で死ねばいい。皆が寿命を全うし幸せな最期を迎えたのちに、1人寂しさを持て余しながら、いつ死ぬのか分からない恐怖に怯えて誰にも看取られずに死ぬがいい。それが私に相応しい最期であろう
葬式など要らない。成仏など必要ない。私の存在などは死んだらもう何処にもないのだから
早く死にたい。願わくば、辛めに死ね。私よ
2020.07.17
病んでそうな写真。夜に撮ったからちゃんと写ってない写真
とりあえず日記42