自分を可哀想がるのはやめなさい

人間、病んでいる時の方が筆が進むのは何故なのだろうか。私だけだろうか、いや、そんなことはないはずだ

寝坊した。遅刻した。簡潔にいうとこういうことだ。グランドスラム達成である。まぁ、ずっと危ない橋を渡っていたし、遂に…というか、まぁそうなるだろうな、という気持ちではあるが

遅刻のなにが嫌かって、あぁあの人遅刻したんだな、の目線だ。これはまあ手慣れたものなので適当に躱すけれど。堂々としていることが重要だ。事情を知らない人にわざわざ弱みを見せることはない、だろう…事情を知っている人にはなんだこいつと思われるかもしれないが。そういう人たちには反省している姿勢を見せる他ない

ああもう面倒くさい面倒くさい。何もかも面倒だ。生きているのも朝起きるのも部活に行くのも人と関わるのも。私が生きていなければこんなこと起きないのに。とまあ、何もかも私が悪いのに、こうやってすぐこの世に生を受けたことが全ての原因かのような思考を巡らせる。違うんだ、私が生きていることが原因ではないのだ、私がいつまで経っても意識を変えないのが悪いし、何回遅刻しても次はないだろうなんて甘い考えのまま夜更かしを繰り返して生活リズムを乱し、目の前にある快楽だけを求めるからこういうことになるのだ。一度、いや何度も遅刻しては怒られて反省した筈ではないのか?一度犯した失敗をこうも繰り返せば同期も後輩も呆れかえるほかない。彼らもどうすることもできないのだ

遅刻の何が嫌かって、そう、怒られるのはまだいいのだ、私の気持ちの持ちようでなんとかなるから。なにが嫌かって、怒られる時間をわざわざ取って貰わなければならないことだ。人様の時間を自分の失敗のせいで無駄にしてしまうことだ。それが嫌ならちゃんとしろという話だが

こんなことを言いながら、どうせ、他人のことなどかけらも気にしていないし考えられていないのだろう、私は。だってそうじゃなければこんなに遅刻を繰り返すことはない。人の迷惑や人の時間を取ることに申し訳なさを感じるのは事実だが、本当のところ、ああ面倒だ、としか思っていない

これが私の本質だから改善されない。このままこれを繰り返して社会的信頼を失い言い訳しながら1人で死んでいくのだろう。可哀想な人間だな

そんなことを言いながら可哀想な人間になるつもりなど毛頭ないところも本当に気色が悪い。可哀想な人間だと言って自分を貶めることで自分を慰めているだけなのだ。何にもならないこんな文章

前にも書いた。なにも変わっていない。すぐに自分を貶める。貶めることで許されようとする、そんな事は誰にも届かないしなんの効果もないというのに。ただの自己満足の行為なのに。こうやって私は遅刻するたびに自分を叱咤するフリをして貶め、反省した気になって甘やかしていたのだ

本当に反省して自分を叱咤しているのなら、生活習慣が変わっているはずである

この世は地獄だ。地獄だが、私の場合、自分で地獄へと足を進めている。地獄じゃなくする事だって出来るはずだ。一瞬現れる蜘蛛の糸に夢中になり、地獄から本当に脱出しようとしていない。蜘蛛の糸では幸せな場所までは登れないというのに

幸せになるための苦労や努力をしないから、私はいつまでも地獄にいるのだ。出ようと思えば出られると思っているのだ。そんな傲慢さを甘やかしているからずっとこのままなのだ。じゃあどうする、どうすれば地獄から抜け出せるのか、それを考えないでとりあえずのその場しのぎに必死になっているから変わらない。こんな自分のままでいいのか、嫌に決まっている!と言いながら目の前に飴がぶら下がっていれば、奥にある地獄のことなど考えずに食べてしまう、それが今の私なのだ

どうすればいいか?そんなことはわかっている。だって昔、私は遅刻したくなくて必死に生活リズムを整えようとしていたのだから。0時までに寝る。寝る前に携帯を触らない。0時すぎて帰った場合にはすぐに寝る、あと目覚まし時計を買え。今すぐに

服買う前に目覚まし時計買えや

2020.09.19

とりあえず日記87