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顔色を伺うこと。

昔から人の顔色を伺うクセがある。
それに合わせて空気を感じ取ることもクセになっている。
「本当の自分は?」とか「闇が深いよね」と言われることもある。

先日、嗅覚診断を試させていただき「あなたはこういう感覚の人」とズバリ言い当てられ、思い当たる節しかなく、恥ずかしくなった。
同時に、久しぶりに”内に秘め続けている「自分」”と再会した気がした。
そして、そっと自然と蓋をしようとした。

でも、なんだか蓋を締めきれず、
「イベントもひと段落したし、もうちょっと一緒にいてみるか。」
なんて思っている。

眼鏡は自分にとって必要不可欠なもの。
実は、眼鏡がないと1メートル先の文字も読めないくらい目が悪い。
合わせて乱視もあり、本当は眼鏡を常にかけていないと本当に見えない。
いつも眼鏡をしていないのにはちゃんと理由があって
「相手の表情、視線、眉間の動き、所作」など見えすぎてしまうと
辛いからだ。

機微に感じ取る自分を隠し、相手を分別しない為に眼鏡をはずしている。
人の考えを察しすぎてしまい、空気感で感じ取ることがイヤだから。

でも、嗅覚診断を受けてから”内なる自分”に蓋をしない日に眼鏡をかけたら
今まで気にしていた”空気感”がなくなった気がした。不思議。
なんだろうか?もう少しだけ自分と向き合ってみるか。
なんて、カッコつけて考えてみる。

社会人になって10数年。誰かに合わせて、誰かとの歩調を乱さず。
誰かが出した命令に従い生きてきた。
隠す事が平穏であり、「皆もこう思っているはずだから。」という言葉を
自分に言い聞かせ続け、隠してきた部分を36才になってやっと共存する覚悟をしてみる。

ただ、眼鏡をかけ続けた日の眼精疲労対策が急務だ。

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