キャリアブレイクします
※2024年2月20日(火) X(Twitter)投稿(50週目)
”我慢=頑張り”じゃない
人事部に相談したのは2022年12月。「上司が変わるからもう少し様子を見たらどうか」という返答だった。「業務変更か異動を検討してほしい」という私の声は、上司の判断で部長には伝えられず止められていることを後で知った。反論したり、部長に直接進言する気力はなかった。
4か月後、とにかく楽になりたくてクリニックに行くも、ネガティブ思考は薬ではどうにもならないと聞いて、じゃあ休もう、もう休もう、1回休もう、とやっと決断することができた。
残業は月に数回で、それ以外は定時で帰ることができる。業務が多いのではない、ただただ私が苦手な仕事だった。わからない・できない・人よりできない・遅い・どうして・どうして、とずっとぐるぐるしていた。
理解していない資料に捺印するのが嫌だった。大勢の前で毎月発表報告して、質問されて答えられないのが怖かった。
頭痛が止まらなくて4時間おきに市販薬を飲んでいたけど仕事はこなせるし、涙が出て、とか、朝どうしても起き上がれない、ということはなかった。
丈夫に産んでくれた両親に感謝すると同時に、「どうして決定的に休まなければならない症状が出てくれないんだろう」、とも思っていた。もうぐちゃぐちゃだった。
スムーズにいくよう配慮して、問題ないようみっちり準備して、でも「私がやったんですよ!」とか何も言わずにいたら、本当に何もないと思われていた。
私の頑張りは私の記憶の中だけ。行き場をなくして、今にもあふれそうだ。頑張ったんだけどな。役に立ちたかったなぁ。
独りよがりで私の受け取り方次第。だから厄介。
変えていく人、目立つ人が評価されるここには、やりたいことも行きたい部署も一緒に働きたい人もいない。「それだけの給料をもらっている」と、報酬と引き換えにできていたら、そもそも休業を選んでいない。
その我慢は期限がちゃんとあるか?
何かと引き換えにする我慢、終わりがない我慢じゃないか?
私が我慢しなきゃいけないって、誰が決めた?
耐えたそのあと何が残るのか?
我慢=頑張りじゃない、決してない。
2023年4月から3か月の休業を経て復職。以来ずっと考えていた。
そして今日、私は退職の意向を伝えた。1年前は「最後の手段」と思っていたけど、今は「最初の」とか、「ここから」のような気持ち。これからどんなにお金に困っても、この判断はきっと後悔しない。
私の本質的なところは何も変わっていない。昔からこうだった。簡単には変われない、それをまるごと引き受ける。自分を大切にしたいし、自分を大切にしてくれる人と仕事をしたいと思った。
振り返ると、悩み始めてから2年と6ヶ月、過ぎていた。
今の私に必要だったなんて、1ミリも思わない。もう二度と味わいたくないし、思い出したくない日々だった。
同じような境遇にいる人のしんどい時間が、1分1秒でも短くなることを願って。
2024年2月20日
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