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DTMはしんどい趣味である
先日note上で「他に良い趣味が見つからず、仕方なくDTMをやっている」といった旨の記事を書いている方を見つけた。
例えるなら「まずい食品しかないが、腹は減るのでやむなく一番マシなものを食べている」という感じであろう。
この方の記事を見て「確かに」と共感した。振り返ると、DTMほどしんどい趣味も中々ないのでは、と思う。以下に思いついたことを羅列する。
・お金がかかる
現在はフリーソフトでもいいものがあるため昔ほどではないが、それでもスピーカーやオーディオインターフェイスなど、最低限の物を揃えるには4、5万円はかかる。PCを勘定に入れるなら、初期投資は趣味の中でも高額の部類になるだろう。ソフトやハード音源、周辺機器など、本格的に物を揃え出したら青天井である。3桁万円使ったという話もネット上ではよく見かけるし、理解もできる。
・時間がかかる
音符を打ち込む、いわゆる「制作」の時間もそうだが、音の確認や調整に非常に時間がかかる。楽曲や調子にもよるが、制作3:調整7くらいの比率ではないだろうか。2:8でも別に驚かない。
また、作曲ソフト上で作ったデータを実際の音声ファイルに落とし込むのにも時間がかかる。出力後に気になる点が出てきた場合、再度修正して出力という動きを複数回繰り返すこともある。
他にもずっと調整作業を行っていると耳が鳴れるため、回復のための休息に時間がとられる点も挙げられる。
・時間の進みが速い
これは上にも通じるが、制作を続けていると体感よりもかなり時間が経過していることが良くある。社会人の休日でこの現象が発生するとかなりしんどいものがある。
・体への負担
パソコンの前での作業になるため、ずっと座っており、目も酷使する。もちろん耳も。
また、気づくと意外に神経が張り詰めており、自律神経的にも負担はかかっているように思う。私自身実際に(DTMが原因とは断言できないものの)体調を崩したこともある。
・決して「爽快」というものでは無い
確かに楽曲が完成した後で聴くと達成感はあるが、どちらかと言うと期末テストが終わった後のような感覚である。「ようやく終わったか・・・」という感じ。運動系の趣味ではこの感じはあり得ない。
・リターンは皆無
ここでのリターンはお金や他者の反応などを指す。
ぶっちゃけ、この音楽があふれる時代にわざわざ素人作品を聴く人はいない。絵やイラストはネットに上げたり、究極どこか街中に置いておけば「見られはする」が音楽は聴くのにどうしても場所(たとえイヤホンの中だとしても)と時間が必要になる。ただでさえ聴かれない上、一曲通して聴かれる可能性は天文学的小ささであろう。
よほどの人気者か徹底して受け狙いの人物、あるいは豪運の人物以外他者からの反応はほぼ無いといって良い。無論、お金に繋がることもまず無い。
言ってしまえば金・健康・時間、多大なコストをかけて誰にも聴かれない曲を作る訳である。他者ありきのリターンを求めるならば、DTMは期待外れそのものである。
私自身このような事情を踏まえた上で作品を作り、公開している。すなわち「何となく作りたくなり、作ったからには一応世に出している」というだけである。
まぁざっと挙げるとこんなところか。何と言ってもリターンが皆無というところがポイントだと思う。
私も一時ほどはDTMに時間を割かなくなったが、今後も無理のないペースで、気が向いたときに触れる程度にしようと思っている。
なお、前回の記事を書いている時に気づいたが、DTMにも1つだけメリットがある。
それは「自分自身の曲が聴ける」という点である。
昔作った自作曲を聴くと、「意外といいなぁ」「よくこんなの作ったなぁ」「あの時はこんな状況だったなぁ」など、独自の体験ができる。自作曲からしか得られないものがあるのだ。
再度書くが、他者ありきのリターンを求めるならば、DTMは期待外れそのものである。自分のために捧げる曲を作るという頭で制作を行うならば、多少はやる価値が出て来るかもしれない。