「特例人物」が目に付きやすい時代
ネットの発達により、以前にも増して有名人、〇〇名人、凄腕が目に付きやすくなった。
例えばYouTuberは好例である。ヒカキンや東海オンエアなどの有名YouTuberはチャンネル登録者数も多く、多くの人の目に留まっている。
Xでもちょっと検索すれば神絵師と呼ばれる人物が多数目に留まる。
ギターがあり得ないほど上手い人物もネット上では全く珍しくない状況だ。
このような人物は、実際にはかなり少数の、いわば「特例人物」と言える。ネットの発達でこのような特例人物にアクセスしやすくなった結果、「親近感」と「難易度」にかなりの乖離ができてしまったように思う。
どういうことかと言うと、例えばXで(自称にはなるが)東大生・卒業生ばかりフォローしたとしよう。おそらく相当人数をフォローできるはずだ。この状態でしばらくXを眺めていれば、東大関係者を身近に感じ、あたかも入学難易度が下がったかの様な錯覚を受ける。このような現象が方々で起こっている。
別の言い方をすると「ガチ勢が目に留まりやすくなった」のである。
ネットが無い時代でもこういう人物が目に留まることはあっただろうが、ここまでではなかったはず。
確かに、ガチ勢が目に留まるおかげで、ネット普及以前では手に入らなかったようなコアな情報が手に入るようになった。これは計り知れないメリットと言える。
同時に、親近感からその道を目指す難易度を錯覚してしまい「思ったよりうまくいかないぞ」と多数の特例人物と自分を比較し、プレッシャーを感じている人物も増えているのではないかと思う。前述のように情報が手に入りやすくなったため、競争が激化しているのも難易度上昇に拍車をかけているだろう。
このような時代ではいかに自分の心の動きに気を配るかが重要になる。
つまり、良い情報は取り入れ、いらない情報・感情はポイする心持ちが肝要になってくる。
言い換えると、「いかに上手に比較するか」「いかにポジティブに比較するか」がとても重要なのである。
また、運の存在もしっかり理解しておく必要がある。例えば有名YouTuberになりたいとして、どうしても運が絡んでくる。(一定のクオリティがあるのは前提として)動画が受けるのも運だし、もっと言うと家庭環境や自分の性格も運の産物と言える。究極「努力できるかどうかも運」だと私は思っている。
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脱線するが、「努力できるかどうかも運」という説について補足しておきたい。
例えば「いや、私は自分の意志で頑張って努力したからうまくいったのだ。運の訳が無い」という発言があるとして、
そもそも(良かれ悪かれ)努力が続く環境があった、性格が向いていた、タイミング良く特定の分野に興味が出ていた、学力があった、家族の理解と支援が得られた、周りに好人物が居たなど、よくよく見てみると運が絡んでいることが分かる。要は広く見れば全て運ということになる。
ただし、「じゃあ私は運が悪かったから努力しない」というのは極論で、これはこれで悪手になるのは目に見えている。やれることをやれる範囲でやる。これは現実的に重要である。なお、無理を継続するとダメージもデカくなるため、上手にブレーキを踏むのも肝要だ。
何か思い通りにいかないことがあっても、適度に運のせいにして精神状態を健やかに保ちつつ、前に向かっていくのが良いだろう。
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正直上を見たらキリがない時代である。無意味な他者比較はせず、いかに自分自身の納得を追求していくが肝要だと思う。結果的に、気づいたら結構遠くまで進んでいることだろう。
AIの発達も目覚ましい。他者ではなく、自分自身にフォーカスしていく時代は今後も深まっていくだろう。
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