オーディオはプラシーボを楽しむものである
オーディオの世界にはオカルトがある。
たっかいケーブル(10万を越えるケーブルもあるのだ。ただの電線なのに)を使う方が音が良いとか、真空管アンプの方が音が良いとか〇〇のメーカーのアンプは音が良いとか・・・
確かに、高級品は性能が良いという面もある。が、各種の情報を見ると案外廉価品でも性能自体は高級品と変わらないものも多いらしい。
車で例えると片や見た目フェラーリ、片や普通の車、でも中身は一緒でした、という感じである。
「性能が一緒なら普通の自動車で良いじゃないか」という考え方もあるし、実際それは間違ってない。ただし、この場合プラシーボの威力を軽く見積もっていると言わざるを得ない。病気が治る程の力がプラシーボにはあるのである。
論理的な「性能」と非論理的な「プラシーボ」の二足のワラジがオーディオの肝なのである。これはインテリアや楽器などにも合てはまる話である。
例えば、自分でアンプやスピーカーを作り、音を測定して一定以上の性能が確認できれば、そのかけた手間の分いい音がする「気がする」わけである。この「気がする」という点に価値がある。
しかし、これは同時に危ない面も孕んでいる。ケーブルを変えると音が変わるという話があるが、これは「ケーブルを変えたことによるプラシーボ」の影響を受ける訳である。気のせいと言うことを頭に置いておかないとプラシーボの海に飲み込まれてしまう。何事もバランスである。
(なお、余りに性能の低いケーブルから交換すると実際の変化もあるだろう。あくまで一定の性能以上の世界の話をしている。念のため追記しておく。)
性能とプラシーボ、どっちも見ながらオーディオはじめ各種趣味は楽しんでいきたいものである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?