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のらねこ、常識の破り方というものを具体的に教えてもらいたい

“常識を打ち破れ!”
“常識にとらわれるな!!”

と人はよく言いますが、でも常識の破り方のノウハウが共有されることはほとんどいません。
実際には、常識を打ち破るのは口で言うよりめちゃくちゃ難しいからです。

なぜ難しいのか。
それは人が常識だと感じているものが、 “今まで得てきた知識の総括” にすぎないからです。

過去に自分が得た知識を正しいものと仮定して、
「これ と これ は正しい」⇒「ならばこれが正しいはず」
という推論で常識は作られています。

ゆえに過去に得たあらゆる知識の全てを正しいもの仮定すると、今のあなたは完全無欠の完璧ということになるのです。
ただその前提となる知識が、実は間違っているかもしれないし、それを確認することは必ずしもできないだけで。

だとするとやはり常識とは、打破できない絶対の壁なんでしょうか。
常識に捕らわれない人になるなんて、そんなのしょせんは夢物語なんでしょうか――?

皆さま、いつもお読みいただきありがとうございます。
あるいは初めましての方、久しぶりの方もお会いできてとても嬉しいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

生きているのがどうにもツマラナイ。楽しいことがない。
いつもそんなふうに考えてしまう人に足りないのは、突発的なラッキーではありません。
“目標管理スキル” です。

目標を追いかけないから生きることを楽しめないのだし、目標が叶わないから目標を追いかける気にもならないのです。
だから目標管理を覚えれば、人生はいくらでも楽しく好転します。
この のらねこに何ができる? は、目標管理とはかくあるべきかを皆さんに知ってもらうべく、僕が自分で計画して自分で成しえてきた様々なことを、なるだけ面白く書いてお届けする内容となっております。

過去のバックナンバー


常識の破り方1. あえて少数派になる

かつて日本には、“冷蔵庫は内側からは開かず、入ると閉じ込められて餓死する” という迷信がありました。
とりわけ僕が小学生の頃、近所の人はほぼ全員この迷信を信じていました。

この話は、かつて日本で実際に起きていた事故が根拠となっています。

かつて冷蔵庫は、写真のようにロックのしっかりしたタイプが主流でした。
ですので子供が興味本位で中に入った際に誤ってロックがかかってしまうと、当然ながら内側からは開かなくなってしまいます。

このタイプのカギを内側から開けられるんかって話

そのため、ほどなくして日本の冷蔵庫は徐々に磁石式に切り替わっていきました。
もちろん、内側からでも開くように、そう変えたんです。

でも当時、日本人の教養レベルはそれほど高くありませんでした。
『冷蔵庫は内側からは開かない』という話が過剰解釈され、

  • ロックの種類に関わらず

  • 冷蔵庫は内側からは絶対に開かないように

  • 作為的に作られている

と信じてしまう人が続出したんです。

僕が知る限り、近所の人達は大人も子供もみんなこの話を信じており、加えて『冷蔵庫は内側から音が漏れないようにも意図的に作られており、子供が閉じ込められると周囲の大人が気づくのは不可能である』といった、どう考えても荒唐無稽な話を本気で語る人もいました。
もちろん大人も。

この迷信が一般的に信じられていた最後の時代が、だいたい昭和50年代くらい。
現代人である僕らであれば、この話が迷信であることを知っています。

なら、タイムマシンに乗って当時へ行けば、冷蔵庫は開かないものなのだという当時の常識を打ち破り、迷信だと納得させることができるでしょうか?

直感的には、こうした種類の迷信はロジカルに丁寧に説明すれば、簡単に打ち破れるように感じます。
ですが個人的に推考するときはそれでよくても、それをみんなに信じてもらえるかは別の話。
ロジカルな説明では、信じない人は決して信じません。

なぜそう言えるのか。
それは、『磁石式ドアは、内側からも開くようにするために生まれた』という冷蔵庫の歴史が十分に知れ渡ったのは、迷信を信じていた人達の時代よりもはるか以前のことだからです。
磁石式ドアが普及して何十年たっても、冷蔵庫は内側からは開かないとずっと信じ続けた人が、長期間残っていたのです。

いや、
これは違いますね。
厳密には、冷蔵庫は内側からは開かないと、みんながみんな本気で信じていたのではありません。

『周りの人はみな、冷蔵庫が内側からは開かないと信じている』と考えている人がたくさんいて、自分もそう信じているかのように振る舞う人がそこそこの数いたんです。
実際には大部分の人が、冷蔵庫が内側から開くことをちゃんと知っていたにも関わらず、です。

人の気持ちそれ自体はロジックでは紐解けないものですから、こういう種類の常識をロジカルな説明で打ち破ることはできません。
でも、ロジックそのものは非常にシンプルですから、自ら少数派の側に立つだけで簡単に常識破りができます。

「ドアが内側から開かないってことは、くっついた磁石が引っ張っても取れないって思ってるってことだよ? それ、本気で信じてたらアタマ相当アレだよ? 君は本当にそっち側でいいの?」

そう。
ロジックをロジカルに説明するんじゃなくて、ロジックを感情に訴えかけるんです。
そして最後に、

「本当は分かってるんでしょ?」

と相手の味方になってあげるんです。
もちろんケースバイケースだから、ロジカルな方が信じられる人には普通にロジックを語った方がいいんですけど、感情論でしか語り合えない人にはそういう説得の仕方のほうがいいこともあるってこと。

これも、常識破りのやり方の1つです。

常識の破り方2. 常識が変わる前の常識を学ぶ

料理をなさる皆さん。
野菜を切るとき、手を “猫の手” にされているでしょうか。

野菜を切るときは猫の手。
これが常識とされています。

猫の手

でもこの猫の手ですが、実は形自体が昔と違うことをご存知でしょうか。

上記のような手をまん丸く握るタイプの “猫の手” は、昭和時代に猫耳少女を主人公としたアニメが流行して以降に生まれた、新しい握り方です。
それ以前は『猫の手』といったら普通こうでした。

昔の猫の手

指と爪をまっすぐに立てています。
昭和の古いゲゲゲの鬼太郎では、妖怪猫娘の手の形もこちらで描写されています。

実際に料理をするときも、食材をしっかりホールドするためには古い持ち方のほうがやりやすいはずなんです。
ですが「料理は猫の手」という言葉尻だけが伝承された結果、変化した新しい方の猫の手握りをする人が増え、その人達が新しい方にすっかり慣れてしまった結果、古い方はやがて駆逐されてしまったのでした。

、、、、、、と、一部の人は思ってるかもしれませんね。

料理をするときの猫の手は、実は現在でも古い方が主流です。
ただ、主流派であるはずの古い型を使う人達の多くが、「分かっちゃいるけど猫の手は怖くてできない」と認識しているだけなんです。

いやいやいやww
あんたの方が正しいんやでwww

こういったことは、昭和時代の古い本を読むなどで知ることができます。
情報というのは常に新しい方が価値が高いと思われがちですが、あまりにも度を超して古すぎる情報は、一周まわって逆に価値が高まってる例もあるってこと。

たまには、古い本も読んでみてはいかがでしょうか。

常識の破り方3. 本来の目的を振り返る

かつて、体罰が当たり前のものと認識されていて、それどころか体罰という言葉自体が存在しなかった時代。
何か悪いことをした女子高生を、担当教諭がトラックの荷台に閉じ込めて殺してしまう、という事件がありました。

全国的にかなり大々的に報じられたニュースなので、当時を知ってる方は「もしかしてあれかな?」くらいの記憶はお持ちじゃないかと思います。

聞いたところによると、この被害者の女の子は、「ごめんなさい、ごめんなさい」という手紙を泣いて書きながら亡くなったそうです。
この女の子の罪状はたしか、、、記憶がはっきりしませんが、宿題か何かを忘れたことだったんじゃなかったかと思います。

ただし、この事件に関して何より恐ろしいと僕が感じていたのは、この犯人の先生ではありませんでした。
ニュースの報道に関わっていたコメンテーターの人達の方が怖かったです。

当時は、、、、どれくらいだったかな。
僕が小学3年生だか5年生だったか、まぁ、それくらいだったと思います。

全国テレビに出るような社会的影響力の強い人達が、『生徒の命を奪いかねない危険な体罰は是か非か』なんて答えの分かり切った議論を、本当に大真面目な顔でやっていたことです。
正直、殺人犯の先生よりもこの人達の方が怖い、と思った覚えがあります。

僕は小学校の低学年のとき、特定の児童を目の敵にしてイジメ抜くタイプの担任に当たったことがあります。
周囲の大人が誰も助けてくれなかったこともあって、大人は流されるとどんな酷いことでもするってことを、身に染みて感じられる立場にありました。

それゆえに、『教育のためなら体罰は仕方ない』という立場をとる人達が、殺人鬼の先生なんかよりよほど怖かったんです。
その人達が「しょうがないね、教育のためだったんだもんね」と一言いえば、当時の僕は文字通り死ぬしかない立場に実際にいたからです。

次の日以降も引きこもりもせず平気な顔して通学できていたのは、単に当時の僕が割とニブいタイプの子供だったからにすぎません……。

、、、はい。
トラウマ話の掘り返しはこのへんにしとくとして、『体罰くらい当たり前』という空気が蔓延する社会で、「実は体罰ってよくないことなんじゃないか?」と気づくために、当時の人達はどうすればよかったのでしょうか。
無論、当時は 体罰 という言葉自体がありませんでしたから、誰かに口頭で注意してもらうのも無理です。

実際には、体罰が悪いことだという空気が蔓延しだしたのは、インターネットが普及し始めて被害者が声をあげられる社会が生まれた頃です。
事件から実に10年以上が経過してから、なおかつ、徐々にです。

事件当時はインターネットなんてないどころか、その手前の 草の根ネット すら流行っていない時代でしたからね。
被害児童が、大人の味方なんて誰もいない状況で社会全体に声をあげるなんて、絶対に不可能でした。

そんな制約の大きな社会となると、常識破りはやはり不可能?
まぁ、難しいことには変わりないでしょうね。

これももちろん「今となっては」論には違いないのですが、当時の人達に常識破りをするチャンスは実はあったんです。
ただ、その方法論が当時は知られていなかっただけで。

それが “そもそもの目的に立ち返る” という方法。
そういう発想の仕方は、当時は方法論としては確立していませんでした。

おそらく犯人の先生は当時、生徒の忘れ物があまりにひどくて、精神的にエキサイトしていたのかもしれませんね。
反省を促すためにトラックに閉じ込める、って方法をとってしまいました。

でもよくよく考えたら、本来やりたかったのは “子供を反省させること” でしたっけ???
違いますよね。

“忘れ物を防ぐこと” じゃなかったんでしょうか?
子供に反省させるのは、本人ができないから結果的に必要になっただけで、本来は “忘れ物を防ぐ” ことが目的だったはずです。

当時、日本人の考え方としては「忘れ物は本人の意識の問題であって、気合いがあれば防げるもの」という考え方が一般的でした。
だからこそ先生は、忘れ物をしない方法を一緒に考えてあげることもせず、本人に個人的に反省させるという無意味な手段をとってしまったのです。

その結果、子供が1人、かなりむごたらしい死に方をしました。
多分この事件の影響もあると思うんですけど、僕は現在でも子供が残酷な目に遭う系統の物語が大嫌いです。(たとえば鬼滅の刃といったような)

ですが本当に先生がやるべきだったのは、その女生徒が忘れ物をしないような仕組みを作ることでした。

  1. なぜ忘れ物が多いのかを質問する

  2. 生徒の表面的な発言だけでなく、その根本理由まで突き詰めて考える

  3. できるだけ根本理由に近い部分にメスを入れ、精神負担の少ない方法で解決する

この方法で、事件は防ぐことができたんです。

この方法論はビジネスのフレームワークとしては基本的なところです。
リスク管理” と名のつく本にはだいたい書いてあります。
興味があれば探してみてください。

さて、ところで!
皆さんはリスク管理の基礎をたった今知りました!
根本を突き詰めて考える、という方法論を、とりあえず学びました。
そんな皆さんに朗報です!!

この事件の先生が犯罪者となってしまったのは “表面的な原因にばかり着目したことで火に油を注いだから” です。
が、これほど重大なトラブルになるケースは少なくても、この “表面的な原因にばかり着目してしまう” という状況自体はたくさんあります。

  • 子供がうるさいから殴る

  • 部下が仕事をしないから叱る

  • 夫が人の話を聞いてくれない

こうしたことは、なんならあなたのそばで、今日明日にでも行われるかもしれません。

そういう出来事を見つけたら、もっと根本的な原因を探してみてください。

  • 本当は子供だって仕方なく泣いてるのかも

  • 部下は仕事をしないんじゃなく、できない理由があるのかも

  • 夫は、返事はできるけど話をじっくり聞く精神状態にはないのかも

「もっと根本的な理由がないのかな」と、時間をかけてじっくり自分に問いかけるんです。
もちろん、焦らず時間をかけることが前提で、重要です。

そしてもしそれができるようになったら、
そのときはあなたにも世界を革命する力が手に入るのです!

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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