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のらねこ、周りに勝手に勘違いされやすい

「勝手に期待されてしまいやすい」
「言ってないことを言ったと思われやすい」
「なんか周囲に怖がられやすい」
「人当たりは悪くないのに、いつの間にかSNSにアンチがついている」

世の中には、周りから勘違いされがちな人がいます。
また常にではなくても、会社・バイト先・部活・趣味の会合など、特定の状況で勘違いされがちな人もいます。

そういう人達は、なぜ勘違いされてしまうのでしょうか。
周りが勝手に勘違いするのが悪いのであって、自分は悪くない?

ホントに? 絶対?
勘違いされるのを防ぐ方法があったとしても、そんなの無意味――?

いつもお読みいただきありがとうございます。
あるいは初めましての方や、久しぶりの方もとても嬉しいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

こんなに頑張ってるのに分かってもらえない。
頑張りたいのにチャンスが巡ってこない。

いつもそんなふうに考えてしまいがちな人は、運が悪いのではありません。
“目標管理” ができていないだけです。

目標管理とは、やりたいことを達成するためのノウハウのこと。
つまり正しく成果を上げていくための必須技能で、これができていなければ人生なにも楽しくないのは当たり前なのです。

だとすると、目標管理とは何で、どうすれば身につくのか?
この のらねこに何ができる? では、それを皆さんにお伝えすべく、僕自身が計画して僕自身でやってきた様々なことを、なるだけ面白く書く趣旨となっています。

今週から “のら心理学者は人間関係なんとかできる?” シリーズを始めます。
人間関係トラブルを解決したり、防いだり。
そんな話ができればと思います。

シリーズの執筆計画:
1. 勘違いされる人が勘違いされる理由(今回)
2. あなたは自分が何者か分かってる?
3. あなたはいったい何がしたい人?
4. 間違ったことを正しいと信じてない?
5. “がんばる”ってつまりどういうこと?
6. “友達を選ぶ”ってどうやるの?
7. “社会的立場”ってそんなに大事?

過去のバックナンバー


1. 勘違いされやすい人が思ってること

勘違いされやすい人って、よくこんなことを思ってると思います。

「え? 私そんなキャラじゃないのに!?」
「ただ一生懸命なだけなのに!?」
「私は普通の人! そんなに変じゃない!」

ここでポイントになるのは、“私こそが普通だ。変なのは周りの方だ” と思う気持ち。
こういう書き方をすると、おこがましいように聞こえるかもしれません。

でも、人間が「自分は普通だ」と思いたいのはれっきとした本能であって、当たり前の感情です。
なぜなら、どんな人でも “自分の人生の中心は自分自身” だからです。

ですから人間は「自分こそ普通だ」と自然に考えるんです。

でも、、、ここで1つ問題。
もはや使い古された疑問ですが、ここでいう “普通” ってなんでしょうね?
とりわけ人間関係の話のとき、『普通とは何か?』は問題になりがちです。

すでに重々ご存知の通り、“普通” という言葉は、ふわふわとした雲のような捉えどころのないものです。
とりわけ人は、主語が『自分(私)』のときと『他人(あいつ、あの人)』のときとで、ほぼ無意識に定義を変えていたりします。

通常多くの人は、『自分は普通かどうか』というときは、普通を “当たり前のことを当たり前に行うこと” と定義していることが多いです。

仕事はするのが当たり前。
勉強くらいやって当たり前。
カレーが好き。でもピーマンは嫌いで当たり前。
そういったことを “普通” と呼んでいるはずです。

にもかかわらず、それらの人々が『あいつは普通か』を話すときには、途端に “周囲の人と違う行動をとらないこと” と定義し始めるのです。

「あいつは普通じゃない、異常だ」の話題のときは、途端に “周囲と違うことをしているかどうか” が指標になります。
その人だって、本人はやって当たり前のことを当たり前にやってるだけなのに、です。

自分のときは仕事はやって当たり前だから働くだけだと言ってたのに、
他人のことは「あいつは休みなく働き続ける変人だ」と捉える。
自分の労働量が少ないだけかもしれない可能性を、棚に上げてます。

自分のときは勉強して当たり前だから勉強すると言ってたのに、
他人のことは「勉強なんてするあいつは先生にこびてるんだ」と捉える。
自分の勉強量が少ないだけかもしれない可能性を、棚に上げてますね。

自分のときは食べるのが当たり前だから食べるだけと言っておいて、
他人のことは「デカ盛り早食いの異常行動」と捉える。
自分が少ないだけかもしれないのに。

これは、他人があなたのことを見るときも同じです。
つまり周囲の人に普通と思ってもらいたいときってのは、当たり前のことを当たり前にするだけではダメなんです。
周囲の人と違う種類のことをしない” ことも大事になってくるのです。

自分がやって当たり前だと思うことを当たり前にやっても、周りの人はそれを必ずしも普通とは認識してくれません。
あなたが周囲に対してそう思っているようにね。

だとすると周囲と違う行動をとらないよう細心の注意を払えば、周りに普通の人と思ってもらえるでしょうか?
これも ノー です。

普通の人は “周囲と違うことをしないよう気をつける” なんて行動はとらないため、そのような努力が周囲には奇異に見えてしまいます。

つまり人間は、『意図的に普通の人だと思われる』のは不可能なんです。
また、仮に “理想的な普通の人” がいたとすると、その人は周囲と違うことを一切しません。
それゆえに特徴らしい特徴が周りに伝わらなくなり、「あの人は普通だ」と思われる以前に、“特徴らしい特徴のない、無個性で影の薄い人” と認識されてしまうんです。

ですから自分が普通でありたいと思っている多くの人は、普段は普通でいるために無個性なキャラを演じる一方、何か特別なタイミングがあるとそのときだけ “特別な人” になろうとします。
だから失敗して勘違いされるんです

特定のタイミングで急にキャラを変えても、そんなの分かってもらえなくて当たり前ってこと。
なりたいキャラがあるのなら、普段からそうでないといけません。

2. 勘違いには必ず“理想の押しつけ”がある

“勘違い”とは:
何らかの理想状態があって、それとは違う認識の仕方をされてしまうこと。

ですよね?
てことはですよ?
何かにつけて勘違いされやすい人ってのは、

「本当はこういう人だと思ってほしい」という理想が必ずある

ことになります。
つまり勘違いされやすい人は、周りが勘違いするんじゃありません。

理想があるのに” “それが周りに伝わっていない” のが問題なんです。

だって多くの人は、普段は自分のことを「普通の人」と言う反面、人間関係における普通の人とは “無個性で影の薄い人” という意味です。
ですから無個性でもなく、影が薄くもない時点で、もはやその人は普通の人じゃなくなってしまいます。
この時点で、言ってることとやってることに矛盾が生じています。

また、このことは逆でも言えます。

周囲の人々も、ある特定の人物に対して『この人は、こういうキャラであってほしい』という理想を持っています。
なぜなら、「普通でいてくれればいい」と思うことは、その人に対して失礼だからです。

人間関係において普通の人とは “無個性で影の薄い人” ですから、特定の人物に対して「普通でいてくれ」と願うことは、「影の薄い、いてもいなくてもいい人物でいてくれ」と思ってるのと同じことです。
なんならいっそ「いなくなってくれ」と思ってるのと大して違いません。
それは当人に対してあまりに失礼です。

で、そのすれ違いこそが、人間関係トラブルの根底ってワケです。

3. 勘違いには必ず“普段から曖昧にしていること”がある

だとすると、互いの “理想” をキチンと話し合えば、人間関係トラブルはなくなるでしょうか。
つまり人間関係トラブルを防ぐには、「私のことはこういう人だと思ってほしい」「あなたにはこういう人であってほしい」といった話し合いをすれば、何の問題もないってことでしょうか?

でも、普通そんな話とかしませんよね。
なぜって、「あなたにはこういう人であってほしい」といった類の話を持ち出す人は、だいたい “かなりキョーレツな理想像” を持ってることが多いからです。
そうした話し合いをやったらやったで、

「おまえはこういう人間でいてくれ」
「は? そんなん無理に決まってるやん」
「え? なんで? は? え?」

みたいな流れになって、ケンカになるのが目に見えています。

  • あなたには、完璧な妻でいてほしい

  • あなたには、ミスをしない完璧な部下でいてほしい

  • あなたには、理想の上司でいてほしい

通常、他人がこちらに対して期待している ≪レベル≫ は、現実よりもかなり高いのが普通です。
ですから、人間は互いの理想像に関する話題をタブー視するわけです。

とはいえ、だからといって “自分の理想像” “相手に望む理想像” を曖昧にしたまま、互いの理想がすれ違ったままでいれば人間関係トラブルを永久に防いでいられるでしょうか。
それもまた無理ですよね。

もちろん、いわゆる “器の大きい人” になれば、理想が曖昧なままでも人間関係を巧く維持できるかもしれません。
ですがその場合でも、人間である以上は器の大きさには限界があります。
『周囲から器の大きいキャラを求められがちな人』は、絶対にいつか必ず潰れるときがくるのです。

また、人間は必ず何かしらの “コミュニティ” に属す生き物であり、コミュニティがコミュニティであるからには、各メンバーには必ず “その場で求められる役割” があります。
この “役割” なるものを、自然で無意識的な行動のみで自然に果たせるような場所のことを、俗に “ありのままの自分でいられる場所” と呼びます。

ですが、そのような場所を探すのが難しいのは、皆さんも重々ご承知でしょう。
ゆえに、この世の全ての人間関係トラブルは、“勘違いを曖昧にしたまま放置する” ことによって発生することになるわけです。

これは常に絶対必ずです。

4. 勘違いされないためには?

なら、勘違い “しない/させない” ためには、どうすればいいんでしょうか。
ズバリ「私ってこういう人だから」と断言して、全て白黒つければ大丈夫?

でも相手にだって “求めたいもの” があるんだから、一方的な押しつけはそれはそれでトラブルの素です。
自分自身のことを自分で決めてるだけの場合でもね。

そこで重要になってくるのが、自分がどういう人間かを “相手が自然に察してくれる状況を作る技術” です。

  • 私はこういうのが得意です

  • 逆にこういうのは不得意です

そういった類のことを相手が勝手に察してくれれば、無理難題を一方的にふっかけられることは減ります。

んで、
そういう類のアピールを自然に行う技術のことを、
一般に “セルフブランディング” といいます。

自分はどういう人間なのか、自分のそばにいればどんなメリットがあるのか、逆にどういったお願いは無理なのか。
そうした、いわゆる “キャラづけ” を周囲にアピールしていく技術です。

具体的にどのようなことをすれば、セルフブランディングが巧くいき、周りが自分をちゃんと理解してくれるようになるのか。
今回のシリーズでは、そのテクニックを紹介していけたらと思います。

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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