【コラム】焼け跡に裸電球がポッと
年が明けた。わが身辺も世界も、とてもじゃないが「めでたい」などと書けない気持ちがまさって、賀状では礼を失したかも知れないと思い返す。
書棚から一冊の本を抜き出す。いまは亡き小沢昭一さんが生前、万年筆でサインしてくれた『わた史発掘』という本はぼくの宝物でもある。何年か前、演奏の帰りに盛岡に立ち寄り、入った蕎麦屋で多くの著名人の色紙にまじって小沢さんの筆跡を見つけた時は「同じ達筆で!」と嬉しくなった。
その本には小沢さんが歌った「ハーモニカブルース」誕生の経緯も書かれている。毎年、8月が来ると、ある時は“戦中派”の末弟として、ある時は“戦後派”の長男として小沢さんはよくテレビに引っ張りだされたという。
小沢さんの平和主義は、戦争に負けて焼け跡に裸電球がポッと灯った時、ああ、平和はいいなァ、世の中、他のことは何がどうなったって、戦争さえなきゃいいや、と思った実感に発し、その実感を保ちつづけようとしているだけだと書く。それがいつの間にか
と。
谷川俊太郎が小沢さんに取材して成った「ハーモニカブルース」の詩の一節には、ハーモニカがほしい、もう兵器はほしくなかったんだ。戦争は負けたけど、ハーモニカが吹ける、というような趣旨の文句がある。小沢さんは、「ハーモニカ」を心の中で「平和」あるいは「文化」という語におきかえたりして歌っていた、とも告白する。戦争を体験した小沢さんの平和への切なる思いは、ウクライナ戦争という、まさかの戦争が起こってしまったいまを生きる私たちが真剣に受け止めるべきものだろう。あの時の“熱さ”をそう簡単に忘れるわけにはいかない。
(2023.1 ハーモニカライフ99号に掲載)