「七月七日に逢いに来て」
両親は60代で昭和の終わりに、突然のように亡くなりました。その葬儀の折、両親の古くからの知人が言ったのです。
「あんなに善い人たちが早死にするなんて!信じられない」
まるで、(早逝することは、悪人の定めである、早逝で善悪人の決着がつく)かのようなニュアンスでした。
「善い人」と言われるには理由がありました。
前回、書いたように、、戦後の日本には住む家無く、食べるに事欠く人たちがいて、父は知り合いになった彼らを引きとっていたから。ただし、面倒見るのは母です。郷里から送られたお米を米びつから出し、片端から炊くていていくのですから。プアーな人たちだけでなく、やーさんや軽犯罪者もいました。
ところで、雑多な育ちのせいか、友達は多かったのですが、皆さん、50代くらいからご主人を亡くされました。もちろん、悪い人だから、ではありません。
以来の寂しい歳月はなにものにも換えられないようです。
ホットな二人だったのに、残されて、今も泣いてる友人のために書きました。「七月七日に逢いに来て」
七月七日に逢いに来て
涼やかな 夏の夕べ
西の空が パープルにそまったら
かなたの日 あなたとちぎった人が
帰ってくるのです
七月七日の 空の下
あの人とあなたは 再びのちぎりを
結ぶのです
七月七日に逢いに来て
一厘の 花のような
かぼそげな あなたをみかねて
心ならず あなたと別れた人が
帰ってくるのです
七月七日の 空の下
暗闇に 耳をすませば
足音が 聞こえるかもしれない
年月は忘却を知らずして
七月七日に逢いに来て
、
七月七日だからかきました。小学校の友のご主人は40才くらいで、、中学高校の友のご主人は50才くらいで、大学の友<のご主人も50才くらいで、会社員時代の友、就職,団地住まいの頃の友のコケ主人もみんなみまなれた。
そりゃ、ご主人がうっとおしく感じる奥様には、世話脛相手化成無くて伊作年きんで、ぬくぬくくらしても
せと作りました。一年に一度テレも、枕元にきてくだされば、と。
七月七日
涼やかな 夏の夕べ
西の空が パープルにそまったら
かなたの日 あなたとちぎった人が
帰ってくるのです
七月七日の 空の下
あの人とあなたは 再びのちぎりを
結ぶのです
一厘の 花のような
かぼそげな あなたをみかねて
心ならず あなたと別れた人が
帰ってくるのです
七月七日の 空の下
暗闇に 耳をすませば
足音が 聞こえるかもしれない
年月は忘却を知らずして