
気がついたら、さや香のコントに心を救われていた
「さや香のコント大好きライブ」「コント日和」「ただ、コントを愉しむ夜」の3回にわたって見た、「年いってる人」(仮称)のネタ。
そのなかに"「年いってる」人が「年いってる」と認識できないのは認識できないほど「年いってる」から"、というフレーズがある。(実際に「年いってる」かはまた別の問題なのだが。)
私の祖父は認知症である。
最近起きたことをすぐに忘れてしまうかわりに昔のことはよく覚えているので、もしかしたら若い頃の自分に戻っているのかも知れない。それが「年いってる」と認識できない、ってことなんだと思う。
何度か、祖父の面会に行ったことがある。まだ私のことを覚えていて正直ホッとした。でも、いつまで覚えていてくれるのかずっと不安だった。
なのに私は祖父に言われた「恋人はいないの?駄目だなあ」という言葉がどうしても許せなくて、面会に行かなくなってしまった。
古風な人だから、三十路近い私が恋人も作らずにいると「行き遅れ」になってしまうと心配したのだろう。当時の価値観ならそれが当たり前かも知れないけれど、今は違うし、私は別に結婚したいとも思っていない。
結婚は本当に幸せなのか?と突き詰めて考えた結果、私にとっては幸せじゃない、と判断した。
今の私は仕事と趣味で忙しいし、それがいちばん楽しいのだ。
なのに「恋人はいないの?駄目だなあ」と言われたら、ただ恋人がいないというだけで私の人生をまるごと否定された気がしてしまう。
祖父の記憶はリセットされるので、私に恋人がいないことも、「駄目だなあ」と言ったことも、たぶんもう覚えてない。認知症の人にそんなこと言っちゃダメだけど、勝手だなと思う。
だから、面会に行ったらまた同じことを言われて、向こうはすぐに忘れて、また私だけ傷つくのが嫌だった。勝手なのは私のほうかもしれない。
でも、そんな逃げが許されるのは祖父がまだ私を覚えていたからなんだと思う。
ずっと恐れていた時が来てしまった。
祖父は私を忘れた。
厳密には、「すぐに思い出せない」が正しいのかも知れない。
母から聞いた話だと、私と違って何度も面会に行っている長年連れ添ってきた祖母のこともすぐに思い出せなかったみたいだ。
本当にずるいけど、少しホッとしてしまった。
面会に行かなくなったら、祖父は私のことを最初に忘れるだろうなと覚悟してたから。
祖母と同じタイミングで忘れられたなら、面会に行かなくなったせいじゃなく、祖父の認知症が「家族を忘れてしまう」段階に進行したのだと思える。
でもそんなの全然よくない。やっぱり悲しい。
完全に忘れ去られてしまう前にちゃんと会いに行こうかな。でも人づてに聞くんじゃなく実際に会いに行って忘れられたら、泣いてしまうかも知れない。すごく怖い。
そんなことを悶々と考えていたら、ふとさや香のコントを思い出した。
「年いってる」と認識できないのは認識できないくらい「年いってるから」。
そっか。祖父も「年いってる」から最近のことを忘れちゃうんだよな。「年いってる」から、私のことも忘れちゃうんだな。
それなら仕方ないか。
そう思ったら、なんだか笑えてきた。
さや香のコントはどこか哀愁が漂っていると思っていたけど、そうじゃなくて、哀愁を笑いに変えてくれているのかも知れない。
「年いってる」せいで私を忘れかけている祖父に久々に会いに行こうかな。
忘れてたら「年いってる」せいにして、思いっきり笑ってやろう。
さや香、ありがとう。