エッセイ②
家族についての話②
私の父は、とても怖い顔をしている。「男はつらいよ」の寅さんみたいな、The昭和の男的な眉が太く、顔が濃ゆくていつも険しい顔をしている。
父の兄達もみんな顔が怖い。私は、父の実家へ行ったとき、父の兄がいると、顔を見ただけで号泣していたらしい。
父には兄が2人いる。家の塗装工事と、水道の配管工事をそれぞれ仕事にしている。顔は怖いが、正月になるとお年玉をくれたし、なにより可愛いマルチーズのモモを飼っている。私は、白色の毛並みの整ったモモを撫で回しながら話を聞くことが多かった。
父達が集まって、酒を飲むと決まってすることは昔の話だ。学生時代は、不良であったことを少年に戻ったように楽しげに話す。
一番悪だったのは長男で、無口だけど思いやりがあるのは次男、末っ子の父は兄達に可愛がられていたらしい。
本土復帰前後に学生時代を過ごした父達は、地元の北谷地域を率いるワルであったという。特に、長男は、各地で抗争があればその度に自作で作ったドスを持って足を運んでいたらしい。
今の沖縄では、学帽は無いが、その時代の学生が身につけていた学帽を片っ端から狩る「学帽狩り」なるものをしていたという。
夜になれば家の屋上で仲間たちと宴を開き、教師に歯向かう日々。
「にーにのグロリアがひっくり返って、大破して駐車場に戻ったときは、流石に死んだんじゃないかって思ったな」
父は、陽気な口調でそう言った。車が大破する程のことって一体なんだ?と考えていたが、父達の年齢を逆算したときに、重なる出来事と言えば、「コザ暴動」であった。もしかしたら、あの暴動に関わっていたかもしれない。問いが喉元まで出かかっていたが、私は、なんだか気が引けて直接訊ねることはできなかった。
何故、そんなことをするのか。破天荒で滅茶苦茶な時代の話は、聞く分にはとても面白い。だが、リスクを背負い、社会的信頼を損ねてまで行う理由がわからなかった。
その理由が、見えた気がしたのが祖父の一年忌で集まった日だった。
いつものように、酒を飲み昔話が始まる。だが、長男の目は笑っていなかった。
「昔は、米軍基地に入り込んで、食料や日用品を取ってばかりだった。一度、兵隊に銃を向けられたときは死んだと思った」
この話も、何度か聞いたことがあった。度胸試しにしては度が過ぎている、と思っていた。
「オジー、昔は家でハブを飼っていてよ。先生達が来る度に水槽にあるハブを見て、度肝を抜かして帰った訳さ」
優しい祖父しか知らない私にとって、それは衝撃的な話であった。その話しぶりを見る限り、長男は誰よりも祖父のことを恐れているようであった。温厚で、いつもニコニコしていた祖父と、ハブを素手で捕まえる荒々しい様子はどうしても結びつかない。
「オジーは、がんばってたんだよ」
長男が、私の目を真っ直ぐに見つめて言った。
その言葉には、今までの人生の重み全てが詰め込まれていた。
私は、声を振り絞り、
「必死に、生きていたんだね」
と返すのが精一杯だった。
そこから、ほんの少しだけ眉の険しさが緩み、
「戦果って知ってるか?」
と聞いてきた。戦果。昔の沖縄では、戦果アギヤーと呼ばれる少年達がいたと、小説『宝島』を読んで知っていた。米軍基地から食料や包帯などを盗み、生活が成り立たない家へ運んでいった彼らを英雄視していたらしい。
「昔は、盗んでもそれが許されていた訳さ」
そう呟いたあと、長男の顔に張り詰めていた緊張は無くなったように思えた。
私は、何も知らなかった。悪とは、なんだろう。権力に抵抗することは悪なのか?言われたことをやるだけが正しいことなのか?私は、何もわからなかった。
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