エッセイ④
創作についての話
小学生のときは、漫画家になりたかった。
物心ついたときから、絵を描いていた。物語を書いてみたいと思っていた。毎月、少女漫画雑誌の「りぼん」「ちゃお」「なかよし」を買い、流行りの少女漫画の内容をひたすら追いかけていた。特に、ホラーが好きで「絶叫学級」という一話完結の漫画を読むのを楽しみにしていた。
「りぼん」で行っていた「小学生漫画大賞」という公募に挑戦したのが、小学4年生の頃だった。それまで、書店に行くと漫画の描き方のコーナーで、ハウツー本を読み漁っていたため、なんとなくコマ割りの仕方や、表情の描き方、起承転結のつけ方などは頭に入っていた。当時、Amazonなどのネット通販は主流ではなく、叔母に頼み、漫画道具専用のサイトから、つけペンやインク、トーンや漫画原稿用紙を買ってもらった。思えば、随分と無理を言っていたのかもしれない。
初めて使うGペンは、インクのつけ方や線の強弱、どれを取っても難しく、最初は真っすぐに線を引くことから始めた。やっと、それらしい線が描けるようになるまで1ヶ月かかった。
それから、夏休みの期間を使って、24ページの漫画を一本描いてみることにした。
夏休みの宿題は、夏休みの最初の週で終わらせると決めていたので、残りは珠算塾へ行くか、自分のやりたいことに時間を費やしていた。その年は、漫画制作に時間を充てた。
まずは、登場人物の設定を決め、そこから、ストーリーの本筋を立て、ラフを書き、原稿用紙に下書きし、ペン入れ、トーン貼りをする。私の親戚には、創作をする人間はいなかったため、本を読んだり、youtube(その当時は、海外の投稿が多く、漫画キャラを描く際の筆の運び方を見ていた)を参考にしながら、一から始めていた。
トーンを貼るとき、重ね貼りしてモアレが発生しないようにするため、点の角度が決まっている。だが、小学生の私は、トーンを少しでも無駄にしたくなくて、そんなことお構いなしに、余ったトーンを寄せ集めて洋服の色を埋めていたりしていた。
夏休みの終わりには、ひとまず、漫画の形になった原稿が完成した。(確か、魔女の女の子とウサギの召使いが家に訪れた者を手助けするという話だった。)
すぐに編集部へ送り、次号が出るまで今か今かと待ちわびていた。結果は、入選で、トーンとミリペン一式、書いた原稿が送られてきた。
新しいトーンとペンを使って描けばよかったのかもしれないが、漫画執筆を経験することで、一本の創作物を産み出す難しさと、自分のインプット量の足りなさを実感したのだった。そこからは、漫画を送ることはせずに、ひたすら本を読もうと決め、図書館や古書店、書店で手当り次第に読んでいった。
両親が本を読んでいる姿を見たことはなく、家には私の本しかなかった。両親の目からは、私は風変わりな子として映っていたかもしれない。
それからは、絵を描くことを続けた。少ないお小遣いで、コピックを何本か買い、カラーイラストを描いていた。中学生になってからは、美術の授業で買う絵の具セットなどを使って、アクリル画や水彩画も始めた。高校生になってからは、美術室にある画材を使って油絵、日本画をするようになった。
沢山の画材を使って中途半端なやつだなと思うかもしれないし、実際にそうなのであろう。ただ、どうも私は、自分の気持ちを口で表現することが苦手なようであった。
白紙を見つめると、そのときの感情に合わせて絵が浮かぶ。それを、如何にして再現できるかが自分の中でのゴールであった。表現するのに最適な画材は何か、それを模索しながら描いていた。
文章を書くことを始めたのは大学に入ってからだ。それまで行っていた、写真を撮ったり絵を描くことは、思い浮かべた理想を画面上で出力するのに、時間やテクニックを要するが、比較的イメージに近いものが出来上がる。(そこを突き詰めていくのが、プロやアーティストであり、私が語る資格は無いのだろう)
文章は、思い浮かべたことを、まず言語化し、その上で読み手に伝わらなければ読み物として成り立たない。文章を書くことで、出力するプロセスが、幾つかあることに気づき、改めて物書きの凄さを知ったのだった。
今も、まだ私は情報を知っていく段階で、こうしてエッセイを書いているのは、時期尚早なのかもしれない。ただ、自分自身がどんな人間か、今までの出来事を整理することで、わかるのではないかと思い、執筆している。(ここまで読んでいただいた方には、感謝でしかないです)
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