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エッセイ⑩

友達の話

小学5年生のときに仲良くなったある女の子が、私の人生を変えた。同じクラスになったその子は、休み時間も公文の課題をしていた。「何してるん?」と聞くと、どうやら高校レベルの古文の問題を解いているようであった。私も1枚、もらってやってみたのだが、古文を現代語訳しなさいだとか、要約しなさいだとか、そのとき初めて見た言葉の羅列に衝撃を受けたのだった。
それからは、好きな漫画について話をするようになった。国を擬人化した漫画の『ヘタリア』が好きで、私もすぐに買って読んだ。記憶力がとても良く、何ページ目の何コマ目のあのキャラのあのセリフがどうだった、とスラスラ話すのであった。私は、話について行きたくて、毎日繰り返し読んでいた。おかげで、漫画はボロボロになった。

それからは、元々私が取り組んでいた漢検をお互いに切磋琢磨して漢検友になったり、中学生になると私か彼女が入れ替わりで席次の1番を取ることも多かった。
同じ高校に進み、あまり連絡を取らずともお互いの噂は聞いていた。彼女は、模試で県内1位を取り、とにかく努力をする人であった。私は、模試よりは普段の勉強に力を入れ、評定で5をもらえるように心がけていた。(やはり、彼女は本物だな、すごいなと思っていた)

だが、高校3年生のときに彼女の父が土木作業中の事故が原因で亡くなった。私は、葬式に出て、初めて彼女が泣いている姿を見たのだった。それからしばらくして会うと、学費の面や生活面などで参っているようであった。弱々しい笑顔に心が締め付けられた。私は、下手なりに励ますことしかできなかった。

一年浪人し、彼女は阪大の文学部に受かった。記者か出版社に入りたいという夢があった。彼女は、私の憧れの人であった。私は、自分のことよりも、彼女が成し遂げたことに喜びを感じていた。(ここで、私の夢や想いも彼女に託していたことに気づき、自分の傲慢さに嫌気が差したのだった)
今年の2月に、大学の卒業旅行も兼ねて大阪にいる彼女の元へ会いに行った。お土産に沖縄のスパム缶を持って行った。彼女は笑っていた。みんぱくや中之島図書館、大学構内、古書店など、回れるところはひたすら回った。
彼女は、芸術系のゼミに所属しているらしく、ダダイズムの作品について語り合った。彼女のように知識がある人でも、ゼミ内では端くれと聞き、改めてレベルの高さを感じたのであった。

ある人を目標にして頑張る、ということは誰しもあることではないだろうか。私は、未だに彼女を超えることは出来ないし、寧ろ憧れは憧れのままでいた方が幸せなのではないか、とも思っている。私は、沖縄から出ることに少し不安がある分、親元を離れて生活している彼女には足元にも及ばないのだろう。
ただ、知らない土地に行ったときに感じる、仄かな自由には心躍るものがあるのだった。

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