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エッセイ㉓

大学時代のお話

大学時代の講義はどれも面白く、オンライン授業のときは、講義に加え、関連する論文や本を読んだりと、毎日がインプットする日々であった。(論文を執筆するための基本などは勉強不足だが)

私は、毎講義を受けながら、空いた日に、文芸誌『煉瓦』の方々に沖縄県内での展示会や、山、海に連れて行ってもらった。
今でも、展示会があると足を運んだり、ギャラリーに行ったりと交流を続けてくださっている。
元々、外に出るようなタイプではなく、出不精のため、沖縄北部の『比地大滝』に行ったときは、今までの業を思い浮かべていた。(そんな余裕すら無かった)先輩は、サンダルと下駄でスタスタと山道を登り、「超人……?」と思いながら後をついて行った。
帰りは、閉園時間を過ぎてしまい、スタッフのおじさんが軽トラで迎えに来てくれた。4人で荷台に乗って、風を感じたあの時間と、帰りに見た夕焼けが今でも眩しい。

また、別の日には、果報バンタの整備されていない浜まで、けもの道を歩いた。途中、ハブが出てくるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、1月で冬眠していることを願って、浜まで下った。(良い子は未整備の道は行かないように)
スケッチ道具を持っていって、浜に座りながら海を描いていた。そのまま呑み込まれそうな気持ちになりながら、波の音を聞いていた。

スケッチしたときの水彩画


後ろの崖を見上げると、観光客らしき人達がこちらに手を振っていた。人がいることが中々ない浜に私たちが居座っているのだから、不思議だっただろう。

県内の様々なギャラリーでの展示会も見てきた。どれも、刺激的で、アーティストの感性には勉強することが多くあった。(ただ、やはり、アートの世界では、美大生・芸大生というのが、無条件でアドバンテージになることも知った。私はそこに振り切れない中途半端な者なのだと身に染みて感じた)
文芸誌『煉瓦』を、出版してみたいという気持ちもほんの少しだけ湧いたのだった。県外の有名な文芸誌と言えば、『文芸春秋』、『文学界』、『群像』、『すばる』などであり、芥川賞の選考も行われる。本当に大きな、とてつもなく大きな夢だが、沖縄の地で育った新人作家達を世に輩出できる場所を沖縄で作れたら、どれだけ良いのだろう…と思ったのだった。ただ、私は経営のノウハウも無ければ、営業力も皆無である。

今まで先輩達に連れて行ってもらった、海の青さが目に焼き付いて離れないのだった。

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