エッセイ⑭
家族について
私の母はとても痩せている。
昔からであるが、30㎏あるかないかである。
私が幼いときの母は、痩せ型の金髪ショートで、毎週ショッピングセンターのゲームコーナーに連れて行ってくれた。母は、子どものように無邪気に笑う人で、私のことをとてもかわいがってくれた。ただ、少しのことでも怒ったり、祖母と衝突することも多く、私が折れるしかない場面が多かった。私が2~3歳の頃に、父が会社の社長と揉めてクビになった。無職の父の代わりに、母が必死に働いていたのを覚えている。私は、託児所か祖母の家に預けられることが増えた。
母は、夜になると、大量の薬を飲んで(多分ビタミン剤なのか)その日に食べた物をトイレで吐き戻すことが多かった。私は、幼いながらに「母が死んじゃうんじゃないか」と心配で、何度も「ご飯食べて」と言った。祖母からも「食べないと死んでしまうよ」と咎められていたが、母は一日に一食、食パンやカップラーメンを食べるのみであった。病院に行くことを強く拒むため、私はひどく落ち込んでしまうのだった。今でも、それは変わらない。
学生時代はバスケ部で、男性のような格好をすることが多かった母は、女子から告白されることも多かったと言う。スカートも履きたくなくて苦痛だったらしい。もしかすると、性に対する疑問や葛藤、生きづらさを抱えていたのかもしれない。
私は、母が大好きで、母が悲しんでいるところは見たくなかった。だから、母の機嫌が悪ければ、なんでもした。衝動的に買ってしまう母の浪費癖も、祖母と止めながらこれまで生きてきた。
文字を見ると、気分が悪くなるらしく、小学校の頃は書類を一緒に見て、「これなんて書けばいいんだろう?」とガラケーで文章を打ちながら書いていた。私が漢字を読めるようになれば、母の助けになるかもしれないと必死に勉強した。
母も父も、本当は男の子が欲しかったらしい。
金銭的な事情で、一人しか産めなかった母は、母自身を責めているのだろうか。
私は、一人っ子で、親族の中で一番年下である。私が自立して生活ができるようになるのが、一番の親孝行なのかもしれない。
(ただ、今まで、家族のことを心配して生きてきた分、人生一回きりなのだから、私の好きなように生きたい気持ちもある。)
私は、母と、笑い合いながら食卓で、一緒にご飯を食べたかっただけなのだ。