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エッセイ㉒

創作について

私の文字書きスタイルについて紹介したい。

文章として、詩や小説、エッセイで自己表現することが増えてきた。
詩の定義やスタイルなどは、まだまだ勉強中なのだが、私は、書き始めたら後は、言葉がどんどん繋がっていく感じである。あまり時間をかけずに書き切るため、詰まらなければ1時間~3時間で完成する。長い詩となると、日を分けて書くため、もう少し時間を要するが、1000字以内だと数時間あれば作品と呼べるものが出来上がる。
私が、詩を書くときに意識していることは、「あらゆる事柄について思っていることを直接的な表現を用いず書く」ということである。所謂、読み手が考察する余白というのをあえて作る。
今まで読んだ詩で印象に残ったものを振り返ったとき、その詩というのは、直接的なことは言っていなかったりする。
私は、井伏鱒二の『サヨナラだけが人生だ』という言葉が印象に残っている。井伏は、中国の漢詩『勧酒』の中にある、「人生足別離」という言葉を「サヨナラだけが人生だ」と妙訳したのである。
この漢詩は、船旅に出る者(もしかしたら二度と会えないかもしれない)を送る宴を描いている。そのような背景をふまえて、フレーズを思いつく詩人のセンスに脱帽した。

また、死人との別れ、故郷との別れ、大切な人との別れなど、読み手によってこの言葉の解釈も変わってくる。詩の良さとは、そのように、読み手側の受け取り次第でいくらでも読み砕けることだろう。
まだまだであるが、私も人の心に残るような作品を書いてみたいものだ。

小説については、社会的な題材を書くことが多い。これもまた、勉強することが多いのだが、書き方のスタイルとして、プロローグを少し書いた後に、オチの文を書き、その間を埋めていく。詩と同様、言葉がどんどん繋がっていくというスタイルである。必要ならば、参考資料で文献を読んだりしている。
小説も早いと1週間で1万字書くこともある。
小説は、虚構の世界なため、虚構だからこそできる力があると考える。(『同志少女よ、敵を討て』の作者、逢坂冬馬さんのトークショーで、逢坂さんも虚構が成す力についてお話していた。プロの小説家も意識していることなのだなと思った。)

エッセイは、小説と違い、虚構では戦えない。別に戦う必要は無いのだが、以前読んだ本の中で、学者の坂西志保さんがエッセイの定義として、「その人でなければ書けないもの。その人でなければ書けないものと言えば、小説だって戯曲だってそう思うでしょう。ですから、その人でなければ書けないものから小説と詩と戯曲を除いたものが、エッセーだと思えば、一応片付きます」と述べている。
その人でなければ書けない、私でしか書けないものを意識して書こうと思っている。しかし、毎日更新(1日1時間ほど)を目標にしているため、書く題材決めで割と苦戦する。
自己分析という観点で、少し肩の力を抜きながら続けられたらいいなと思っている。


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