エッセイ⑥
思春期早発症の話
幼稚園生の頃から、とにかく大きかった。
卒園する頃には(6歳頃?)小学3年生の子と同じぐらいの身長であった。見た目の割に幼いので、出かけた先では大人が怪訝そうな顔で見ていた。
私の通っていた幼稚園は、男女関係なくセーラー服であった。
思春期早発症だとわかったのは、小学1年生のときの学校検診であった。多分、触診と発育状況から判断して、要検査ということになったのだろう。
病院の紹介状を渡され、大きな病院へ行くことになった。思春期早発症の原因として、脳の腫瘍も含まれるため、初めてのMRI検査をすることになった。薄暗い診察室で、自分の脳のスキャン写真をまじまじと見ていた。
医者からは、「特に腫瘍などはない上等な脳ですね。いっぱい脳みそ詰まってるから大丈夫だよ」と言われた。(脳みそいっぱい?なんか、褒められている……!となったので覚えている)
ただ、成長ホルモンの値が高い、成長度合いが大きいということで、思春期早発症の治療に力を入れている小児科に通うことになった。
丁度、その頃から夜寝ていると体の中で骨が軋む音がして、あちこちの関節が痛くなり泣いていた。(1日で成長する速さに骨の発育がついていけなかった)
私の場合は、脳に異常は無く、原因不明とのことであった。
成長が早い、と聞くと「良いことではないか」と思うかもしれない。だが、平均的な成長速度というものがあり、それよりも早すぎると、骨の発育が不十分な状態で大きくなるということになる。そうすると、逆に骨粗しょう症や他の病気を誘発する原因となったり、早い段階で成長が止まり低身長になるらしいのであった。
また、私の場合は、このままだと、小学2年生で生理が来るとのことであった。まだ性教育も不十分な段階で、周囲の子ども達との違いに戸惑いが出るのでないか、という医者の判断でもあった。
それからは、月1回の注射が始まった。副作用に関しては、個人差があると思うが、私は浮腫と動悸が酷かった。小学6年生になると、浮腫で靴が入らず、26cm((今は23.5cm))の運動靴を履いていた。元々、運動するのは好きだったが、少し走っただけでも心臓が早くなり、その場で動けなくなることも増えてきた。それほどまでに、成長をコントロール(抑制)することは体に負担がかかるのだろう。他の子は、大体3年程の治療で正常値になるらしいのだったが、私は6年かかった。(治療を継続するか、止めるかは、個人の判断なのだろう。私は続けることを選んだ)
体の辛さを感じないようにするためか、「クラスの子も同じ注射を受けているんだ」と思い込むことで、それほど悲観的に捉えることなく毎日を過ごしていた。
(思い返せば、私には様々な地域の血が流れているのだから、平均値外になるのも当然と言えば当然だったのかもしれない)
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