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エッセイ⑨

私には持病がある。
大学3年生のときに、橋本病を発症した。(医者からはなんで歩いて病院に来てるの?と言われるぐらい悪化していた)それからは、毎日ホルモンの補充剤を飲まなければ、甲状腺の急激な機能低下により意識混濁状態になるとのことであった。
何が起きるか分からない今の時代、インフラなどの整備が崩れ、薬が手に入らなくなったとき、家にある錠剤(残り50錠ほど)の数が私の余命である。
持病を抱えている人は多くいるであろう。私は、自身の生命を自分の力でコントロール出来ない状態のため、今までの出来事や自分史を記してもいいのではないか、と思ったのだった。このまま死んでしまっては、私を知る者は極少数である。極少数の人間に覚えてもらえて頂ければ、幸せなことこの上ないが、一方で、忘れられたくないというエゴでもあった。

私は、図書館をメインに物事を考える人間である。図書館は、紀元前7世紀のアッシリア王の時代からあり、現代では、知識の共有手段として位置している。文化や知を存続し、後世に残していくためにも図書館が果たす役割は大きい。
昨今のウクライナ情勢で、図書館の動向ばかり注目していた。ウクライナの公共図書館では、ロシア語で書かれた書物が処分された。市民の避難先として、図書館が使用され、司書は救護にあたる。人間は知性を持ち、言語を話す動物であるのに、それまでの先人達の知を蔑ろにできるのか。
ちなみに、去年の図書館大会で、『図書館の自由』分科会にてゼミの先生が色々報告している。元気仙沼市立図書館館長による戦時下の図書館についての話など貴重な報告会となっている。

何にせよ、デジタルデータに残せばそれで充分なのか。突拍子のない話だが、来年が太陽の黒点活動期のピークだと言われている。猛烈な太陽フレアが来れば、大規模停電や航空機への影響など被害は計り知れないだろう。インターネットで成り立つこの現代の生活が、いつまでも続く保証なんて誰がしているのだろうか。(このエッセイも電波上で飛ばしているに過ぎないが)
デジタルのメリットもあるが、アナログを蔑ろにしてもいい理由にはならないはずだ。そういうことで、創作面においてもどちらでも出来るように心がけている。(日本人は、洋服もここ100年で着始めたのにな…と思っている)

図書館と情報は密接である。私は、専門家ではないため、あまり好き勝手に書くことはできないが、そのことだけは確かである。

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