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恐るべき公安👮‍♂️③-07諜報工作の手口「潜入テロ爆破工作と菅生事件」

恐るべき公安③-07諜報工作の手口「潜入テロ爆破工作と菅生事件」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



投入と謀略の過去

投入

●投入

対象団体の中に身分を隠した警察官が組織の一員になりすまして潜入し、
スパイ活動に従事する――。これが「投入」と呼ばれる作業
だ。
「警備警察全書」はこう記す。
「協力者以上に困難な点があるが、事件捜査のためにやむをえず、最後の手段としてとられるものである。
これは各国において犯罪捜査や諜報活動の取締り手段として用いられているところであり、直ちに違法とはいえない」


まさしく公安警察らしい情報収集作業と思えるが、
投入に関しては多くの公安警察官が最近における実行を否定している。

「我々が配属になったばかりの昭和40年から50年代ごろは、幹部クラスの捜査員の中に「あの人はずっと潜入していた」なんていう人がいたが、今はいない」(中堅、40代)

「公安といっても家族もいるし子供もいる。現在の警察制度では不可能だ」(中堅、30代)

「だいたい今の時代に身の危険を冒して中核派や共産党に潜入することに
生き甲斐を感じるような警察官なんていない」(幹部、50代)

多くの証言は1950年代から60年代を最後に投入が姿を消したことで一致している。

青木理「日本の公安警察」

投入は終わったか?

ある公安警察官は、中核派の活動家と接触するため、家出人捜索願いが出されている人物に身分を偽変して、印刷工、メッキ工と職を変え、その後、ジャーナリスト養成学校に入る。そして、社長と呼ばれる人間に偽変していた彼は、実に金払いのいい客を演じていたりもした。

●投入は終わったか?

最近になって公安警察官の教育用に作成された資料に目を通すと、
情報収集手段としての投入は、その用語自体が項目から消えている。

例えば、警察庁警備局が近年に作成した「警備情報活動の技術」と題された文書は、その手段として、
(1)一般視察
(2)尾行・張り込み
(3)面接
(4)基礎調査
(5)協力者作業
(6)写真
(7)録音
(8)公刊資料の活用

――を挙げるのみで、投入に関しての言及はない

いずれにせよ現在の公安警察において投入が行われていないことを証明することはできないが、
かつて実施されていたのは厳然たる事実である。
最近ではノンフィクション作家の小林道雄が著書『日本警察の現在』の中でこう記している。
「かつて私が迫った警視庁公安1課1担2係の工作員であるR巡査部長は、
警視庁にはまったく顔を出していなかった。
中核派の活動家と接触するため、家出人捜索願いが出されている人物に身分を偽変して、印刷工、メッキ工と職を変え、その後、ジャーナリスト養成学校に入る。
そして、Fという中核派活動家とつながるためのアジトとして荒川区内にマンションを借り、他の協力者との接触場所として巣鴨駅近くのスナックをよく利用していた。その店では、社長と呼ばれる人間に偽変していた彼は、実に金払いのいい客だった」

これなどは限りなく投入に近い作業と言えよう。
だが何と言っても投入の代表例は1952年に発生した「菅生事件」であろう。
この事件は投入された公安警察官の目的が「情報収集」ではなく
「謀略」だったという点できわめて特異なもの
だった。

青木理「日本の公安警察」

菅生事件

●菅生事件

事件が起きたのは講和条約発効直後の1952年6月2日、
日付が変わったばかりの午前0時半ごろのことだった。
場所は熊本との県境に近い大分県直入郡菅生村(現・竹田市菅生)。
標高約600メートルほどの高原地帯にある住戸数わずか350程度の人里離れた寒村だった。

当時、夜の早い村民たちはすでに寝静まり、村は深い闇と静寂に覆われていた。
だが突如として鳴り響いた激しい爆発音によって、一瞬にして静寂は切り裂かれる。村の中央を貫いて大分―熊本を結ぶ県道に面した駐在所が爆破された瞬間だった。

事件は奇怪な展開を見せた。
事件発生時、現場近くにはなぜか数十人もの警察官がすでに待機しており、
直後に近くを通りかかった2人の共産党員をあっという間に取り押さえ、
“犯人”は一瞬にして逮捕されたのである。

さらに現場付近には新聞記者までが待ち受け、事件直後には早くも周辺で取材活動を展開していた。
記事は翌日の新聞に大きく掲載される。駐在所巡査の妻との会見記だった。

「私は昨夜、駐在所が爆破されるのを知っていました。
主人から今夜共産党が駐在所に爆弾を投げ込みに来ると聞かされました」


なぜ、このような寒村で起きた「爆弾テロ」の発生時、大量の警察官が現場で待機していたのか。
そしてなぜ、新聞記者までが居合わせたのか。
謎ばかりが多い事件
だった。

青木理「日本の公安警察」

消えた男

警察は、公安の関わる事件は、強弁して誤魔化そうとする。
菅生事件の時の警察は、偶然爆破事件に遭遇したと強弁し続けた。

●消えた男

起訴された共産党員らが被告となった法廷の場で逮捕経緯の不可思議さを突かれると、警察側は現場待機の理由を
「牛の密殺事件の容疑者として共産党員を検挙すると聞いていた」などと証言し、
牛泥棒の捜査中に偶然爆破事件に遭遇したと強弁し続けた。

結局、大分地裁は1955年7月、逮捕された共産党員ら全員に有罪判決を言い渡したのである。

一方、被告たちは公判延の場でこう訴えた。
「事件2日前の5月30日の夜、知人の市木春秋という男から連絡があった。
『先日約束した西洋紙や壁新聞用のポスターカラーなどを寄付したい。
ついては夜12時の時間を厳守し、駐在所近くの中学校の便所まで来てくれ。
君たちと連絡していることがバレると危険だから、時間に遅れないでくれ』と。
私たちは『必ず行く』と返事をした」


被告らは爆破事件の直前、現場付近で市木春秋なる男に会っている。
時刻は午前0時15分だった。

市木は被告らに「約束の西洋紙は買ってきたが、人目について持ち歩けなかったので、バス停留所の下の店に預けてある」と話し、
「もう時間がない。話は明晩にしてくれ」とだけ言い残すと足早に現場から立ち去った。
爆発音が村内に響き渡ったのはその直後。
市木春秋という謎の男は、それきり忽然と村から姿を消したのである。

青木理「日本の公安警察」

正体は公安警察官

弁護団が真犯人を追跡捜査していると、
戸高公徳という隣町に住んで失踪した警官を見つけた。
当時の国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だった。
弁護団は戸高の写真を持ち帰り、市木を知る村民らに見せた。
「間違いない」――多くの村民が同一人物であると証言した。
事件は一転して、公安警察による謀略事件だった疑いが浮上した。

●正体は公安警察官

弁護団の調査などによると、市木が村に姿を現したのは事件直前の52年春のことだった。
当時、菅生村では旧地主層と旧小作民層の対立が激化し、
米軍が村近くの広大な土地を演習場とする方針を明かしていたため、
地元農民たちによる反対運動も勃興
していた。

そんな菅生村にやって来た市木は、
現場近くに下宿しながら村内の製材所で会計係として働き
被告らに「協力したい」と持ちかけながら接近を図った。
被告たちの気を引くため、市木は時に共産党への入党を申し込み、
時には脅迫状を書いて駐在所に投げ込んだりもしていた

だが生い立ちや経歴など、その人となりのほとんどは謎に包まれていた
弁護団やマスコミの興味は市木春秋という男に集まった。

事件後、市木なる人物の調査に乗り出した弁護団はまもなく、
菅生村のある直入郡の隣に位置する大野郡に52年ごろから行方不明になっている警察官がいることをつかむ
名前を戸高公徳
当時の国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だった。
弁護団は戸高の写真を持ち帰り、市木を知る村民らに見せた。
「間違いない」――多くの村民が同一人物であると証言した。
事件は一転して、公安警察による謀略事件だった疑いが浮上
した。

青木理「日本の公安警察」

マスコミが接触

●マスコミが接触

事件から5年後の1957年3月中旬。
菅生村からはるか離れた東京・新宿の歌舞伎町にほど近い一角で、
共同通信の取材チームが息を潜め、
木造の古びたアパート「春風荘」を張り込んでいた。

記者たちは、このアパートに市木春秋こと戸高公徳が潜伏しているとの情報を得ていた。
彼らの取材では、8室しかないアパートの中で7室までは居住者が女性。
唯一の男性居住者が「東大文学部研究生、佐々淳一」を名乗る男だった。
戸高の可能が高いと判断した取材班はアパートの1室に踏み込んだ


取材班の1人に加わっていたジャーナリストの斎藤茂男は著書の中でこう記している。
「出てきた人物は、かねがねわれわれが毎日内ポケットにしのばせて、
すっかり頭にしみ込んでしまっていた戸高公徳の写真そっくりの男だった。
しかし『私は戸高じゃない。関係ありません』というその男と押し問答になったあげく、向こうが『じゃあ、外へ出よう」と言い出して、アパートを飛び出した」
(「夢追い人よ」)
この日の取材では結局、男は自らが戸高であることを認めなかった。
だが共同通信と警察庁による交渉の結果、翌日になって取材班の前に男は警察庁幹部とともに再び現れ、自らが戸高公徳であることを認めたのである。

青木理「日本の公安警察」

裁判で明かされた真実

「共産党員による駐在所爆破事件」は、無実の共産党員を陥れて、爆発犯に仕立て上げ、共産党を危険な集団に仕立て上げるために、地元の共産党周辺へと投入された公安警察官らによる「謀略事件」だったのである。

●裁判で明かされた真実

事件は急展開した。
直後の衆院法務委員会で法相中村梅吉は、この事件で戸高を使って
"オトリ捜査"をしたと述べ
、戸高自身も4月22、23の両日、検察、弁護団両側の申請によって福岡高裁の証人席に立ち、国警大分県本部の上司の命令で菅生村の共産党組織へ潜入していたことを認めたのである。

事件後、市木はマスコミに見つけ出されるまで警察の庇護を受けながら東京・福生など都下を転々とし、56年には東京・中野の警察大学校に住民票を移して潜伏していた。当時の警察庁長官は国会で追及され、ついにこう答弁した。

「大分県警備部長が命じ、戸高君は菅生村に赴いた。
警察官という身分を秘匿し、製材所の主人にお願いして働きつつ、
党の関係の方々とも接触するということによって情報を収集するという任務を果たすことになった」


一方、逮捕された共産党員によって駐在所に投げ込まれたとされてきた爆弾についても、鑑定の結果、あらかじめ駐在所内部に仕掛けられていたことが判明。

1958年6月、福岡高裁は爆破事件については、共産党員らに有罪を言い渡した原判決を破棄し、全員無罪の判決を下した

寒村で突如として起きた「共産党員による駐在所爆破事件」は、
地元の共産党周辺へと投入された公安警察官らによる謀略事件だったのである。

青木理「日本の公安警察」

地検次席検事の回想

自民党議員を逮捕せず、起訴もしないことから、警察と検察の癒着も一般人にバレてきたが、この事件でも実は、検察もグルで知っていた。
つまり、公安の犯罪に検察も加担して、巧みに揉み消す協力をしているため、
起訴されたり、責任を取らされずに、自由気ままに謀略活動ができる仕組みになっているのである。

●地検次席検事の回想

菅生事件の発生当時、大分地検次席検事だった
弁護士坂本モク次が回想録『自身への旅』をまとめたのは1988年のことだ。
この中で坂本は、菅生事件が発生する前の段階で、
事件への警察官の介入を知っていた
ことを明かした。
「『自身への旅」や坂本さんの話によると、(略)(事件の)2、3週間前、
警察の幹部から情報源を隠してダイナマイトや導火線などの捜索令状を取ってくれないか、と坂本さんに相談があった。
坂本さんが『情報源を明らかにしないと裁判官が納得せず、令状は出ない』と断った


情報源が共産党に潜入している警察官であることを感じた坂本さんは
『情報源をはっきりさせて爆発物を押収せよ』と迫ったが、
幹部は『それは無理だ。それじゃ仕方がないから予定の行動を取る』と言った。
坂本さんは『それは危険だ。新聞記者にばれますよ』と注意したが、
『大丈夫、ばれないようにやる』と答えた
という。
事件発生後、捜査担当検事が共産党員のほかに氏名不詳の一人が関与しているという起訴状を決裁に来た。
坂本さんはその人物が現職警察官であることを感じていたが、担当検事が何も言わなかったため、所在捜査などの指示をしなかった。
この警察官がだれであるかは事件後、警察幹部から耳打ちされたという」(88年9月5日共同通信配信)

青木理「日本の公安警察」

出世した公安警察官

大川原化工機捏造事件でも、事件を捏造した公安警察官たちが出世していったのに、驚く人が多かったが、基本的に、公安はバレても責任を取らせず、出世させる仕組みになっている模様。この戸高公徳という悪徳警官も、ノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。まるで893の務所帰りのような扱いになっている。

●出世した公安警察官

謀略工作のため投入されていた公安警察官、戸高公徳はその後、どうなったか。
大分地検は戸高を爆発物取締罰則違反で起訴し、その後福岡高裁も戸高の有罪を認定したが、結局は「爆発物に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除される
驚くべきはこの後の戸高に対する処遇だった。
警察庁は有罪判決からわずか3ヵ月後、警部補としての復職を認めたのである。
当時の警察庁人事課長はこんなコメントを出している。
「上司の命令でやむを得ず関係した気の毒な立場を考慮した。
今後も同じような犠牲者が出た場合を考えテストケースとしたい」
復職後の戸高は警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐などを歴任して警視の地位まで昇任。

85年、警察大学校術科教養部長を最後に退官した。
ノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。

青木理「日本の公安警察」

息づく"亡霊”

●息づく"亡霊”

事件から37年以上もの時を経た1989年10月25日。
いわゆる「パチンコ疑惑」の論戦が繰り広げられた参院予算委員会で、
再び「戸高公徳」の名が物議を醸す
取り上げたのは社会党議員の梶原敬義。
梶原は、警察職員や家族を対象にした傷害保険代理業を目的に設立され、
職員の4分の3を警察OBが占める「たいよう共済」の常務に

問題人物が就任していることを明らかにした。戸高公徳のことだった。
「たいよう共済」は、パチンコ業界にプリペイドカードを導入しようと設立された
「日本レジャーカードシステム」の資本金のうち9パーセントを出資
しており、
梶原は陰謀工作に関与した人物が、こんなところにも顔を出している。
たいよう共済を警察の身代わりにして業界を取り仕切ろうとしている疑いが強い」などと訴えた。

手元にある「たいよう共済」の法人登記簿をめくる。
確かに「戸高公徳」の名前は刻まれていた。
それによると、戸高は1987年同社の代表取締役に就任。
95年5月まで役員を務めていた。

菅生事件の"亡霊"は事件から40年以上を経ても警察組織の中枢でひっそりと息づいていた。
そしてプリペイドカードは今も巨大な警察利権の1つと指摘されている。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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