恐るべき公安⑥-02公安と宗教団体「公安の犯人隠蔽体質
悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。
青木理「日本の公安警察」
青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動
組織を揺さぶる告発
1通目の紙爆弾
衝撃的な告発の手紙は以下のようだった。
「国松警察庁長官狙撃の犯人は警視庁警察官(オーム信者)。
既に某施設に長期間監禁して取り調べた結果、犯行を自供している。
しかし、警視庁と警察庁最高幹部の命令により捜査は凍結され、隠蔽されている。」との告発が寄せられたが、一部を除いてマスコミは無視。
公安の捜査というのは、基本的に、アジトの視察や対象団体内に養成した協力者からもたらされる情報によって成り立つ「スジ捜査」であり、悪く言えば”見込み捜査”である。正しい証拠を積み重ねる捜査ではなく、いい加減。
2通目の紙爆弾
衝撃的な告発の手紙の第二弾は以下のようだった。
「警察史上、例のない不祥事と批判され、当庁の威信は地に落ちると思います。
警察庁と警視庁の最高幹部が、自己の将来と警察の威信を死守するため
真相を隠蔽されようとしても真実は真実です。
被疑者が法的にも社会的にも組織的にも許されないことは当然ですが、
組識を守るためとして、この事件を迷宮入りさせ法の裁きを受けさせなくするため
被疑者の口を封じようとする有資格者の動きは恐ろしく
これを見逃すことは著しく正義に反すると思います。」
警察にあるまじき不都合なことは隠蔽したがる性質が伺いしれる。
公安部長更迭
公安の隠蔽工作がバレたことで
公安経験が一切ない暴対部長の公安部長着任することになった。
だが、公安警察にとっては”屈服”をも意味するきわめて異例の人事だった。
さらに、公安部内にはキャリアとノンキャリアの対立、
そしてノンキャリア内での派閥抗争もくすぶり続けていた。
情報収集とその徹底的な保秘を信条とする公安警察にとっては、
言い訳のしようがない信じがたい失態だった。
隠蔽工作がバレて大きなダメージを受けた。
そして、監視対象を広げて、国民をさらに敵視するようになり、
大量監視、密告などファシスト化に突き進んでいくことになる。
信者警官はわかっていた
入力情報が暗号化されていたため解読に時間を要したものの、
ディスクには教団信者名簿が記憶されていたことが判明。
同時にK巡査長が現役の信者であることが発覚した。
だが、公安はそれを公安部長にのみ知らせ、隠蔽した。
そのため、言い換えれば公安警察官に関わる人事情報が、
公安警察内でのみやり取りされ、それが公安部によって握り潰された
――こうした事実に、公安警察の排他性、密室性を感じずにはいられない。
公安警察であるが故にはまり込んだ陥穽によって、
現職公安警察官の自供事件を引き起こした。
その結果として組織のシンボルともいえる公安部長が更迭され、
前代未聞の巨大な打撃を受けたのである。
オウム信者が公安警察内に入り込んでて、警察庁長官を狙うという前代未聞の事件だった。しかし、同じように、統一協会も信者が中央官庁や警察や公安警察に入り込んでるのにも関わらず、なぜ統一協会はオウムと同じように強制捜査されないのか?その辺からも公安と統一協会の癒着が伺い知れる。
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。
もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より