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恐るべき公安👮‍♂️⑧-03監視テクノロジー「弱みを握るマイナンバー」

恐るべき公安⑧-03監視テクノロジー「弱みを握るマイナンバー」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



整備進む治安法と総背番号制

盗聴法とオウム新法

●盗聴法とオウム新法

監視と管理のシステム進化はテクノロジーによるものばかりではない。
法律面ではさらに顕著だ。

1999年8月12日に盗聴法が可決、成立したのに続き
同年12月3日にはオウム真理教対策のための団体規制法
「無差別大量殺人行為を行った団体の規制法」などのいわゆる「オウム新法」が成立した

いずれも本書がテーマとしてきた公安警察、
公安調査庁を始めとする組織が深く関与する一種の治安立法である。

盗聴法に関しては語る必要すらないだろう。
公安警察は過去に、情報収集を名目として、非合法の内に盗聴を常習的に実行し、
その事実が法廷も含めた場で見事に発覚した後ですら
「過去にも現在にも一切行っていない」と強弁し続けてきた


神奈川県警における信じ難い不祥事とその隠蔽体質を引くまでもなく、
相変わらず厚いベールに包まれたままの現在の治安機関
に、
盗聴を合法化する法規を委任できる信頼感と制御能力があるとは思えない

オウム対策を名目とする団体規制法に関しても同様だろう。

だがオウム真理教の「脅威」を事前に察知すらできなかった公安警察、公安調査庁が事後になって、地域住民の声に乗じたようにオウムの危険性を声高に訴え、治安法を欲する姿をどう分析すればよいのか。

新たな団体規制法については第2東京弁護士会の組織犯罪対策立法問題ワーキンググルーブも1999年11月、
「一般市民の反感を利用して一気に法案の成立を図るようなことは避けるべき」とする意見をまとめ、
公安調査庁と警察に強大な権限を与える同法の危険性を指摘して
「濫用の危険の大きい緩やかな要件と、極めて広汎かつ徹底した権利制限を内容とする本規制法は、現憲法に抵触するおそれが大」と指摘した。

だが同法によって、観察処分下に置かれた団体(当面はオウム真理教)の施設や関連場所に対しては、公安調査官と警察官に立入検査権が与えられることになった。

その際には令状取得の必要はなく
また「検査を拒み、妨げ、忌避したものは1年以下の懲役または50万円以下の罰金」にする罰則規定も設けられた
検査場所は事前に公安審査委員会に届け出ることが義務づけられているが、
公安審が却下することは事実上不可能で、
現実的には公安調査庁の判断によって場所の選定が行われる。
では、立ち入り検査の範囲が広がる恐れはないのか
――。

これもまた、公安機関の性癖を踏まえたならば、その危惧は限りなく大きいと判断せざるを得ない。
まして公安調査庁に至っては、前章でも詳述したとおり、「共産党調査」や「過激派調査」を名目とし、市民団体やマスコミ関係団体にまで調査の触手を伸ばし、
組織延命のためには「特定の政治勢力」と連携することすら内部文書に明記するようなメンタリティーを抱えた組織
なのである。

青木理「日本の公安警察」

改正住民基本台帳法

●改正住民基本台帳法

盗聴法とほぼ同時に成立した改正住民基本台帳法と公安警察との”関係”についても簡単に触れておきたいと思う。
1999年8月、盗聴法の直後に成立した改正住基法は、
全ての国民に10桁の番号を付け、
氏名、住所、性別、生年月日の4情報をコンピューターでネットワーク化することで行政事務の効率化を図り、
希望者には住民基本台帳カード(ICカード)を交付するという制度
だ。

法案成立にあたって政府は強く否定してきたが、
改正住基法がこれまで世論の強い反発を受け続けてきた国民総背番号制の第1歩であることは疑いない
将来は4情報以外にもさまざまなデータが入力され、政府によって一元管理されるのではないかという危惧の声も消えない
すでに選挙時の電子投票システムが構想され、その際に住民基本台帳カードの利用を検討すると自治省側は国会の場でも公言している。
活用の範囲が拡大するにつれ、インプットされるのが4情報だけですむわけがない

では、実際に多種多様な個人データが集約的に入力された場合、どのような事態が現出する恐れがあるのか。
そのモデルケースともいえる”実験”が、すでに島根県出雲市で行われている。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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