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恐るべき公安👮‍♂️⑥-01公安と宗教団体「公安の華々しいオウム殲滅戰」

恐るべき公安⑥-01公安と宗教団体「公安の華々しいオウム殲滅戰」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



オウム殲滅戰

井上嘉浩vs.公安

教祖の麻原を逮捕するためには、「何をしでかすか分からない過激分子」である井上嘉浩は、絶対に"事前除去"されなければならない対象だった。

●井上嘉浩vs.公安

1995年5月初旬、警視庁公安部は極秘裏に、東京・八王子周辺へ多数の公安部員を送り込んでいた。
部員たちに課せられた使命はオウム真理教の内部で「諜報省(CHS)」と呼ばれていた非合法活動組織のトップ、井上嘉浩の身柄を是が非でも確保することだった。
この頃、警視庁によるオウム真理教に対する波状的な強制捜査は最終局面を迎え、
教祖・麻原彰晃の逮捕に向けた動きもカウントダウンの態勢
に入っていた。
だが、そのためには「何をしでかすか分からない過激分子」である井上嘉浩は
絶対に"事前除去"されなければならない対象
だった。

八王子市内にオウム真理教の秘密アジトがあることをつかんでいた公安部はすでに、視察、尾行といった公安手法を駆使して周辺にある関連アジトを次々と割り出し、井上嘉浩と行動をともにしているとの有力情報が寄せられていた女性信者の出入りも確認していた
「井上がいる」――そう判断した公安部の作業は緻密を極めた。
1ヵ所のアジトを出た信者を追尾し、次のアジトへ辿り着くと直ちに視察拠点を設定した。

視察—秘匿追尾——基礎調査―そして視察。
公安警察の基本手法が忠実に、そして隠密裏に実行され、網を広げるようにアジトの包囲作戦は展開されていった。
新たに判明したアジトは情報を一元的に集約している幹部に直ちに報告された。
報告を受けた幹部は次々と前線に指示を飛ばした。

「そこには手を出すな」
「そこは慎重に基礎調査をした上で視察態勢に入れ」

すでに他の公安部員が別の信者の追尾によって辿り着き、視察に入っていたアジトもあった。手をつけていない新発見のアジトもあった。
すでに視察しているアジト周辺で別の部員が動くのはまずい。
現場の部員は情報を集約している幹部の指示に従い、現場の”コマ”として忠実に動いた。

全体像を把握しているのは指揮官たる幹部だけだった。
重要と判断されたアジトの視察には公安部の中でも公安1課の最精鋭部隊が割り振られた。

公安部は暗視カメラなどを駆使した24時間態勢の視察によって、間もなく八王子市内の入り組んだ住宅街にあるアパートに井上嘉浩がいると、確信に近い感触を得る。

青木理「日本の公安警察」

腰が重かった公安

オウム真理教は、かなり統一協会と共通する部分が見られ、
反共を旗印にしながら、ロシアに進出していたり、近年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に急接近していた新興の宗教団体であり、統一協会がKCIAの工作機関であるのと同じく、公安の工作機関であった可能性も否定できない。
オウムについて全く調べていなかったのは、統一地方選が近かったからなんていう声もあるが、真相などは不明のままである。
また、幹部たちは全員死刑になって、処刑されてしまい、真相が謎のまま、闇に葬られた点も留意しておく必要がある。

●腰が重かった公安

オウム真理教への捜査に関して言えば、当初、公安警察の動きは鈍かった。
むしろ、教団による一連の事件の発覚以前、公安警察は別の宗教団体に対する情報収集活動に着手していた。

反共を旗印にしながら近年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に急接近していた新興の宗教団体。
その動向によっては極東アジアの治安情勢に大きな影響を及ぼす不安定要素になりかねない、そう判断した公安警察は確実に情勢を把握しておかなければならないテーマに位置づけていた

オウム真理教に関しても、警視庁による強制捜査の前年、94年末ごろから警察庁警備局は、公刊物中心の基礎的データながらも教団の情報収集活動を開始していたとされる。
しかし、日本の公安警察における最大の実働部隊、警視庁公安部の腰は重かった。

1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の直後、警視庁幹部は率直な気持ちをこう吐露している。
3月24日段階の話である。

「警察庁は警視庁公安部に対して強い不満を持っているようだ。
94年末から「オウムを調べろ」と盛んに言ったのに、公安部が反応しなかったということらしい。
確かに、これだけの事態になっても公安部は麻原彰晃の日常的な立ち回り先すら割り出していないのが現実だ。
宗教を公安部が調べることに抵抗があったとか、
統一地方選が近かったからなんていう声もあるようだが、それでは公安警察とは言えない」


同じ日、別の警視庁幹部もこう証言した。
当時、最も注目されていた麻原の居所について尋ねた際の応答だ。
「警視庁公安部というのは、私はもっとしっかりした組織かと思っていた。
(教祖麻原の居所を)本当は分かってるんじゃないか、分かってて身内すら騙しているんじゃないか、そう思っていたんだが、どうも本当に分からないようだ」

青木理「日本の公安警察」

国松長官狙擊

「国松長官狙擊事件」は、警視庁公安部の決定的な転換点になる。
弛緩していたのが緊張感が高まり、公安1課にオウム情報の集約センターが置かれ、全国各都道府県警警備部が収集する教団情報が一斉に集まり始めた。

●国松長官狙擊

そんな警視庁公安部の雰囲気が激変する事件が3月30日に発生する。
警察庁長官国松孝次に対する狙撃事件だった。

事件捜査は曲折を経て、公安部指揮による異例の捜査体制が取られることとなる。
警察組織のトップに対する衝撃的なテロとはいえ、左右両翼による政治的意図を持った犯行と断じる材料がない以上、本来は刑事警察、中でも凶悪事件を担当する刑事部捜査1課が所管すべき事件だった。

だが当時、警視庁においては、捜査1課を始めとする刑事部門は、
教団への強制捜査の突破口となった目黒公証役場事務長拉致事件、
未曾有の被害者を生んだ地下鉄サリン事件などの捜査に全力を挙げている最中であり、新たな事件に人手を割く余裕はなかった

当時の警視総監井上幸彦が「全庁を挙げて教団捜査に取り組む」と明言し、
公安部に捜査を厳命したのも大きな要因だった。

この事件が、さまざまな意味において、警視庁公安部の決定的な転換点になる。
地下鉄サリン事件から教団への強制捜査へと至っても、どこか弛緩していた公安部の雰囲気は、長官狙撃事件によって一変した
ついに公安警察が本気になったのである。

この前後から警察庁警備局では、公安1課にオウム情報の集約センターが置かれ、
全国各都道府県警警備部が収集する教団情報が一斉に集まり始めた

長官狙撃事件の捜査担当は新左翼セクト担当の公安3課に割り振られた。
対共産党情報の収集機関として公安警察の中枢を担ってきたセクションである
警察庁警備局公安1課がオウムという一新興宗教団体の対応に追われるという
のは、戦後公安警察の歴史にとっても1つの転換点だった。

一方、警視庁公安部は筆頭課の公安総務課を中心に、
公安1課、2課が教団捜査・情報収集にフル回転を始め、
さらには外事1、2課までもが不動産業者やアパート、レンタカー業者のローラー捜査に駆り出され、
教団アジトの追跡、視察への総動員態勢が整った。

青木理「日本の公安警察」

微罪、別件を乱発

警察庁が「あらゆる法令を適用する」と宣言して以降、オウム信者は微罪、別件、ありとあらゆる手法が駆使されて片っ躍から逮捕された。
例えば、公務執行妨害はもちろん、カッターナイフを所持していれば銃刀法違反、
ビラをまきにマンション敷地内に入れば建造物侵入、
駐車違反や車検切れなどきわめて稀な逮捕も続いた。
一方で、教団の非合法活動を一手に引き受けていた井上の身柄を押さえないまま
教祖逮捕へと捜査の歩を進めれば、非合法部隊がどんな行動に出るか分からないと公安は考えていた。
今思うと宗教弾圧では?と思いかねない強引な微罪逮捕や強引な捜査が行われていたのに対し、多くの高額献金被害者を出し、「赤報隊」などへの関与も噂される統一協会への強引な微罪逮捕や強引な捜査が行われないことも謎である。
公安と統一協会の癒着が窺われる。

●微罪、別件を乱発

警察組織全体を俯瞰すると、オウム真理教捜査に対する体制は大きく2つに分割された。
すなわち地下鉄サリン事件、目黒公証役場事務長拉致事件など”本筋”の事件は刑事警察が担当し、
公安警察には教団アジトの割り出しや幹部信者の追跡、身柄確保など”脇の捜査”
が至上命題として付与
された。
刑事警察、公安警察、それぞれの得意分野が担当として割り当てられた形だった。

本気になった公安警察の勢いは凄まじかった。
警視庁公安部を中心にした公安警察は全国でオウム殲滅戦とも言うべき作戦を繰り広げ、アジトからアジトへの信者追尾、
名簿や内部資料の押収と教団の実態解明作業は急ピッチで進んだ

中でも公安部は次から次に都内の教団アジトを割り出し、その底力を見せつけた

地下鉄サリン事件直後、警察庁が「あらゆる法令を適用する」と宣言して以降、
信者は微罪、別件、ありとあらゆる手法が駆使されて片っ躍から逮捕された。
公務執行妨害はもちろん、カッターナイフを所持していれば銃刀法違反、
ビラをまきにマンション敷地内に入れば建造物侵入、
駐車違反や車検切れなどきわめて稀な逮捕も続いた。

全てが公安警察による逮捕権行使ではなかったものの、明らかに公安的手法の1つだった。
4月中旬までのわずか1ヵ月弱の間に、100人以上の信者が逮捕された。
大半が微罪だった


当時、公安部幹部はこう語っている。
「国民全体が狙われているとの観点から、概ね理解を得ているのではないか。
もちろん、この手法を他の事件で使われたらたまらないという指摘、
批判があることは承知している」

警視庁刑事部捜査1課を中心とした刑事警察の捜査も着々と進んでいた。

5月中旬までには教団幹部がサリン製造を認める供述を開始し、
地下鉄サリン事件の実行犯グループも特定されつつあった。
残るターゲットは教祖の麻原彰晃逮捕に絞られつつあった。
そのためには井上嘉浩の身柄確保という大きな障害が残されていた。
教団の非合法活動を1手に引き受けていた井上の身柄を押さえないまま
教祖逮捕へと捜査の歩を進めれば、
非合法部隊がどんな行動に出るか分からない
――警視庁はそう考えていた。

青木理「日本の公安警察」

井上逮捕

多摩地区周辺に約200人もの公安警察官を送り込む大々的なオペレーション組み、
追尾対象は「足立ナンパー、赤色のダイハツ・シャレード」と大勢の公安警察官を動員して、井上容疑者を逮捕した。

●井上逮捕

再び東京・八王子。視察を続けていたアジトから5月14日夜、不審な男女4人を乗せた乗用車が移動を始めたのを確認した公安部は、八王子を中心とした多摩地区周辺に約200人もの公安警察官を送り込む大々的なオペレーションを開始した。
追尾対象は足立ナンパー、赤色のダイハツ・シャレード

すでに教団関係者が使用していたとして手配されていた車両だった。

この日、東京地方は強い雨が降っていた。追尾する車のフロントガラスにも容赦なく雨が叩き付けた。
いったんは見失ったシャレードを、今は「あきる野市」と名前を変えた
当時の秋川市内の五日市街道沿いで公安部外事2課員が発見したのは午後11時過ぎ。
最寄りの福生警察署に任意同行された4人のうちの1人は間違いなく、井上嘉浩だった
八王子から山梨県上野原町に新たに設定したアジトに移動する途中での逮捕劇だった。

井上は髪を茶色に染め、特徴的だった口髭を剃り落としていた。
調べに対しては「黙秘します」と言ったきり口をつぐんだが、指紋照合の結果、
本人であることが確認されると公安部幹部に安堵が広がった

一緒にいた男女のうちの1人はのちに地下鉄サリン事件の殺人容疑で逮捕される豊田亨だったことが分かる。
時計の針は0時を越え、すでに15日未明になっていた。

青木理「日本の公安警察」

麻原逮捕

●麻原逮捕

麻原教祖逮捕に向け、最大の障害は公安警察の活躍によって除去された。
警視庁捜査1課は直ちに地下鉄サリン事件の殺人容疑で麻原教祖を含む信者41人の逮捕状を取得し、翌16日朝から一斉逮捕に踏み切る。
山梨県上九一色村の教団施設第6サティアン内に隠れていた麻原教祖を発見、
逮捕したのは午前9時45分のこと
だった。

「麻原逮捕」の報を受けた警視庁公安部公安総務課の幹部はこういって顔をほころばせた。
「これで一段落だ。公安部のスタートは確かに遅かったが、
アジト摘発や追跡など、結果的には公安警察の手法が存分に生かされた。
極左に比べるとアジトの秘密保持や移動時の警戒が緩くて楽だったよ」


立ち上がりの遅れが批判を浴びたとは言え、幹部の言葉どおり、
長官狙撃事件を契機とし、公安手法のほんの一部、それもきわめてイレギュラーな形だったものの、その本領を発揮し得た約2ヵ月間が、
公安警察が最も”公安警察らしさ”を発散して教団捜査へ邁進した”幸せな”時期だった。

それから約1年半後、公安警察を総力戦へと突き動かす契機となった長官狙撃事件が、公安警察の組織を根底から揺さぶる事態を引き起こすことになる。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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