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恐るべき公安👮‍♂️④-01謀略工作部隊サクラ「“サクラ”とは?」

恐るべき公安④-01謀略工作部隊サクラ「“サクラ”とは?」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



「サクラ」部隊

公安警察の暗部

「サクラ」とは、全国の公安警察において行われる限りなく非合法に近い、あるいは非合法そのものの活動を統括する組織だった。また公安警察が運営する協力者獲得作業の指示、あるいはスパイ管理を一手に引き受ける機関でもあった。

●公安警察の暗部

東京・中野のJR中野駅にほど近い一角。
コンサート会場や結婚式場として有名な中野サンプラザの裏手あたりに広大な敷地を有する警察大学校がある。
この敷地内にかつて、古びた木造の建物があった。入り口には縦長の看板。
黒い字で「さくら寮」と記されていた。
こここそが戦後間もなくから日本の公安警察に存在する秘密部隊の本拠地だった。
その組織は「四係」と呼ばれていた。
地方分権を建て前としながら、中央集権的な機構を持つ公安警察の中枢として
全国の公安警察官の活動を指揮・管理する裏組織

いつしか警察内や関係者の間では「サクラ」の隠語を冠されて呼称されるようになる。

この組織がつくられたのは1952年、2章でも触れた血のメーデー事件が契機とされる。
当時、活動を活発化させていた共産党に対抗することを名目として公安警察内に設置され、共産党や関連団体の内部情報、あるいは共産党側から警察内部への工作活動から組織を防衛するために結成されたとの説が有力だ。

茨城県警の警備部長(警視正)を最後に退官した江間恒は1980年7月、
共産党衆院議員の池田峰雄にこう語っている。
「警察庁の出発過程の警備課時代、1係は左翼、2係は右翼、3係は外事だった。
そこで4係ができた。いわゆる工作担当で、私は当時、その総務担当警部だった」

「サクラ」とは、全国の公安警察において行われる限りなく非合法に近い、
あるいは非合法そのものの活動を統括する組織だった。
また公安警察が運営する協力者獲得作業の指示、あるいは管理を一手に引き受ける機関でもあった。

組織の全貌は、今も厚いベールに包まれている。
だが、いくつかの資料、そして証言を基に外形を追うことは可能だ。
菅生事件の戸高公徳が事件発生後の潜伏中、中野の警察大学校に住民票を移していたことがあったのもむろん、「サクラ」と無縁ではないはずである。
戦後公安警察の暗部を辿っていくと、糸は全てが中野へと収斂されていく。
「サクラ」とはいったい何をなしてきた組織なのか。

青木理「日本の公安警察」

発足直後の「サクラ」

●発足直後の「サクラ」

2章で触れた栃木県警文書を思い返してほしい。
同文書は1954年警察法施行直後から、警察庁の指示を受けて4係が栃木県で活動を本格化させ、非合法活動にも手をつけていった様子が克明に記述されている。

「組織運営方針4係長は1係長兼務であったものを、
昭和29(1954)年7月、警察制度改革を機会に、専任警部1人を配し、
班長(警部補)以下8名、合計9名を以て班活動の推進にあたっているが、
班活動の推進は綜合された力によって成果を期待しうるものであることに鑑み、
少数精鋭主義をとり、班のチームワークの維持と、技術活動の高度化をはかるため、常に係長を中心に集団検討会を持ち、班の指導教養に最大の努力を払っている」

結果、どのような成果を生み出したか。文書からの引用を続ける。

年間において新に発見した人、場所に対する基礎調査件数は総計257件に及び、
その内主要なものとして、アジト28ヶ所(略)レポ(含ランナー)7名、
重要活動家の割り出し18名の把握究明に成功し、このために設置した拠点数は総計157ヶ所に及んでいる。

その間、県V仕事場1、同ポスト2、県Vキャップ、アジト1の獲得に成功し、
その結果、秘匿撮影123回、秘聴4回、誘致3ヶ所を実施し、党内資料1135種類を入手した。
各署に対する技術面の指導は4係をして具体的系統的にその活動を推進せしめた結果、特別協力者のみをあげれば、昭和28年度34名に対し、昭和29年度は51名で、
本エンドに至って更に59名となり、8名の増加をみており逐次向上の一途を辿っている」

「秘聴」とは盗聴工作のこと。
明確な非合法活動である。協力者も確実に整備されていった。
同様の文書は福島県警でも発覚している。全て4係ことサクラ部隊による仕事だった。

盗聴は「サクラ」部隊を中心とし、古くから公安警察、
あるいは公安調査庁が常習的に使用してきたとみられる情報収集の手口
だった。
例えば、日弁連の人権擁護委員会は1968年の『人権白書』で、
警察などによる盗聴事件を取り上げ、

発覚した事件が
(1)盗聴が社会党、労働組合に及んでいる
(2)盗聴器が非常に精巧になっている
(3)表面化したのは氷山の一角
(4)違法を覚悟で、犯人を隠して強行している
――と分析
している。
さらに盗聴の範囲が自民党にまで及んでいる疑いすら指摘
「盗聴の対象は、共産党にとどまらず、社会党から自民党に至るまで拡大され、
表現の自由、結社の自由が危殆に瀕していると云っても過言ではない」と述べ、
1951年から1967年までの間に「共産党、社会党、労働組合等の関係者に対する盗聴器事件の判明せるもの」
が21件
に上っていると断言し、こう結論づけている。

「大半は犯人が不明であるが、その犯人がわかったものは、何れも警察、あるいは公安調査庁関係者であることが一応疏明される

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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