見出し画像

恐るべき公安👮‍♂️⑤-03右翼と公安の友好「外事警察とKCIAの工作」

恐るべき公安⑤-03右翼と公安の友好「外事警察とKCIAの工作」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



右翼と外事

外事警察

公安の中の「外事警察」にとって、最大の目的は「スパイ摘発」。
東京・日野市には北朝鮮などが発する無線傍受を専門に行う「ヤマ」と呼ばれる極秘部隊も存在するという。

●外事警察

さて、ここで公安警察の一部門である外事警察についてもごく簡単に触れておこう。
外事警察の中枢は警察庁警備局の外事課であり、手足となるのは警視庁公安部の外事1、2課を筆頭とする全国都道府県警の外事課である。

「主として外国人にかかる、又は外国のためにする国の公安もしくは利益に関わる犯罪の取り締まり並びに在日外国人の各種社会運動に伴う不法事案の取り締まりを行う」
とされる外事警察にとって、最大の目的は「スパイ摘発」であり、同種事案として精密機器などの不正輸出事件なども重要テーマに位置づけられている。

だがスパイ行為を直接取り締まる法令は日本になく、窃盗や外為法、外登法など別件での捜査が進められてきた
それでも東西冷戦構造下では、数多くの「スパイ事件」が摘発されている。
旧ソ連関係のごく一部のみを挙げれば、古くは在日ソ連通商代表部2等書記官ユーリ・A・ラストボロフが外務省などの事務官を通じて情報収集を行っていたとされる事件(ラストポロフ事件)を1954年、警視庁が摘発している。
また1980年、在日ソ連大使館付の武官コズロフらの工作を受け、
陸上自衛隊の元陸将補が謝礼と引き替えにかつての部下から入手した
資料を流していた事件が発覚
している。

だが東西冷戦が終焉を迎えた近年、その動きは停滞気味だ。
旧ソ連や東欧を守備範囲とする警視庁外事1課が
97年7月、失踪した日本人になりすまして旧ソ連時代から
30年以上も日本国内で情報収集にあたっていたアジア系ロシア人の摘発に乗り出すなど最近も数件の事件が発覚しているが、近年は不法就労イラン人対策までを外事警察が手掛け
かつてキャリアの警察官僚の指定席だった同課の課長ポストはノンキャリアが座っている

変わって現在は、朝鮮半島や中国を担当する外事2課長にキャリアが着任。
99年には外事2課を中心に50人程度で「北朝鮮プロジェクト」と呼ばれるチームも発足し、
公安警察内でも重要視されている北朝鮮関連の情報をスムーズに警察庁へと吸い上げる体制が取られるようになった

また詳細は不明だが、東京・日野市には北朝鮮などが発する無線傍受を専門に行う
「ヤマ」と呼ばれる極秘部隊も存在する
という。
一方、朝鮮総連に対しては、公安警察の基本作業、特に協力者工作が盛んに実施されている
これは公安調査庁も同様であり、朝鮮総連を通じた北朝鮮情勢の把握、及び団体の動向確認を視野に入れている

1998年3月には警視庁公安部に外事特別捜査隊という新部門も発足している。
人員は約70人で、配下に置かれているのは3つの班
狙いは相次ぐ中国からの密航者と中国の密航斡旋組織「蛇頭」である。

中国からの密入国者を対象にした警視庁公安部の動向としては、
89年5月、警察庁の指示に基づき同部外事2課を事務局として、
公安、刑事部などで構成する「偽装難民対策班」を置いたことがあったが、
密入国に的を絞った外事特捜隊設置は全国でも初めての試みだった。
密入国斡旋組織の捜査に公安警察が乗り出す以上、目的はもちろん「蛇頭」の組織解明となるが、
「人員の問題もあり、現実には難しい」(公安部関係者)のが現状のようだ。
さて、外事警察が関わった事件ではかつて、その捜査が政治と国境の壁によって
挫折に追い込まれた事件があった。
今や韓国の大統領となった金大中の拉致事件である。

青木理「日本の公安警察」

金大中拉致事件

KCIA(韓国中央情報部)の工作要員・金東雲拉致したのではないか?と容疑者に浮上したが、帰国していたため、逮捕できず。
両国の政治家同士が”政治決着”をし、捜査本部は事実上解散した。

●金大中拉致事件

事件が起きたのは1973年8月8日のことだった。

この2年前に実施された韓国大統領選で軍事独裁政権という悪条件下で善戦し、
大統領朴正熙からは最大の政敵とみなされていた韓国野党の若き指導者・金大中
は当時、東京・高田馬場に事務所を構え、日本で韓国の民主化を訴える運動を続けていた。
そんな金大中が飯田橋のホテル・グランドパレスから突如、拉致されたのである。

ホテルの部屋から出たところを5、6人の男に拉致された金大中は、車に乗せられて高速道をひた走った後、いったんビル内に連れ込まれて船に乗せられた。

当初、船から海中に投げ込んで殺害する予定だったとみられる計画は変更され、
拉致から5日後の8月13日夜、ソウルの自宅近くで解放された。


日本では警視庁公安部が外事2課を中心として捜査に着手。
現場の遺留指紋などから犯行グループの一員として、
当時の在日韓国大使館一等書記官でKCIA(韓国中央情報部)の工作要員・金東雲が浮上
した。
公安部は9月5日、韓国大使館を通じて金東雲に出頭を求めたが、本人がすでに帰国していた上、韓国側が拒否したため捜査は暗礁に乗り上げた

事作は田中角栄時代に韓国首相金鐘泌が来日して陳謝するなど田中、三木武夫の両首相時代に日韓時政府間で2度にわたる"政治決着"が図られ、83年には警視庁公安部の捜査本部は事実上解散
今も建て前上、数人の捜査員を充てて継続捜査の体制を取ってはいるものの、
他の事件との兼任で専従員はおらず、捜査は実態上は終了したと言ってよいだろう
結局のところ、公安部の捜査は政治と国境の厚い壁に阻まれた

青木理「日本の公安警察」

KCIAの組織犯罪

「東亜日報」でKCIA海外工作チームが行った、と告白。
当時のKCIA次長補李哲熙とのインタビュー記事を掲載し、
再び情報部職員が政治工作に利用されてはだめだと考え、証言する
「国民に心から謝罪する」との謝罪を掲載した。
国家が異なるとはいえ、体制の庇護者としての治安・情報機関が
政治工作の極限において噴出させる異常行動の性癖を感じさせる事件だった。

●KCIAの組織犯罪

98年2月19日、韓国の有力紙「東亜日報」は同日付の紙面で、事件が韓国中央情報郎(KCIA)による組織的犯行だったことを示す文書の存在を記事にした。

文書は79年3月付の「KT工作要員実態調査」(KTは金大中のイニシャル)。
金大中を東京で拉致してソウルへ移送するまでの要員や船員の氏名や役割が細かく記されていた

それによれば、犯行の中心人物はKCIA部長李厚洛、同次長補李哲熙らKCIA幹部で、駐日韓国大使館幹部が日本での作戦の責任者だった。
ホテル・グランドパレスで直接拉致したのは同大使館付の一等書記官らKCIA要員。文書は拉致作戦を8段階に分けてそれぞれの関与者までを明記していた。

同じ紙面で「東亜日報」は当時のKCIA次長補李哲熙とのインタビュー記事を掲載。
李哲照は「事件は73年春、李厚洛が『金大中を無条件に韓国に連れてこい』
と指示したことによりKCIA海外工作チームが行った。国民に心から謝罪する。
再び情報部職員が政治工作に利用されてはだめだと考え、証言する」

と述べたことを伝えた。

国家が異なるとはいえ、体制の庇護者としての治安・情報機関が
政治工作の極限において噴出させる異常行動の性癖
を感じさせる事件だった

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


いいなと思ったら応援しよう!