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公安の手口🚓②-04公安組織と歴史「誕生と拡大の経緯」

公安の手口②-04公安組織と歴史「誕生と拡大の経緯」

新右翼の「一水会」の元会長が、公安警察に追われて使われた
エゲツナイ卑劣な手口の数々を「公安警察の手口」の本を元に
見ていきます。

鈴木邦男「公安警察の手口」

鈴木邦男「公安警察の手口」

鈴木邦男(すずき・くにお)
1943年福島県生まれ。67年、早稲田大学政治経済学部卒業。
70〜73年、産経新聞社に勤務。
学生時代から右翼・民族派運動に飛び込み、72年に「一水会」を創り、「新右翼」の代表的存在になる。99年12月に「一水会」会長を辞め、顧問になる。現在、月刊「創」など にコラムを連載中。
主な著書に、『新右翼』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社文庫)、『言論の覚悟』(創出版)、『ヤマトタケル』(現代書館)などがある



公安警察の誕生

●公安警察の誕生

次に、公安の歴史についてざっと触れてみる。
1945年8月、日本は戦争に敗けた。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【国民を抑圧し、監視し、何かというとすぐ逮捕し、拷問する特高(特別高等警察)の廃止】

【国民を抑圧し、監視し、何かというとすぐ逮捕し、拷問する特高(特別高等警察)の廃止】

アメリカの自由と民主主義がドッと入ってきて、政治も社会も教育も全てが変わった。そうした時代のなかで、警察の在り方も大きく変わった。
悪名高い特高(特別高等警察)、治安維持法は廃止され、共産党幹部は釈放された。
国民を抑圧し、監視し、何かというとすぐ逮捕し、拷問する旧い警察はなくなったのである

鈴木邦男「公安警察の手口」

【警察の存在理由は大きく変わった】

【警察の存在理由は大きく変わった】

敗戦を境に、日本の警察は国民の警察、民主警察になったはずだった
戦前・戦中は警察が国民の「思想」を取り締まったが、
これからは個人が心の中で何を考え、発表しようと自由であり、思想・表現の自由が約束された。その自由や民主主義を守るために警察は存在し、警察の存在理由は大きく変わったのである

事実、敗戦直後、人権指令や政治犯の身柄釈放などが矢つぎ早に行なわれ、
1945年10月には特高的な旧悪を一掃する措置が次々と断行された。
特高は全て廃止され、保護観察、予防拘禁なども廃止された。
治安維持法、思想犯保護観察法、警備局保安課も廃止された。
警察が個人の思想を監視することはもうないと思われた

鈴木邦男「公安警察の手口」

【公安警察の誕生】

【公安警察の誕生】
ところがこの警察の大改革の二ヵ月後の12月14日、
各府県に警備課(後にこのなかに公安課が設置される)が設置される
「公安警察」の誕生だ。しかし、この誕生には謎がある
敗戦からたった4ヵ月で、警察の民主化を進めている真っ只中に
こんな「反動的」なことが行なわれたのはなぜだろうか


考えられる理由としては、アメリカ占領軍が、「民主化」の行き過ぎに気づいたからだろう。このままでは共産党が政権をとるかもしれず、そうなれば中国、ソ連が大きな影響力を持つかもしれない。
刑務所から釈放された徳田球一ら共産党幹部は占領軍を「解放軍」といって称えた。また、野坂参三は中国から帰国し、凱旋将軍のような熱烈な歓迎を受けた。
「これはやり過ぎたか」「これは危ない」
と占領軍は危機感を募らせ、共産党をどう見るかで、
占領軍内部のGS(民政局)とG2(参諜二部)の対立もあった。

さらに日本政府の危機感もあった。

だが、占領軍と日本政府が最も恐れたのは、治安の「真空状態」であろう。
12月に各府県に警備課が創設されたが、はじめはそれほど政治的な思惑はなかったのかもしれない。
当時、日本は混乱の真っ只中であり、それに乗じていろいろな勢力が破壊活動を行なう可能性があり、それに備えようということだったろう。
ところが、「破壊活動」を行なう中心は共産党であると考えられ、
警備の対象が共産党中心にしぼられていった

この後も「民主化」は進み、同時に治安(公安)への配慮も忘れず、強化されている。

鈴木邦男「公安警察の手口」

公安調査庁の設置

●公安調査庁の設置

1946年には「公職追放」が行なわれ、日本国憲法が公布される。
しかし、47年1月、マッカーサーは二・一ゼネスト禁止を指令
民主化は歓迎だが社会を混乱させる破壊活動は許さないとして、共産党の躍進を阻んだ
この年の11月、内務省を廃止し、日本の軍国主義的なものを一掃すると同時に、共産主義の台頭を抑えた。また、巷には「共産革命」の噂も流れていたため、占領軍も日本政府もナーバスになっていた

とくに1950年の朝鮮戦争の前後にその緊張はピークに達する。
1949年には下山事件、三鷹事件、松川事件が起きる
当時の政府も警察も、「共産主義者の一連の犯罪だ」と決めつけ、共産主義への恐怖を煽った。警察は急激に公安主導型になり、共産党の脅威が喧伝された

1951年には「血のメーデー事件」が起き、東京で初の騒擾罪が適用された。
これこそ治安強化の絶好のチャンスと政府・警察は考え、公安警察の機構強化が進められた。

1952年には破壊活動防止法にもとづき、「暴力主義的破壊活動を行なった団体」
を調査するため法務省の外局として公安調査庁が設けられた

1954年に、国家地方警察と自治体警察の二本立てを廃止した上で、中央に警察庁を置き、都道府県警察に一本化した。これを以て中央集権的警察機構が完成した。

1957年4月には警視庁に「公安部」が設立される。
全国の都道府県警組織で、「公安部」はここだけだ。
他は、警備部のなかの「公安課」か「公安係」だ。
東京の公安警察の重要性をうかがわせる。

鈴木邦男「公安警察の手口」

安保闘争と右翼テロ

「革命前夜」に右翼も危機感を抱き、右翼テロが続発する

●安保闘争と右翼テロ

そして60年安保を迎える。
「革命前夜」といわれ日本中が騒乱の渦に巻き込まれた年だ。
「安保反対」のデモが連日国会を取り巻き、そのなかで東大生の樺美智子さんが死んだ。機動隊に殺されたとして、「虐殺抗議デモ」が行なわれた。
この「革命前夜」に右翼も危機感を抱き、テロが続発する。

1960年6月、河上丈太郎社会党顧問刺傷事件、7月岸首相刺傷事件が起きる。
そして10月12日には浅沼稲次郎社会党委員長が17歳の愛国党員・山口二矢に刺殺される。
翌1961年2月1日、中央公論社長宅にやはり17歳の愛国党員・小森一孝が押し入り、お手伝いさんを殺害し、夫人に重傷を負わせた
雑誌『中央公論』に掲載された深沢七郎の小説「風流夢譚」が、
皇室を侮辱したもので許せないというのが襲撃の理由だった。

これまでは公安部は共産党が第一の監視対象であり、
次には共産党から分かれた反日共系、新左翼系が対象
だった。

右翼などは放っておけばいい、むしろ右翼は「味方」であり「飼いならしている」と思っていた
実際、警察の別働隊のような動きをする団体もあり、「安保反対」のデモを襲撃する団体もあった。だから、こうした動きを警察はなかば黙認していたのである。

しかし、右翼テロにより次々と要人が刺され、殺人事件が起きたとあっては右翼を放っておくことはできなくなった

こうして右翼を専門に監視し取り締まる「公安三課」が警視庁公安部のなかに設置され、右翼も警察の〈敵〉と見なされるようになる。

1960年後半はベトナム戦争、中国文化大革命があり、日本では学生運動の嵐が全国で荒れ狂った。それに併せて、公安の予算と人員は飛躍的に増大した。

鈴木邦男「公安警察の手口」

「よど号」ハイジャック事件と浅間山荘事件

●「よど号」ハイジャック事件と浅間山荘事件

そして1970年。新左翼の側からは「70年安保」「70年決戦」が叫ばれたが、
不発に終わった。圧倒的に優勢な警察力の前に、新左翼の学生、労働運動は潰されていったからだ。

かつてのように集会やデモに数千から数万人の人が集まることもなく、大衆運動 もできない。残された手段は少人数の精鋭分子がゲリラ化して運動を続けるしかなくなるが、それも警察が圧倒的な力で潰す

1970年3月には「よど号」ハイジャック事件があり、
11月には三島由紀夫事件があった。
1972年には連合赤軍事件があり、陰惨な「仲間殺し」が発覚した。
この事件を機に、「左翼は終わった」と多くの人々は思った

1974年には東アジア反日武装戦線〈裂〉による連続企業爆破事件が起こる。
これが武装闘争最後の徒花となった。

1970年直前から、公安活動の目的は変質し、公安は、かつてのような「共産党対策」「学生運動対策」から、「極左暴力集団対策」になった。
もちろん共産党対策も重要視しているのだが、それよりも「社会の敵」「国民の敵」である極左暴力集団と闘うことに重きを置くようになる。

こうして、時代の要請で、警備警察は巨大化し、機動隊員も激増した。
70年代に入る と、全共闘もこれらの圧倒的な「警備」の前に押し潰された

ここでひとつ指摘しておきたいことがある。
大衆的な学生運動はもうなくなり、数千から数万人規模の集会やデモはない。
それならば、警備や機動隊は縮小していいはずなのに、そうはならなかったということである。お役所仕事というものは、いったん増えた予算や 人員はどんなことがあっても手放さない。警察だって同じだ。強大化した組織規模に見合った仕事がなければ、作ればいいのだ。

「大衆運動はなくなった。学内でストを打ったり 街頭で暴れる連中はいなくなった。しかし、少人数になりゲリラ化し、より狂暴になっている。
だから警備はますます必要だし、もっと予算と人員を!
」と、
警備警察は自らの存在理由を強調し、さらなる予算拡大を要求した。

鈴木邦男「公安警察の手口」

巨大化する公安警察

●巨大化する公安警察

また、時代の動きも彼らにとっては好都合に作用した。
70年代にはゲリラ闘争や爆弾事件が多発したからだ。
1970年には「よど号」ハイジャック事件があり、72年には 連合赤軍事件、
74年には連続企業爆破事件があった。
これら一連の事件を機に警備はさらに強化され、巨大化する。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【公安が大勢で潰す事で、追い詰められて暴発させる手口を考案する】

【公安が大勢で潰す事で、追い詰められて暴発させる手口を考案する】

別の見方をすれば、巨大な「警備・公安」が学生を暴走化させたともいえる。
つまり、窮鼠が猫を噛んだのだ。新左翼と呼ばれた学生たち(警察からは過激派と呼ばれるが)は、何もゲリラ闘争が目的で運動をやっていたわけではない
それは手段だ。
数千から数万の人が集まりデモが可能だった60年代までは、
自らの政治主張を人々に訴えることができた。

ところが、力ずくでデモを潰されるとそれもできない。
運動についてきた学生たちも見限ってしまう


でも活動家たちはやめられない。
彼らには使命感があるし、革命家としての面子もある。
そこで、少人数でも実行可能な政治活動とは何かを考える。
その結果、ゲリラだ、爆弾闘争だ、となる。

つまり、追い込まれ、追い詰められて彼らは暴発していたのだ。
「日本にはもう俺たちの住む場所はない」と考えて赤軍派の9人は
「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命した。
今考えると不思議だが、当時の赤軍派は北朝鮮よりも日本の方が抑圧され、
警察・権力に弾圧されていると思ったのだ。だから北朝鮮に「亡命」した
のだ。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【ホントに錯覚・被害妄想だったのか?】

【ホントに錯覚・被害妄想だったのか?】
これを「窮鼠」たちの錯覚、妄想にすぎないと笑うのは簡単だ。
しかし、巨大化した警察の力は彼らにそう思わせたのだ。
この後に続く連合赤軍事件や連続企業爆破事件なども、
「窮鼠」たちの錯覚や異常な被害妄想に駆られての暴走であり、
巨大な警察の幻影に脅えての暴走だった。


逆にいえば、被害妄想がなければあのような暴走もなかったとは考えられないだろうか。
70年代以降は、もう学生は政治運動についてこない。
プロフェッショナルな活動家の数もほんの少しだ。こうなると社会への影響力もたかが知れている。
それならば集会だろうとデモだろうと好き勝手にやらせ、
新聞・雑誌やテレビも彼らに自由に発言の場を与えればよかったのだ。
彼らが信じ、依拠する「人民」に直に、自由に訴えさせればよかった。
それでも人民が動かなければ、自分たちが間違っていたと気づくだろう

闘いの方法が悪かったのであり、そもそも革命の思想が幻想にすぎず、
人民は自分たちを必要としていないことを思い知ったであろう。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【シオニストのパレスチナ人弾圧のような公安の根絶やし作戦】

対パレスチナ人のようなジェノサイド「根絶やし作戦」
を仕掛け、ハマスのように、暴発するよう弾圧して仕向けていく。
デモや集会はできない。
アパート・ローラー作戦で住む家もなくなる

合法的に活動しようとしても、その場はない。
「窮鼠」たちの思い込みを補完し、正当化しているのが公安だ。

【シオニストのパレスチナ人弾圧のような公安の根絶やし作戦】

ところが警察やそしてマスコミも、これとは反対のことをやった。
過激派根絶やし作戦をする。デモや集会はできない。
アパート・ローラー作戦で住む家もなくなる

合法的に活動しようとしても、その場はない。
結果として、非合法活動でもいいから人民に訴えるしかないと思うようになったのであろう。

また、彼らはこう考える。
「警察がこれだけ弾圧するのは我々が正しいからだ。
我々の考えが人民に届くのが恐いのだ」。
そしてさらに使命感に駆られる。「窮鼠」たちの思い込みを補完し、
正当化しているのが公安だ。
そういう図式になる。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【今も変わらない過剰なデモ警備による民主主義の威嚇】

【今も変わらない過剰なデモ警備による民主主義の威嚇】

今もこれは変わっていない。過激派なんてほとんどいない。
たまにデモをすると、その周りを数十倍もの機動隊が取り囲んで一緒に歩いている。

この光景を見て、「あれ、機動隊がデモをしているよ」と驚く人がいるが、
機動隊のデモではない

外からは見えない!中に数十人のデモ隊がいる。
こういうのを「サンドイッチ・デモ」という。
ハムやレタスや卵などを両側からパンが挟む。それと同じなのだ。
しかし今は数十人から数百人程度のデモを数十倍もの機動隊で取り囲む。
パンばっかりで、中のハムやレタスは見えない。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【陰湿なイジメのような手口の市民弾圧の手口】

【陰湿なイジメのような手口の市民弾圧の手口】

さらに、数に物をいわせて、デモ隊を小突いたり、
棚を彼らの足に落としたりする。
それも外部からは見えないようにやる

それでデモ隊がカッとなって向かってきたら、
「暴行だ!」「公務執行妨害だ!」といって逮捕する。
デモ隊はやられっ放し、なぶられっ放し
だ。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【被害妄想に駆られた公安がデモ隊を「陸海空立体包囲」する】

前後左右から取り囲む、さらに上空からはヘリコプターで警備、監視する、
立体的な包囲、警備なのだ。

【被害妄想に駆られた公安がデモ隊を「陸海空立体包囲」する】

こんなデモだって事前にきちんと許可を取ってやっている。
それなのにこんな乱暴狼藉を受けている

集会、結社、表現の自由は憲法では認められているはずなのに、実際にはない
成田では空港反対闘争が今も続いている。
全国動員をかけて新左翼が400人ほど集まる。
しかし、その10倍以上の5000人ほどの機動隊が前後左右から取り囲む。
さらに上空からはヘリコプターで警備、監視する。「サンドイッチ」どころではない。
立体的な包囲、警備なのだ
。そこまでやられてもデモをやるのか。切ない気がする。

鈴木邦男「公安警察の手口」

【妄想に駆られて支配を維持する公安の存在意義】

【妄想に駆られて支配を維持する公安の存在意義】

しかし、皮肉なことに、独り勝ちになってしまえば、「公安の存在理由」もなくなる。
だから、
まだまだ極左もいる。爆弾闘争を考えている」
「右翼も言論闘争などと言っているが嘘だ。
偽装だ。暴力でしか自らの思想を表現できないのだ」

と決めつけ、公安の存在理由をアピールする
こうなると「日本の危機」は左翼や右翼の問題ではない。
実は、全ては「公安問題」だと言いたくなる

鈴木邦男「公安警察の手口」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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