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恐るべき公安👮‍♂️⑧-02監視テクノロジー「弱みを握る監視システム」

恐るべき公安⑧-02監視テクノロジー「弱みを握る監視システム」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



道路に光る監視の目

「犯罪捜査」か「人権侵害」か

Nシステムはオウム捜査でも活躍したが、実際には、捜査より政治的な情報収集に使われる恐れのほうが強い。あるいは国民の監視に利用される方が強い。
情報をオープンにし、使用に明確な歯止めが掛かるような方策を先行させなければ、監視し放題になってしまう。

●「犯罪捜査」か「人権侵害」か

「オウム信者の車両が関越自動車道でNシステムにヒットした」
オウム真理教捜査を取材している最中、こういったセリフを
警視庁公安部の幹部の日から何度も耳にした。

「教団幹部の車が何日の何時に、この道路を使っている」
そんな分析に基づく事件の見立てもしばしば耳にした。
警視庁本部庁舎内に流れていた警察無線からはしきりと
「オー・エム(OM)ヒット」(オウム車両を確認したとの意)
との符丁が漏れていた。

教団総本部が置かれていた山梨県上九一色村はもちろん、
東京、埼玉から北陸、関西地方に至るまで広範囲に及ぶ施設やホテルを転々とし、
数々の犯罪を繰り返したとされる信者を追跡するのに、
Nシステムが一定の効果を上げていたことも事実である。

94年に起きた富士写真フイルム専務の刺殺事件でも解決の大きなきっかけになったとされ、警察庁側は「重要犯罪で多大な成果を上げている」と主張している。

結局、議論は「犯罪捜査」と「人権侵害」という2つの相反する主張に行き着く
この点について読売新聞で大阪府警担当の事件記者を長くつとめたジャーナリストの大谷昭宏はこう断言する

「犯罪捜査名目でこれほど強大な監視のシステムを警察に与えてしまうのは絶対に好ましくない。
オウム捜査に関して言えば、警察は坂本弁護士事件を解決すべきだったし、
解決できなかった原因こそを究明すべきだ。
これからの犯罪組織はむしろ、こんなシステムに引っかからない可能性が高く、
捜査より政治的な情報収集に使われる恐れのほうが強い


そしてこうも言うのだ。

Nシステムなんて捜査のことを何も知らない警察官僚の玩具にすぎない。
そもそも税金を使って設置する以上、情報をオープンにし、
使用に明確な歯止めが掛かるような方策を先行させるべきだ


必要と思われる場面で後手に回り続け、
硬直化した作業に膨大な人員と金をつぎ込んできた公安警察の生態を考えれば、
それはあながち杞憂とは言えまい。

ある関係者は「97年ごろからNシステムの新設場所などがガラッと変わった
とも指摘する。
最近のNシステムは、本州の日本海側や沖縄、あるいは自衛隊の演習地近くなど、
犯罪捜査の有益性よりも公安警察的発想による新設が急増
しているというのだ。

Nシステムがオウム捜査で役に立ったとも記したが、これは裏を返せば、公安警察が活動の中でフルに活用していたことの証左でもあり、システムが今や、公安警察にとっての大きな武器になっているのも、事実なのである。

青木理「日本の公安警察」

警官の女性問題調査にも

県警はNシステムで撮影、記録したデータをもとに元警部の車の往復日時など行動を詳細に把握して割り出し、就業中に女性と密会しているのを突き止め、事情聴取され、依願退職させられた。
弱みを握って失脚させるなどの手段にも使えてしまうのが問題である。

●警官の女性問題調査にも

システムは犯罪捜査以外に使わないという警察庁の主張を覆す事例も最近になって表面化している
新潟県の地方紙「新潟日報」(1999年9月7日付)の記事である。
「(新潟県)中越地方の警察署の課長警部(40)が7月、女性警察官との交際をめぐり辞職した問題で、県警がこの元警部の行動を車のナンバー自動読み取り装置『Nシステム』でチェックしていたことが6日、分かった
(略)身内の行動把握に使ったことに対して県警内部からも
『装置の乱用で行き過ぎではないか』と批判の声
が上がっている。

関係者によると、元警部は元部下の女性警察官と親密に交際
警察署管内を無断で離れて車で新潟市へ行き、頻繁に会っていた。
管内を何回も無断で離れた元警部の行動は規律違反の疑いがあったため県警は事情聴取を行い、7月1日付で依願退職
となった。

県警はNシステムで撮影、記録したデータをもとに元警部の車の往復日時など
行動を詳細に把握していた。1ヵ月にかなりの回数を往復していたことが分かり問いただしたところ、女性警察官と会っていたことを認めたという。

このケースでは身内の警官が対象とされたが、
これが公安警察の狙う「協力者候補」の人間であったり、
あるいは特定の意図を持って特定の人物に対して利用されたならばどうか

――そう考えるのはうがちすぎだろうか。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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