見出し画像

恐るべき公安👮‍♂️⑦-03公安調査庁と内調「公安調査庁の歴史と監視対象の市民」

恐るべき公安⑦-03公安調査庁と内調「公安調査庁の歴史と監視対象の市民」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



公安調査庁の活動と実態

内務省調査部が源

内務省調査局当時は職員のほとんどを生え抜きの内務官僚が占め
「特高警察の復活」とまで名指しされたほどだったが、
その時の目標は軍国主義者の排除だった。
だが、逆コース化を経て、戦前と同じ「特高警察の復活」になっていった。
このような形で、戦後の日本社会に、大日本帝国の生き残り官僚が
大勢残り、大日本帝国の大失敗の反省をせず、歴史修正が蔓延り、
再び大日本帝国の復活を目指すようになっていったのは、想像に難くない。

●内務省調査部が源

既述のとおり、公安調査庁は1952年に設置されたが、その源流は1945年9月、
当時の内務省に設置された「調査部」にさかのぼる。
同部は翌46年に局へと昇格し、47年に内務省が廃止されると総理庁に移管。
48年2月に当時の法務庁の所管に移され、特別審査局として思想取り締まり機関的色彩を強めた。

内務省調査局当時は職員のほとんどを生え抜きの内務官僚が占め、
「特高警察の復活」とまで名指しされた
が、
特審局は当初、軍国主義者・超国家主義者の追放・監視が主な任務だった。

ところがGHQによる占領政策の逆コース化が本格化し、
朝鮮戦争が勃発する前の1949年から50年ごろにかけてその性格は180度転換。
矛先は一気に左翼勢力に向かい、レッドパージや共産党調査専門の治安機関へと変貌した


この特審局が、占領体制終了後の治安法規の目玉として強行された破防法成立と同時に公安調査庁として再発足する
公安調査庁設置法附則によれば、特審局職員はそのまま公安調査庁職員へと横滑りした。

2章でも触れたとおり、破防法成立に関しては世論の激しい反発が起きた。
それ故に団体規制請求へのハードルは高く、過去には大嘗祭などを控えた1990年、ゲリラを多発させた中核派への適用などが検討されたことはあったものの結局は見送られ破防法成立から40年以上、公安調査庁はただの1度として
団体規制請求を行えないままに時をやり過ごした
のである。

青木理「日本の公安警察」

組織改革の波

破防法に基づく共産党対策的な旧来型の調査・規制請求機関から、
調査対象を大幅に拡大することによる「公安情報の総合官庁」への脱皮を図ろうとする。
「これまで当庁の調査対象は狭すぎた」と断じ、こう明記する。
「従来の調査対象団体にとどまらない幅広い団体等の動向の把握、
そしてこれらをもとにした可能な限り早い段階での公安への脅威の分析、予測等に取り組んでいく」と、不要となった官庁の生き残りの保身のために、
市民を犠牲にして、市民を監視するように路線変更した。

●組織改革の波

「遊休官庁」「リストラ対象官庁」――長らく死に体だった公安調査庁に対し、
こんな形容が投げかけられるようになったのは当然だった
のかもしれない。
だが野党勢力ばかりか、保守陣営からすら不要論が噴き出すに及び、公安調査庁は強い危機感を持つ。
同庁が存亡をかけて大規模な組織転換に乗り出したのは1994年ごろのことだ。
目指したのは、
破防法に基づく共産党対策的な旧来型の調査・規制請求機関から、
調査対象を大幅に拡大することによる「公安情報の総合官庁」への脱皮
だった。

同年に作成された公安調査庁の内部文書「業務・機構改革の趣旨と改革の骨子」及び「業務・機構改革問題の経緯と概要」はきわめて注目に値するものだ。

「当庁は、(略)東西冷戦構造による情勢の変化などをきっかけに、
この2、3年の間、さまざまな政治レベル等で厳しく組織の見直し、改革問題が取り上げられてきた。
現在も行政事務レベルでは業務・機構の抜本的見直しを迫る改革要求があり、
政治レベルでは行革絡みでの縮小・統合論に晒されており、
当面この『業務・機構改革問題』は当庁の存亡に係る重要問題となっている

そして文書は以下、
「これまで当庁の調査対象は狭すぎた」と断じ、こう明記する。

「従来の調査対象団体にとどまらない幅広い団体等の動向の把握、
そしてこれらをもとにした可能な限り早い段階での公安への脅威の分析、予測等に取り組んでいく」

破防法の持つ強力な基本的人権侵犯の潜在的可能性ゆえ、
同法は運用についてきわめて厳格な条件を課している


調査対象については「過去に暴力主義的破壞活動を起こし、将来も起こす恐れのある団体」に限定され、公安調査庁自身もそれまで、慣例的とはいえ内部で調査対象団体を指定して調査に当たってきた
だが組織不要論が噴出するに至って、調査対象団体の大幅拡大による情報機関化への道を選び取ろうとしていた。
この路線に従った組織改革は1995年度に実施に移される。
目玉の1つは、211ページの組織図でも説明したとおり、
調査第1部における対象団体を限定しない「公安動向一般」に対する調査活動の開始であった

青木理「日本の公安警察」

市民オンブズマンも調査対象

公安調査庁は己の保身に走るあまり、反民主主義の反社団体と化していく。
「体制の擁護」の性癖から、”権力中枢"へと矛先を向けていくものの妨害排除が目的と化し、市民オンブズマンを敵対勢力と決めつけ、調査の必要性を説くようになっていく。そして、市民から問われた際は、
「日共や過激派等の調査に関連づけて説明できるよう訓練させている」で
誤魔化し方やはぐらかし方を訓練していき、神社本庁やネトウヨなどのおかしな詭弁で反共カルト信者を大量に育成していったことが伺える。

●市民オンブズマンも調査対象

例えば、こうした機構改革をうけて近畿公安調査局が作成した内部文書
「1996年度業務計画(国内公安動向関係)」及び同局の「重点解明目標」驚くほど広範な調査対象を指定している。
一例を挙げれば次のとおり
だ。

▲[政治・選挙関係]では
「各種世論調査結果や行政要求行動などにみられる有権者、特に無党派層の政治意識、政治的関心事項の把握」
「原発・基地問題などが争点となる各種選挙」


▲[経済・労働関係]では
「中間管理職、パート、派遣労働者、外国人労働者など未組織労働者の組織化をめぐる労働団体の動向把握」

▲[大衆・市民運動関係]では
「市民オンブズマンの行政に対する告発運動の実態把握」
「産直運動、食品の安全行政の充実強化を求める運動、大気汚染・リゾート開発・ゴミ問題等への取り組み」


▲[法曹・救援、文化、教育関係]では
「死刑廃止や人権擁護の取り組みの実態把握」
「いじめ・不登校問題、日の丸・君が代反対などに対する諸団体の動向把握」
「左翼法曹団体、弁護士会による司法改革や破防法反対の取り組みの実態把握」

中でも、近年活動を活発化させている市民オンブズマンに対しては
運動の矛先を我が国の治安部門に及ぼそうとしていること、
情報の全面公開を柱とした「情報公開法」の実現を目指していることを考え合わせる
と、運動は今後、加速度的に"権力中枢"へと矛先を向けていくものと思われる」
決めつけ、調査の必要性を強硬に主張。

市民団体側から抗議を受けた場合には
「日共や過激派等の調査に関連づけて説明できるよう訓練させている」とまで記されている


各分野で具体的を挙げられた団体に目を移すと、
日本ペンクラブ、日本ジャーナリスト会議、日教組、アムネスティーなど、
およそ破壊活動とは関係のないもの
にまで及んでいる。
マスコミ関連団体にまで調査の触手を伸ばしていることには驚くほかないが、
独善的な発想の下、「公安の維持」を名目に
市民運動と呼ばれる活動すべてに範囲を広げ調査の網をかぶせようとしている実態が浮き彫りになっている
といえよう。

青木理「日本の公安警察」

オウム事件という『チャンス』

オウム真理教への初の破防法適用に喜び勇んで、調査したが、
単なる新聞記事の引き写しや謝礼金、脅迫まがいの調査によって得た出所不明の供述が証拠として提出されるなど、杜撰を極め、
さらに、教団幹部のほとんどが逮捕されたことなどから「将来、暴力主義的破壞活動を行う明らかな恐れがない」という理由で、棄却された。
一方、赤報隊事件の疑いがある統一協会はなぜ危険にならず、破防法適用がなされないのか?

●オウム事件という『チャンス』

公安調査庁次長から全国8ヵ所の公安調査局長に宛て、
1通の文書が一斉にファックス送信されたのは1995年3月23日のことだった。
標題部に記された件名は「サリン・オウム真理教特別調査本部の設置について」。
公安調査庁がオウム真理教に対する調査に着手したことを告げる文書だった。

文書はこう指令を発した。
「3月20日に発生した地下鉄駅構内サリン使用無差別殺傷事件に関し、
宗教法人『オウム真理教』の関与が濃厚となっていることに鑑み、
3月23日付けをもって調査第1部第4課長を本部長とする標記特別調査本部を本庁内に設置した。
各局・事務所にあっては、同教団の調査に万全を期せられたい」

対左翼調査機関として発足した公安調査庁が、
カルト宗教団体に対する調査に乗り出すのは異例の事態だった。
だが”遊休官庁”とのレッテルを貼られる中、調査対象の大幅拡大によって
生き残りを図ろうとしていた公安調査庁にとって、
オウムの出現は組織の存在意義を示すための絶好のチャンスともいえた


起死回生を狙った初の団体規制請求が行われたのは、
調査着手から1年強を経た1996年7月11日のことだった。
しかし翌97年1月31日、公安審査委員会が下した決定は「請求棄却」
教団幹部のほとんどが逮捕されたことなどから「将来、暴力主義的破壞活動を行う明らかな恐れがない」
というのが棄却理由の中心
をなした。

破防法適用に対する世論の広範な反発も大きな影響を与えた。
公安調査庁の調査も単なる新聞記事の引き写しや謝礼金、脅迫まがいの調査によって得た出所不明の供述が証拠として提出されるなど、ずさんをきわめた
とはいえ、公安審査委員会の指摘どおり、法律解釈上、
明らかに破防法適用の条件を満たしていなかったことが大きかった。

警視庁公安部幹部ですら、公安調査庁が調査に乗り出した直後に
「破防法の話は公安調査庁の問題だ」
と前置きしながらも
公然とこう述べている。
調査開始からわずか2ヵ月後、1995年5月末時点のことだ。
「私見だが、幹部のほとんどが逮捕されており、今後破防法の団体適用が必要とは思っていない」

請求が棄却された公安調査庁のショックは大きかった。
その影響だろうか、ここ数年、同庁からは情報機関としては組織のタガが外れたとしか思えないほど、大量の極秘文書が外部へと陥れ出ている

これらの資料を検討することは、治安機関が危機に瀕した際、
どのような指向性を持ち得るかというきわめて貴重な検証例
となろう。
入手に成功したいくつかの文書を基に、関係者の証言を交えながら近年の公安調査庁の漂流ぶりを追う。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


いいなと思ったら応援しよう!