杜撰な”公証人”検察最大の天下り利権💰
特高のように再び国民を支配しようとする警察👮や検察の
官僚組織や手口に迫っていきます。
青木理「ルポ国家権力」
青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動
公証人——検察最大の天下り利権
掲載:『g2』2010/12号
前代未聞のスクープ記事
元々、検察と国税は、馴れ合いの関係で、対峙することはない。
<公証人10人申告漏れ 全員判事・検事OB 経費計5000万水増し>
法務・検察と国税当局は”親密なパートナー関係”にあり、法務・検察のOBである公証人に国税当局が税務調査で切り込んでくるなどということは、前代未聞と受け止められたからである。
特捜部を救った国税
査察部門を擁する国税は、調査の末に把握した脱税案件のうち、多額かつ悪質と判断したものを検察に告発する。
これを受けて検察は、国税と緊密に連絡を取り合いながら告発内容を検討し、
脱税被疑者を取り調べ、起訴すべきは起訴して刑事責任を問う。
国税からの告発を検察側で取り扱うのは、主に東京地検特捜部を中心とする特捜検察である。
つまり、特捜検察にとって国税の告発案件は極めて重要な仕事の1つであり、強大な調査力を持つ国税からもたらされる情報は、特捜検察の土台を支える柱でもあった。
「大物政治家に甘い」。
5億円もの闇献金を受け取りながら罰金20万円の略式命令ですませるという決着に
世の検察批判は高まり、東京・霞が関の検察庁舎に黄色のペンキが投げつけられる騒ぎに発展したのはよく知られる通りである。
東京地検特捜部は当時、窮地に陥っていた。
東京地検特捜部の”背信”
特捜部の捜査は、国の予算を牛耳る最強の官庁=大蔵省を未曽有の逆風の只中に叩き込んだ。 当時の大蔵事務次官らが辞任に追い込まれたばかりか、100人以上の大蔵職員が処分を受け、果ては銀行局幹部が自殺するという、大蔵省にとっては死屍累々の惨状をもたらした。
あらためて記すまでもないが、国税庁は大蔵省の外局であり、主要幹部には大蔵キャリア官僚が就いている。
そうした大蔵キャリア官僚にとってみれば、自らの組織に刃を向けてきた東京地検特捜部の捜査は、法務・検察による許し難き”背信”と映ったはずだ。
国税当局による公証人への税務調査は、「大蔵・国税」と「法務・検察」という日本の2大権力機関による水面下の暗闘であった。
<関係者によると、これらの公証人は、所得の申告に際し、
高級レストランで妻と2人で個人的に食事をした代金や、
家族旅行の費用などについて、公正証書を作成するための顧客との懇談・交際費として計上したり、遺言状作成のための出張旅費などとして申告していた。
中には、後輩の地検検事正らとのゴルフ代も経費計上していた悪質なケースもあったという>(前出・読売新聞)
現下日本の公証人システムとは、法務・検察組織全体が営々と貪ってきた構造的利権の中核であり、法務・検察官僚に安楽と愉悦をもたらす強固な装置となっているからである。
美味しい公証人システム
ハンコをつくのが仕事
極めて特殊な地位にある公務員と記した理由はここにあるのだが、
公証人が重大なミスを犯した場合はもちろん国家賠償請求の対象となり、
公証人は、こうした約束事を記した文書に公的な権威を与える役目を担っている。
離婚の慰謝料のケースなら、支払いを拒む元夫の給与などを元妻が差し押さえることができるし、国家を背景として公証人が権威を与える公正証書の威力は絶大であり、裁判で勝訴した際の確定判決とほぼ同等の効力を持つ。
7割が判事と検事のOB
それによれば、2005年3月時点で全国に配された516人の公証人のうち、
裁判官の出身者が約28%で146人、
法務局の役人である法務事務官らが約30%で153人、
そして問題の検察官出身者は公証人全体の約42%にあたる217人となっている。つまり、判事と検事OBが公証人の約7割を占め、中でも検察官が最大勢力となっていることが明確に浮かび上がる。
あまりに恵まれた検察官の待遇
検事総長の給与は国務大臣と同格で、年収は実に約2900万円。
高検検事長は大臣政務官と一般職の国家公務員では最高となる
東大総長、京大総長と並ぶ顔が与えられている。
検事長の中でも、東京高検検事長はさらにワンランク上をいく。
私の手元にある法務省の内部文書によれば、事務次官級の給与を得ている検事の合計人数は実に59人。
他省庁で外局の長官級――たとえば国税庁長官や金融庁長官など――
にあたる給与を得ている者に至っては、82人にも上っている。
「経済合同」という奇妙なシステム
「10年で後任に職を譲ります」という一筆を法務省に入れさせるんです。
すべてを差配しているのは、法務省の官房人事課でしょう」
肩たたきを間近に控えた検事正の中には、各地の公証人の任期一覧表のようなものをつくって、「次はここの公証人が空きそうだな」「ヤメるなら来年がベストのタイミングだ」なんて話に熱中している人もいたし、まだ検事長への出世の芽が残っているのに、それを蹴って退職し、公証人になってしまった人もいたくらいです」
「東京では『5割合同』、大阪では『10割合同』というのが一般的です。
東京の場合、それぞれの公証人が売り上げの5割を公証人の合同役場に納め、
それを各地の公証人へ均等に分配する。
大阪なら、売り上げの全額を納めて分配するんです。
納めた額よりも分配で得た額の方が多い公証役場は『もらい役場』と呼ばれ、
公証人の仲間内では少し肩身が狭い思いをしますね」
実はこの「経済合同」に参加できるのは基本的に判事・検事OBの公証人だけだ、
と法務省関係者は明かす。
検察最大の天下り利権
2002年4月、身内であるはずの大阪地検特捜部に電撃逮捕された。
これがウラ金告発の口封じを狙ったものだったのはもはや周知の事実だが、
法務・検察組織が強権を行使する前の段階で懐柔のため三井氏にちらつかせてきたのが、公証人の職だったという。
近年の特捜事件は『はじめにストーリーありきの捜査』などと批判されていますが、これはつまり、幹部の描く筋書通りの事件づくりに現場が突き進んでいったことを意味しています。
組織の論理に忠実な検事を退職後まで厚く遇するという病理のなせるわざであり、
公証人という天下り利権がそれを下支えする大きな要因になっている
公証人の杜撰な業務
公証人の杜撰な仕事として、「統一協会が美味しい顧客」だった可能性が疑われる。統一協会の巨額寄付が長年社会問題になっていながら、そのマインドコントロール下の巨額献金の取り消しを阻んでいたのが「陳述書」などである。
86歳の信者が地元教会の幹部に連れて行かれた公証役場で署名をした「今も昔も存在したことのない地名が書かれた陳述書」があり、それが返金を求める栽培で有効とされ、被害者救済を阻んでいた事実である。
以下の商工ローンのように、統一協会が持ち込む大量の「陳述書」などの証書作成の仕事は、腐敗公証人の美味しい商売であった可能性が高い。
もしかしたら、検察OBとの癒着が、統一協会が起訴されない裏取引になっていた可能性もあるかもしれない。
公証人のひどく杜撰でデタラメな業務実態がたびたび発覚しているからである。
例えば、高金利の代わりに無担保でも連帯保証人がいれば融資する商工ローンは、
その暴力的な取り立てが過去に大きな社会問題となったが、債務者や連帯保証人が知らぬうちに金銭貸借の公正証書が作成されてしまう事例が2000年ごろから頻発し、2003年ごろに相次いで裁判沙汰となった。
「融資の際、金融業者が債務者にきちんと説明しないまま、公正証書作成委任状に署名・捺印させてしまうんです。そして、公証役場には業者の従業員が債務者の代理人としてやってくる。公正証書は裁判の判決と同等の力を持ちますから債務者にとっては大問題なのですが、大半の公証人は債務者の意思確認など取らず、書類だけ揃っていればハンコを押してしまう。中には、特定の公証人に同様の証書作成依頼を大量に持ち込んでくる業者もいました。これを受ける公証人は『ハンコを1件押していくら』という手数料収入ですから、公証人にとっても極めて美味しい顧客なんです」
指摘されたミスには、こんな信じ難いようなものが多数含まれていた。
『遺言者の印鑑と印鑑証明の印影が異なっているのに、公正証書遺言を作成してしまった』「債務弁済の公正証書で『無利息』と書くべきところを『利息の定めなし』と書いてしまった」「公正証書に記す債務弁済の期限を十年以上も誤って記してしまった」………………。
いずれのケースも、当事者にとっては人生を破滅に導きかねない致命的ミスであり、遺言では過去に公証人が幾度も訴えられている。
巨大な構造腐敗
本来は司法権の砦であるべき判事=裁判官も、
法務・検察の意向に配慮せざるをえないということを意味する。
広く知られるようになってきたが、現下日本の刑事司法は、
公訴権を基本的に独占する検察が起訴すれば、その有罪率は99%を超える。
逮捕状にせよ、勾留状にせよ、検察や警察の請求を歳判所が却下する率は
ゼロコンマ数%以下という惨状を呈しており、検察の暴走を許してきたのは、
ひたすら検察に追従するだけの裁判所であったことは疑いようのない事実だろう。
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。
もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より