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恐るべき公安👮‍♂️④-02謀略工作部隊サクラ「謀略工作員の育成と中野学校」

恐るべき公安④-02謀略工作部隊サクラ「謀略工作員の育成と中野学校」

悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



「サクラ」部隊

精鋭が集まる

●精鋭が集まる

「サクラ」部隊は発足直後から、各都道府県警に着実に整えられた
これを統括することになるのが中野の警察学校内に置かれた警察庁公安1課の分室だった。
組織のキャップは公安1課の理事官がつとめ、
実行部隊となるのは各都道府県警の4係こと「サクラ」部隊


中野分室は都道府県の公安委員会はもちろん、
本部長すら飛び越えて全国の部隊が実行する作業に対し直接に企画・指示を与え、
あるいは企画を承認し、教育し、援助した

「サクラ」のキャップに任ぜられるのは、キャリアの警察官僚のうち入庁15年程度の中堅幹部。
警察庁の名簿からも組織図からも名前が消され、
公安1課に籍を置きながら「表向きは存在しない理事官」として1年から3年程度、中野分室に生息した。

キャップの指揮を受ける部隊の精鋭たちは、各都道府県警に所属する公安警察官たちの中から慎重に選抜された。
中でも協力者獲得などに高い実績を挙げた者が選ばれて中野に集まり、徹底的に教育を受けることで育っていった

「県の4係の人で十分な能力を持った人、たとえばスパイを作ったり、運用したり、それから相当の実績をあげてるということ。それから盗聴の仕事もできるという、それぞれの専門家。
で、その人たちの中で目星をつけて訓練するわけです。
しかし、気に入らないと思ったらその日に帰しますから。そのぐらい厳しい」


前出の島袋修も訓練を受けた公安警察官の1人だ。
「私は東京・中野にある警察大学校の『警備専科教養講習』で、
共産党に対するスパイ活動の重要性を叩き込まれた。
(略)講習は20日間と決して長くはなかったが、内容は非常に濃いものだった。
当時いっしょに受講したのは40
名。うち、日共・民青同担当が私を含めて10名、極左担当が13名、
共産党が警察内部に送り込んだスパイを摘発する対◯班が6名。
残り12名はどういう任務であったのか、今もってわからない。みな20代後半から30代後半の屈強な男たちであった」

青木理「日本の公安警察」

偽名で講習を受ける

スパイ養成学校「中野学校」では、参加者は全員が偽名のまま講習を受け、早朝から深夜まで「反共の洗脳教育」を施され、尾行・張り込みの方法、協力者獲得の極意、あるいは鍵の開け方や盗聴・盗撮など非合法工作の手法までを叩き込まれた。
写真撮影や録音・盗聴技術の講師たちは、どう見ても普通の警察官ではなかった。
スパイの工作技術を学ぶところ。

●偽名で講習を受ける

54年警察法制定時の国会論戦でも一部が明らかにされているが、
島袋や公安警察幹部の証言によれば、「サクラ」での教育は徹底的だった。
参加者は全員が偽名のまま講習を受け、お互いの正体すら分からぬよう注意を払い、早朝から深夜まで反共の洗脳教育を施され、尾行・張り込みの方法、協力者獲得の極意、あるいは鍵の開け方や盗聴・盗撮など非合法工作の手法までを叩き込まれた。
全国の公安警察官が行っている活動を先鋭化し、高度化するための、きわめて徹底した教育だった。

再び江間の証言である。
「その講習はおもしろい。陸軍のねえ、講報機関があったでしょう。
その機関の陸軍少将くらいの階級の人を探しだしましてね、その人に講習してもらうことを頼んだ。
手さげカバンのカギのあけ方とか」

江間の「サクラ」経験は発足当初のものだが、1981年に「サクラ」の講習を受けた島袋の記述はこうだ。

「講師たちはほとんどが熟年の働き盛りという印象だった。彼らは技術的にも卓越したものを持っていたと思う。とくに写真撮影や録音・盗聴技術の講師たちは、どう見ても普通の警察官ではなかった

青木理「日本の公安警察」

個人責任の原則

「5人編成」で公安はスパイ工作活動を行っている。
だいたい5人編成ですよ大体。警部さんが1人いると、その下に警部補さんが2人いて、その下に巡査部長さんが2人ずついる。
すばらしい工作ぶりに感心するとともに、肌寒さを覚えた。1人の警部によって統率されて、共産党の中枢部を把握できる強力な体制ができている。

統一協会と同じ「個人責任の原則」。
統一協会が高額献金詐欺で、長年挑発を免れてきた理由の一つに、「組織ではなく、信者が自主的に行った」と言う言い訳が罷り通っていたことにある。
統一協会が組織的に行っていたのにも関わらず、「信者個人の責任」に矮小化してきたのである。そてと同じく、公安でも秘密工作の作業員は『個人責任の原則』を教え込まれていた。

「ハニトラや美人局のようなことも平気でする」
最近も共産党支部に潜入して資料を盗み出した事例を告白している公安警察官が存在する。また公安警察OBからは、身分を隠したまま接触を続けていた党員を言葉巧みに誘い出して、知人の女性と不倫関係を持たせ、現場を写真にとって突きつけた上で、半ば脅迫のような形で協力者に仕立て上げたこともあったと打ち明けられたこともある。

●個人責任の原則

"中野学校"で教育を受けた公安警察官である「サクラ」部隊は、
それぞれの任地でさらに高度な情報収集活動に邁進
した。
江間はこう言う。

「府県に大体5、6人ずつの(4係の)部隊でしょう。
ま、警視庁あたりだったら5、6人の部隊が、10や20はある。
だいたい5人編成ですよ大体。警部さんが1人いると、その下に警部補さんが2人いて、その下に巡査部長さんが2人ずついる」(カッコ内筆者注)

1章で紹介した松橋忠光が「わが罪はつねにわが前にあり」の中で述べている
愛知県警警備1課長時代の部下だった「サクラ」部隊の活躍ぶりも江間証言と一致する。

「私は愛知県警備第1課長になって、第4係の活動を知り、
あまりに『すばらしい工作ぶりに感心するとともに、肌寒さを覚えた。

(略)警部補を長として少数の巡査部長と巡査で構成する精鋭な班が数個あり、
1人の警部によって統率されて、共産党の中枢部を把握できる強力な体制ができていたこと、

共産党の重要な秘密に接近する以上、これらの班員の存在と活動も高度に秘匿しなければならないこと、
そして、各班員がそのきびしい任務を遂行するために身心をきたえ、
日夜体調をととのえておくことに努力していたこと、をあげておけば充分であろう」

松橋はさらに、部隊の非合法活動の実践について、遠回しながらも触れている。

過失や事故又は計画にない予想外の事態の発生によって、工作そのものが暴露したり、作業員が共産党や一般市民のほか、場合によってパトロール警官によって
逮捕されるようなことも絶無とはいえないわけ
である。
(略)管理者としての私は、少なくとも工作が行なわれているかぎり、
辞表を常に用意しておかざるをえないと考えていた。
秘密工作の作業員は『個人責任の原則』を教え込まれていた。
暴露されたら、その個人の非行又は犯行として、暴露した限度で、
潔く行為の責任を負い、影響が広がるのをそこてくいとめるという原則である。
(略)そこまで彼らを錬成した本庁のすごさを思った。

こういう工作班員は簡単に養成できるものではない

幹部が辞表提出を覚悟しなければならないほどの非合法活動

最近も共産党支部に潜入して資料を盗み出した事例を告白している公安警察官が存在する。
また公安警察OBからは、身分を隠したまま接触を続けていた党員を言葉巧みに誘い出して知人の女性と不倫関係を持たせ、現場を写真にとって突きつけた上で、
半ば脅迫のような形で協力者に仕立て上げたこともあった
と打ち明けられたこともある。

中野の警察大学校に本拠を置く「サクラ」部隊は、そんな秘密工作活動を発足以来
30年以上にわたって延々と、そして水面下で続けてきた

だが1986年、組織に大きな転機が訪れる。
共産党の緒方国際部長宅盗聴事件の発覚である。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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