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恐るべき公安👮‍♂️①-03公安警察の組織機構「公安警察と刑事警察の違い」

恐るべき公安①-03公安警察の組織機構「公安警察と刑事警察の違い」

テロ組織のような悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。

青木理「日本の公安警察」

青木理「日本の公安警察」

青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動



公安警察と刑事警察

刑事警察との違い

証拠を積み重ねる刑事ドラマのような刑事警察の捜査とは異なり、
公安警察の捜査手法とは、勝手な決めつけOKな、いわば完全な"見込み捜査"である。

●刑事警察との違い

公安警察と刑事警察は、同じ警察組織の中に存在する部門でありながら、その活動内容、手法において全く性質を異にした組織である。

端的に言えば、公安警察とは情報警察である。
もちろん事件が発生すれば刑事警察と同様、犯人の検挙に向けて捜査活動を繰り広げる。
例えば刑事警察が殺人事件の捜査に着手すれば、捜査員は現場で証拠を収集し、周辺を聞き込みし徐々に証拠を積み重ね、犯行動機を洗い出して被疑者に辿り着く。
容疑が固まれば逮捕し、被疑者を取り調べる。被疑者との駆け引きの中で自供を引き出し、余罪がなければ事件は全面解決、捜査は終結する。

公安警察においても、事件が発生すれば基本的に同様の作業は行われる。
だが、事件自体の質と公安警察が内包する性質により、その手法は根本的に異なる。爆弾事件を例に取れば、爆弾の残留物から類推される構造から犯行団体を推し量るのは公安警察にとってごく初歩的な捜査の常道であるし、標的となった対象人物・場所などからも団体を推測しうる。
多くの場合、犯行団体側から「犯行声明」すら発せられる。
つまり犯人は最初からおおよそで「分かっている」のである

言葉を換えれば、公安警察にとっては日常の情報収集活動によって、犯行直後に団体を特定できないようでは話にならない

犯行声明も発せられず、突然出現したグループが引き起こした初出の事件であったとしても、ある思想性に基づいた犯行であるならば、縦横無尽に張り巡らせた情報網によって容疑適格者に網をかぶせ、尾行・監視などの手法によって徐々に絞り込んで被疑者に迫っていく
公安警察の捜査手法とは、いわば完全な"見込み捜査"である
さらに言えば、公安警察の捜査において被疑者の逮捕はもちろん大きな目標ではあるが、逮捕によって事件が終結するわけではない。
対象団体の動向と組織実態の解明が何よりも優先される公安警察にとって、
逮捕は所詮、その一過程、単なる通過点にすぎない。

青木理「日本の公安警察」

別件逮捕、転び公妨

自分から勝手に転んで、公務執行妨害で、強引に逮捕する卑劣な「転び公妨」と言う手口。

●別件逮捕、転び公妨

両者の姿勢の違いが典型的に現れるのが、警察にとって最高度の権力行使である
「逮捕」に対する認識の違いであろう。

例えば「別件逮捕」は刑事、公安警察双方が使う手法である。
その是非は論じないが、刑事警察では多くの場合、別件逮捕はあくまでも本件へ至る端緒を引き出すための非常手段であるのに対し、公安警察におけるそれは、対象団体組織に対する情報収集活動の一環としての色彩が濃く、時には対象組織に対しダメージを与えることに重きが置かれる傾向が強い。
それゆえに本件とは何ら関係のない完全な別件、あるいはきわめて微罪による逮捕や家宅捜索が日常的に行われ、それに対するためらいはない。

公安警察内で「転び公妨」と呼ばれる手法がある。
複数の公安警察官が対象人物を取り囲み、職務質問なり所持品検査なりを強行し、
相手が抵抗して取り囲んだ公安警察官に触れたり、押しのけようとしたら直ちに公務執行妨害

時には公安警察官が対象人物の前で勝手に転び、公務執行妨害という“虚像"を演出することすらある
「転び公妨」と呼称されるゆえんだ。
公安警察にとっては、身柄確保が最優先の場合の『伝家の宝刀』であり、幹部の中には「転び公妨の名手」などという冗談とも本気ともつかない評価を与えられている人物すら存在する。

日本国内に潜入していた日本赤軍メンバー、
丸岡修が東京・箱崎の東京シティエアターミナル(TCAT)で逮捕されたのは1987年11月。直接の逮捕容疑は公務執行妨害だったが、典型的な「転び公妨」だった。
丸岡はこんな手記を寄せている。

「11月20日の夜10時頃にTCATに着いたのであるが、その1階で2人の公安刑事に呼び止められ「荷物を見せてほしい」とされ、それに応じた。
(略)荷物を片づけ終わる頃に『押しただろう。公務執行妨害だ』と1人がわめいたが、『何もしていないじゃないですか』というと黙った。
もう1人が他の者に合図して呼び、デカが3人になったところで、
1人が勝手に後ろに3歩ほど下がってヨロヨロとしゃがむふりをして『公務執行妨害だ!』。それで『現行犯逮捕』の1丁上がりという次第

オウム真理教事件の際も、刑事警察と公安警察の違いが先鋭的に現れた。
後の章で詳しく述べるが、オウム捜査における警察組織全体の情景を俯瞰すると、
刑事部門には逮捕した被疑者の取り調べによって地下鉄サリン、坂本弁護士事件など主要事件の解決を目指す仕事が割り振られ、公安警察にはこれと対照的に、逃亡信者の身柄確保と教団組織の解明が任務として与えられた。
それぞれが得意とする分野を割り振られた形だった。
現実に、刑事警察が本件での逮捕を頑なに目指したのに対し、公安警察はありとあらゆる法令を駆使して信者を片っ端から拘束する作業に邁進した

警視庁が教団への強制捜査に着手した後、教祖麻原彰晃の居所が不明だった時期のこと。
警視庁刑事部が地下鉄サリン事件を容疑とした教祖逮捕に全力を尽くしていたのに対し、公安部幹部はこう断言した。公安警察の特性がきわめて率直に露わになった一言だった。
「容疑なんか何でもいい。とにかく見つけたら公妨ても何でもいいからパクればいいんだ

青木理「日本の公安警察」

幹部の特権

刑事警察が一匹狼で、証拠を積み重ねていくのに対し、公安警察の捜査員は良くも悪くも完全な「コマ」である。「コマ」のひとつひとつが孤独な、しかし職人的とも言える作業によって情報をかき集める。
情報をシャワーのように浴びるのは幹部に限られるのである。
闇バイトシステムと全く同じで、末端の受け子は支持されて駒となって動き、全体像を知るのは、絶対に捕まらない指示役と同じ仕組みであり、指示役しか犯罪の全体像がわからない仕組みになっている。

●幹部の特権

事実を自分で正確につかんでホシと闘うこと
警視庁捜査1課で名刑事と謳われた平塚八兵衛の捜査哲学が、
刑事警察の本質をかなり正確に言い当てている。
近年は捜査手法の組織化、システム化の波が押し寄せているとはいえ、刑事警察における個々の捜査員は1匹狼的な一種の個人事業主といった色彩が濃い

これに対して公安警察の捜査員は良くも悪くも完全な「コマ」である。
「コマ」のひとつひとつが孤独な、しかし職人的とも言える作業によって情報をかき集める。その情報は上層部に行くほど全体像を描き出し、1枚の映像となって立ち現れる。

警視庁公安部の幹部が言ったセリフで忘れられない1言がある。
「情報をシャワーのように浴びること。
シャワーのように浴びた上で判断し、決断を下すこと。
それが公安警察における幹部の在り方だ」


この幹部の1言には、後に続くべきセリフが抜け落ちている。
情報をシャワーのように浴びるのは幹部に限られるのである。
第一線の公安警察官はパズルの断片にも似た情報の収集に邁進し、
そのパズルが像の全体の中でどこに位置するのかを知ることは少ない。

画像の完成型を頭に描こうとし、実際に描くことができるのは、ごく一部の幹部だけである。
第一線の公安警察官は隣の同僚が何を目的とし、どのようなパズルの断片の収集に取り組んでいるのか、原則的には知り得ない。

青木理「日本の公安警察」

刑事警察との不仲

公安警察の反共カルト洗脳教育では、「泥棒を捕まえなくても国は滅びないが、左翼をのさばらせれば国が滅ぶ」と教えられる。
そして、「選挙違反や汚職に目の色を変え、金と組織を割くなどということは愚かなこと」と言う価値観を持って、犯罪を軽視し、公安警察は「選挙違反を簡単に揉み消す」。選挙違反事件に政治の圧力が掛けられて中断したことを嘆く末端警察官も多い。
なので、自民党や公明党、維新がどれだけ選挙違反をしても「絶対に起訴しない、揉み消す仕組み」が出来上がっている。

●刑事警察との不仲

警察幹部がいかに言い繕おうと、いかに声高に警察組織の一体性を主張しようと、
公安警察と刑事警察は現実的に水と油であり、その確執は根が深い。
警察を取材すると、公安、刑事双方の現場捜査員から、時に激烈に、時にはソフトな口調ながら、互いの存在に対する誹謗めいたセリフを耳にする。

公安警察側は刑事警察を評してこう言う。
「1つの事件を挙げたら背後関係も調べずに捜査を終結させるんだから底が浅い」
「尾行にしたって相手はシロウト。楽なものだ」

対する刑事警察側の反論はこうだ。
「金と人を大量に注ぎ込んで事件の解決もできず、役立たずて時代遅れの情報ばかりかき集めている」
「ホシを落としたこともない。取り調べの1つすら満足にできない」


有名な言葉がある。
「泥棒を捕まえなくても国は滅びないが、左翼をのさばらせれば国が滅ぶ」
警視庁捜査1課などで刑事として長く勤務した鍬本實敏は著書『警視庁刑事』の中で、公安警察についてこう語っている。
「刑事部と違って、(略)泥棒なんて単なる物と物の移動に過ぎない、
1人や2人殺したからって、そんなものがなんだ、おれたちは国家を背負っているんだ、とそんな意識でしょう。刑事なんか馬鹿だと思っている」


また元警察官僚で刑事部門を長く指揮した鈴木達也は、
ノンフィクション作家の小林道雄のインタビューに対して
「(警備公安警察は)モンロー主義、秘密主義、事大主義で、自分たちの情報は同じ警察の仲間にだって絶対に出さない」
と述べた。
また著書の中では1960年代初頭、福岡県警捜査2課で捜査していた
選挙違反事件に政治の圧力が掛けられて中断したことを嘆き、こう記している。

「すでに刑事警察は沈滞期に入っていた。
治安に直接かかわる警備公安警察にウェイトがかかり、人も予算も組織も警備公安警察が中心になっていた。
強盗や殺人犯人の1人や2人、検挙されなくったって治安に影響はない。
まして、選挙違反や汚職に目の色を変え、金と組織を割くなどということは愚かなこと。
そんな考え方が警察の中に充満しつつあった
」(『山口組壊滅せず』)

青木理「日本の公安警察」

「公安偏重」は終わるか

イスラエルのシオニストがパレスチナ人を動物のように見做して、虐殺する背景に、「スタンフォード監獄実験」などにも見られるように、「強い選民意識」と「自分達は正義側との強い思い込み」がある。
同じように、公安も"治安の守護者"としての強烈な意識を持ち、組織内でも徹底的に「選民意識」を持ち、刑事警察や交通警察を馬鹿にする。

●「公安偏重」は終わるか

日本警察の中でも、公安部門はエリートとされてきた。
実際、第一線の公安警察官は"治安の守護者"としての強烈な意識を持つ。
組織内でも徹底的に選民意識を叩き込まれる

時には警察組織全体が自分たちのために存在すると考えるほどである。
公安部門がエリートコースであるのは警察組織のトップ、
警察庁長官の経歴を振り返るだけても裏付けられる。
第17代長官の関口祐弘までのうち、警備局長からトップの座に進んだのは長官経験者の約半数にあたる8人
警備局長は経験していなくとも「警備・公安畑出身」と認定されている人物を含めると軽く10人を超える
なかでも1969年8月、第6代長官に後藤田正晴が就任して以降、
88年1月までの任期で第12代長官を務めた山田英雄までの間は、
1代を除き約20年間もの間、警備局長出身者が連続して警察庁長官に就任している。
一方、刑事局長から長官に就任したのはわずか3人
なかにはオウム事件最中に銃撃された国松孝次も含まれているが、
国松は公安警察のもう1つの顔とも言える警視庁公安部長の経験者であり、
評価は「刑事・公安をバランスよく経験した長官」

つまり刑事警察を主流に歩んで長官に至るのはきわめて困難だったのに対し、
公安警察が組織の中枢を占めるという状況が長年にわたって続いてきた

多く指摘される点でもあるが、改善が叫ばれて久しい刑事警察の弱体化も、
公安警察が60年、70年安保闘争などを契機として極度に肥大化してきたことと無縁ではない


公安警察偏重の雰囲気の中で刑事警察を軽視したことがグリコ・森永事件など重要犯罪の未解決につながっているとの指摘も多くなされ、結局はオウム真理教による犯行だった坂本提弁護士事件が長期間、未解決だった背景に、坂本弁護士が神奈川県警による盗聴事件を追及する弁護士も在籍していた弁護士事務所に所属していたことと関連づける声があり、全く無関係とは言えないのも事実であろう。

しかし、最近は警察内の公安偏重の雰囲気に微弱ながら多少変化が現れてきたようだ。
東西冷戦が終結し、かつて脅威とされた共産圏諸国はほとんどが姿を消した。
日本国内における左翼勢力の力も減退した

最近、ある公安警察幹部が「もう俺たちがエリートだなんていう時代は終わりだよ」と投げやりにつぶやいた。
別の幹部は「天下りの就職先を考えたら、公安より防犯(生活安全)、交通部門に行きたい」と冗談めかしながらも漏らした。
この流れが定着していくのだろうか――。
実証されるには、さらに時間が必要だろう。

青木理「日本の公安警察」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


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