恐るべき公安②-03公安の歴史「安保闘争を経て公安ネットワーク完成へ」
悪名高い公安の
組織や手口に迫っていきます。
青木理「日本の公安警察」
青木理(あおき おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
90年に慶応義塾大学卒業後、共同通信社入社。
社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、
2006年よりフリーとして活動
新警察法の誕生
中央集権を目指して
強行採決
民主化警察を廃止し、戦前・戦中と同じ中央集権的な警察への脱皮を可能にする「新警察法」は激しい反発にあった。
特高警察の総元締めだった内務省警保局長を務めたことのある次田大三郎ですら
「戦前に比べて比較にならぬほどの大きな弊害を生ずるおそれが多分にある。
物事は能率だけて可否が決められるべきであろうか
弊害の再び生ずることを防止するための工夫は講ぜられてないようである。」
とまで、言うほど戦前以上の巨大な国家警察国家にしてしまうような法律だった。
この時、公安の教育訓練として、全国の公安警察官を集めた「警備特別講習」が警察大学で行われていることが明らかになった。その講習では「家宅侵入方法」などを学んでいる。「犯罪行為に対して良心が痛む」と言った警官に対しては、アカ認定などがされており、警察内で「良心の欠如が共産党でない証」のようにカルト化していったことが伺える。
公安部の誕生
戦前特高警察の規模を「公安警察」は上回るほどの巨大な国家警察国家になり始めた。さらに1700人規模の「公安調査庁」が存在し、社会運動の団体や個人に対しては、これらの「公安警察」と「公安調査庁」2重の無駄な監視態勢ができあがっている。
安保闘争と右翼テロ
市民運動が高まると、黙らせるためにアンチの右翼の凶悪テロ事件が増加する相関関係がある。安保闘争の高揚に"呼応"する形で右翼によるテロ事件も続発した。
緊迫する60年代後半
公安警察の完成
戦前の特高が「権力者の擁護者」としてのさばったのと同じように、
戦後公安警察の拡大を正当化したのは、結局のところ徹底した「体制の擁護者」としての組織性癖だった。権力者や体制側を擁護して、「敵の足を引っ張る」「出る杭を打つ」「強い者には媚びる」「同調圧力をかけて弱者を従える」という手法を駆使することで、拡大が正当化されていった。そして、大日本帝国の官僚と特高が戦後の日本でも生き残り、令和にファシスト国家として再び蘇ることになった。
戦争遂行を大義として猛威をふるった治安機構は、水脈の維持を図るため、占領下になると一転して時にはGHQの一部とすら結託し、講和後は為政者の描く治安像を死守するため、わずかの期間に一挙に態勢整備を成し遂げた。
また、学生運動を敵視し、学生運動を専門に統括する、公安3課が新設されるなどして、徹底的に民主主義に反する仕組みが整えられていった。
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。
もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より