見出し画像

公安の手口🚓①-01無法な公安「まえがき」

公安の手口①-01無法な公安「まえがき」

新右翼の「一水会」の元会長が、公安警察に追われて使われた
エゲツナイ卑劣な手口の数々を「公安警察の手口」の本を元に
見ていきます。

鈴木邦男「公安警察の手口」

鈴木邦男「公安警察の手口」

鈴木邦男(すずき・くにお)
1943年福島県生まれ。67年、早稲田大学政治経済学部卒業。
70〜73年、産経新聞社に勤務。
学生時代から右翼・民族派運動に飛び込み、72年に「一水会」を創り、「新右翼」の代表的存在になる。99年12月に「一水会」会長を辞め、顧問になる。現在、月刊「創」など にコラムを連載中。
主な著書に、『新右翼』(彩流社)、『夕刻のコペルニクス』(扶桑社文庫)、『言論の覚悟』(創出版)、『ヤマトタケル』(現代書館)などがある



まえがき

まえがき

●「反共カルト思想」に染まった巨大な公安という組織
あのおとなしい日本共産党も公安の監視下にあるし、
市民運動や住民運動、ボランティア活動なども監視されている

こうした団体を公安が監視する理由は、過激派が市民運動などに紛れ込み、
隠れ蓑にする危険があるからだという。
自分の頭でものを考え行動する人は、反政府・反体制の運動に加担しがちだ、と公安は思っているからだ。
国民の日常的な「安全」を犠牲にしてでも、公安は自らの巨大な組織を維持しようとする

我々公安こそが日本を守っている」という奇妙なプライドがあるからだ。
「泥棒や殺人犯が捕まらなくても日本が転覆することはない。
しかし、過激派や国際テロリストを逃したら日本は滅びる」そう信じているのだ。
だから、公安は聖域であり、アンタッチャブルな存在であり続けている。
その使命感にもとづいて、公安は盗聴、ガサ入れ、スパイ活動、不当逮捕もやり放題だ。
公安はその存在自体が問題である。

「でも、事件を起こしそうな悪い人を監視するのだから仕方ない。
我々の安全を守るためだ」
と思う読者もいるかもしれない。
しかし、監視する対象は〈悪い人〉だけでなく、
〈悪い人〉になるかもしれない人も含まれている

いや、今の政治に批判的な人々を全て監視しようとしている
そう、あなたもだ

いま、「安全」のために全ての「自由」は剝奪されつつある
大袈裟にいえばそういうことだ。
だって、あのおとなしい日本共産党も公安の監視下にあるし、
市民運動や住民運動、ボランティア活動なども監視されている

こうした団体を公安が監視する理由は、過激派が市民運動などに紛れ込み、
隠れ蓑にする危険があるからだという。

また、自分の頭でものを考え行動する人は、反政府・反体制の運動に加担しがちだ、と公安は思っているから
(マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」を観た。
このなかで「安全のためには自由を捨ててもいい」と言う人が出ていて驚いた。
「あ、日本も同じだ」と思った)。

さらに、公安についてはもっと大きな問題がある。
ここ数年、治安は悪化傾向にあり、とくに外国人犯罪や少年犯罪が増えているという。
交通事故も多いし、通り魔、痴漢、ストーカーも多いらしい。
こうした状況下で、現場の警察官の負担は大きくなるばかりであり、
人手不足が深刻な問題となっているという。
もし仮に治安を守るための人員が不足しいるのであれば、
公安警察や機動隊の余剰人員をまわし、「今ここにある危機」
に対処させるのは理の当然
であろう。

しかし、そんなことは絶対にしない
国民の日常的な「安全」を犠牲にしてでも、公安は自らの巨大な組織を維持しようとする
いったん確保した人員や予算はどんなことがあっても手放さない、
それがお役所仕事の鉄則らしいが、とくに公安の場合は酷すぎる

あなたの「安全」が脅かされているにもかかわらず、
公安には改革のメスを入れさせようとしないのだ。

なぜか?それは彼らに、
「我々公安こそが日本を守っている」という奇妙なプライドがあるからだ。
「泥棒や殺人犯が捕まらなくても日本が転覆することはない。
しかし、過激派や国際テロリストを逃したら日本は滅びる」そう信じている
のだ。
だから、公安は聖域であり、アンタッチャブルな存在であり続けている。
その使命感にもとづいて、公安は盗聴、ガサ入れ、スパイ活動、不当逮捕もやり放題だ。
そして、どれだけの人間が何をしているのか、その一切が秘密に伏されている。

公安はその存在自体が問題である。
にもかかわらず、大手マスコミもこの問題をあえて取りあげようとはしないし、
国会で問題になることもない。
謎に包まれた公安の厚い扉をこじ開けて、その実態に迫ってみたい。
そう思ってこの本を書いた。

鈴木邦男「公安警察の手口」

伊丹万作「騙されることの責任」

もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

伊丹万作「騙されることの責任」

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より


いいなと思ったら応援しよう!