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『教育支援センター』インタビュー

はじめに

自己紹介

とまりぎクリエイターズのりんだです。
現在大学生として学校に通学していますが、中学時代不登校を経験し、当時適応指導教室という名称の施設へ通級していました。現在では教育支援センターという施設名になっています。
今回実際に私が施設でお世話になった先生に、教育支援センターや不登校について当時の事も振り返りながらお話しさせていただきました。

教育支援センターとは?

主に小中学校を長期で休んでいる子どものために、学籍のある学校とは別に教育委員会等が用意した公的機関のことです。¹⁾文部科学省では、教育支援センターの目的は不登校児童生徒の集団生活への適応、情緒の安定、基礎学力の補充、基本的生活習慣の改善等のための相談、指導(学習指導含む。以下同じ。)を行うことにより、その社会的自立に資することを基本とすると定められています²⁾。
 私が通級していた当時は学校に登校することを目的としていましたが、平成28年度から不登校児童生徒に対する教育機会の確保のための場の一つとして位置づけされました。

N先生について

 N先生は、学校でいう一般的な教師と生徒という関係よりもとても身近で親身に相談に乗ってくださる存在でした。当時は一人の生徒につき一人の先生がその生徒の担当教諭として受けもっており、私を担当してくださった先生がN先生でした。


○数年前から適応指導教室が教育支援センターに名称が変わりましたが、どういう違いがあるんですか?

ー適応指導教室という言葉のイメージー


先生:一先生個人としては「適応指導」という言葉のイメージには、違和感があってん。適応できてないものを適用できるように指導すると捉えることもできるじゃない。社会に不適応な子どもがいて、その子を正す指導をしている施設!みたいな感じで。
赴任した頃にね、施設の取り組みとして水族館に行くことがあって、予約した時に水族館の方にどういう団体さんって聞かれたことがありました。「適応指導教室です」って答えたら、ちょっと煙たい感じで対応されてね。適応指導っていう言葉を全然知らない人が聞いたら、社会に馴染めない子達を更生する施設が来るのかなって受け止めるみたいで。先方も遠慮がちに仰らはるんやけれど、「適応指導に通っている子ども」への抵抗感がすごく伝わってくる感じでした。少しやんちゃな子も一定数いる時代だったこともあって、全く適応指導について知らない人はそう捉えることもある。ここに通ってくれていた、りんだちゃんが「社会に対して不適応だったんですか?」って言われたら、そういう事ではないし。そのように捉えられてしまうと、否定された気持ちになりますね。

ー「適応指導」から「教育支援センター」という名称に変わったことについて-

見合う言葉がないから、という意味で、まだ教育支援センターの方がしっくりくるのかなって思います。
きっかけは文科省からの「教育支援センター」っていう名称にしますよという通達があったことでした。確かに子ども一人一人の抱えているものへの克服に対して支援している施設であり、勉強のサポートも請け負ってます。その為、総合的に考えると教育支援センターの方がいいとは思う。
ただ、支援という言葉は使いやすいけれど、膨大なイメージを持ってしまう言葉でもあるから、完璧やとはよう言えません。でも「適応指導教室」よりはいいかも、「私適応指導教室に通ってますってあんまり言いたくないでしょ?」
りんだ:自分は適応指導教室に過去通ってたって言ってますね(笑)。
今まで適応指導教室という名前について考えたことがありませんでした。確かに不適応って言われるとそうなりますね。先生のお話を伺って、指導より支援してもらっていると言えた方がいいと思いました。

先生:インタビューってこんな感じで進めて、ほんまにいいの?

りんだ:むしろとてもいいと思います!先生ご自身の考えや意見をききたかったので。

○教育支援センターの取り組みとして今と昔(勤務当初)で変わったことは?

ー赴任当初と昨今の生徒の通う要因の違いー

先生:先生が最初に赴任した当初……施設に通う生徒たちは、元々エネルギーはあるけれど人間関係などの外的要因があって、学校に通えない子が多かってん。いじめや、先輩後輩の上下関係や教科担任制などの新しい制度についていけんかったり。
ここ最近は、理由がわからないけども集団にうまく入れないことが原因だったりします。心身の不調や新型コロナの影響、起立性調節障害で起きたくても起きれなかったり。ただ現場の体感として学者ではないので因果関係はわからないけれど、家庭環境も影響しているようには感じるかな。「親が揃っている=幸せ」とは思ってへんのやけれど、家族の形が歪だったり、親との関係に不和がある子どもが多いのね。幼少期の中から何かしらうまくいってなかった子どもが成長過程に影を落とし、本来ぎゅーって抱きしめてもらうところをしてもらえなかったことがほとんど。親も親で何か事情があってそうなってるんだとは思うけども、そういう心のしんどさを抱えてそれが学校に行けないっていう形にあらわれている場合があるんやわ。何か学校で出来なかったっていうよりも、心の問題で突き詰めたら家庭環境が原因であるケースもよくあって。他にも発達障害により、情報の整理やコミュニケーションがうまくいかないなどが発端となることもある。その子が嫌々でも頑張って薬を飲んで治そうとして、それでも治らないのはその子の責任じゃないのに、その子が抱えてるしんどさとか全部“その子自身”の問題にされてしまう。それが学校に行くのがしんどい、に結びちゃうことが年々増えてきたっていう感じがしてますね。

ー昔と昨今でのアプローチの違いと所感ー


先生:外的要因が主な問題だったころは、例えばいじめだったら両方の話を聴いて和解をしたり、学校に何かアプローチができてん。
やけど今は、人間関係の上手くいってないところを交通整理したらスッキリするっていうわけではないですね。一人一人の要望に合わせた個別支援が求められていると感じる。それが主な違いかなあ。教師だけではどうしようもできないことも勿論ね、あります。関係機関、例えば心理士さんのカウンセリングを受けたり、発達検査を受けることでその子の特性を周りが理解することが支援に繋がるなら、そういった繋がりが必要。その中で言語療法作業療法や理学療法などの療育機能的な部分を補ってもらったり、心療内科にかかってお薬を処方してもらっている子もいます。
ここだけ紐解いてあげたら解決するということはなく、複雑です。世の中に対する漠然とした不安を持つ子どもも多い。複雑さを増したことから、時代の移り変わりを感じます。
 

○先生自身が心がけてる事って何かありますか


先生:とりあえず横並びを意識してお話をすることです。関わっていかないといけないとわからないこともあるし、誰にだって心が開けるわけでもないから、一括りにはできないけれど。
「先生」って子どもたちはみんな私のことを呼んでくれます。しかし、学校行けない子にとって先生という言葉自体に苦手意識があるし、すごいハードルが高かったりもすると思うねん。だから向き合ってしゃべるのは、追い詰められているようでしんどいんちゃうかなあ。だから初めての人とは横並びを意識していておしゃべりしてる。目を合わさずに済んで、その子が逃げられる距離。なんとなく寄り添ってもらえる感じはするんちゃうかなって。名前はすぐに覚えてね。そして、その子の好きそうなこととか勉強がどうとか言うんじゃなくて、まず褒めます。施設に来てくれるだけで、まず「頑張ったね」と認めてあげて、来たことが良かったと言ってもらえるようにしたいです。ここは制服じゃなくて私服やからそれも一つの自己主張で、着せ替えされて来てるかもしれんけど何かしら自分で選んでその子なりに「これを着ていこう」って出てきます。そこでエネルギーを使っているわけだから、今日はこんな色を着てきたんだとかズボン履いてきたとか今日髪くくってきたなど。来た時に、挨拶はもちろんだけど声をかけるようにしてます。声をかけると嬉しそうにするので。あなたのことを見てるよっていう姿勢をこちらがみせることで、何か伝わるものがあるんやって話しかけてます。
勉強を始める時は前からじゃなくて、横から今日は何するんって声かけます。教えるというよりは、一緒にやろうやって。先生も算数苦手やねんって言いながら。一緒にその時間を過ごすことや悩むこと、この問題を解けたとかもう1ページもできたとか、ちっちゃな達成感を共有したりして。そうして、「今日すごく緊張してきたけど、また来てやってもいいかな」くらいに思って貰えればなぁと。あと別れ際に「また明日ね」って言っと「明日また来なあかん」って気持ちになるので、「またねー」とか「またいつでも待ってるよー」とか時間を言わんようにしてます。
 
りんだ:自分の中学時代をめちゃくちゃ思い出しました。先生の話してた事をめっちゃやってもらってたなって本当に。

先生:でも、あえてしてるんじゃなくて、遊びの中でだってほんまにすごいことしてたら、先生も教えて欲しいし、一緒にその時間を過ごしていくことを大事に接してるんよ。

○施設に通えない子どもへの支援センターへの取り組み


先生:少なくとも保護者さんとはしっかり連絡を取り合うようにしてます。ほったらかしは絶対してへん。お手紙を送ったりとか。家庭訪問したい気持ちはいっぱいやけど立場的にはできないし、その子が来てほしい時と来てほしくない時があります。その子のコンディション……今は誰にも関わってほしくないっていうときに入ったらよくないから。
家から一歩も出ない我が子がおると、お母さん自身が不安になります。お母さんが不安になったりイライラするとやっぱね、悪循環です。お母さんがゆったり構えてて、「今はしんどいんだね、お家を出たくないんだよね」って、いつでも見守ってるし応援してるよって言えるようになったらいいんやけれど、なかなか世の中のお母さんはそうはいきません。やからこそ、お母さんへの支援を頑張ります。家庭環境でのその子を直接そのサポートするのはお母さんです。昔話の『おおきなかぶ』みたいにおじいさんが引っ張って、その次におばあさんが引っ張ってみたいな話はあるけれど、一番支援しているお母さんがいて支援が広がっていきますから。まずはお母さんの話し相手になって、その後に様子を聞いたりしてます。
元々学校に通えてた子やったら、当時仲良かった子に助けてもらってお手紙とかを送ることもあります。先生からの手紙より、友達からの手紙の方が嬉しいやろうし。心優しいお友達がいることがあるんで。いつか何かが響くかもしれない、エネルギーが高まった時に。長い時間がかかるかもしれないけれど。後は外に出れるようになったときに時間割全部とかハードルが高いものを求めるのではなく、顔を見るだけ・プリントを取りに来るだけ、ここに来てくれるだけでいいよとか。起立性調節障害とかの子は特に時間帯がしんどかったら出てきやすい夕方とか、お天気が良くなってきたしお散歩がてらに寄ってねとか。通級を求めるんじゃなく、まずは気軽に来てくれたらええなぁと思ってます。

りんだ:自分も先生に来てもらったこと思い出します。

○子どもとずっと関わってて印象に残ったこととかってエピソード


先生:りんだちゃんが来てくれたことかなぁ。エネルギーを与えると言うとおこがましいかもしれないけれど、ここにはエネルギーが低い子達が来るわけでしょ。だから元気になって欲しいからエネルギーを与えてる。でも先生も一人の人間やからさ、持ってるいいエネルギーを与えてるし、同時に負のエネルギーを同時にもらってるっていうのがあるやん。でも、りんだちゃんみたいに、こうやって卒業してもたまに元気な姿を見せてくれたり、昨日も大学に行けるようになりましたって卒業生が報告に来てくれると、すごい嬉しいし頑張らなって思う。それはやっぱり、ここにいる人たちみんな元気に頑張れてて、笑っていてくれたらそれでいい。健康で元気で、毎日生きとったら色々あると思うんやけれど、それはきっと誰にでもあるから。でも笑顔で楽しく、人を嫌いにならず、社会を嫌いにならずいてくれたらなんかそれが嬉しいなって。たくさんエピソードはあるけど、みんなが頑張ってる姿を見れるんが一番嬉しいかなと思っています。

その他には中学校生活の最後の立志式(※施設での卒業式)での立志の言葉。自分なりの言葉で短い言葉であれ長い言葉であれ、それぞれの3年間があったなと感じること、それを自分の言葉で表現できる成長ぶりが嬉しいしありがたい。ご縁があってここに来てくれたわけから、全部が奇跡やん。楽しく機嫌よく学校に行けてたら、私と出会わかなかったんやけれど。何かしらがあってしんどくてここに来てくれたから、先生と出会えたんかなぁと。全部意味がないってことはないんちゃうかなと。そう思って出ていって欲しいなって。しんどかったその事実、それはリセットできないけれど。過去を、これはこれで出会いもあったし知らん学校の子ともお友達になれたしちょっと元気になれたし、次にも繋がるから肯定的に自分にいられるバネにして欲しい。否定ばかりじゃなくて肯定的に卒業してくれたらそれがやりがいやし、それがエピソードやと思います。

りんだ:私も不登校で挫折を経験したけども今になって一切後悔していなくてしてなくて。

先生:あの時があるから今こうして特別な思い出ができて、お友達とか出来たんやってプラスに受け入れてくれたら嬉しいよねって思います。

りんだ:本当に先生に出会えたことがほんと嬉しかった。

 

○教育支援センターの最終目標は学校復帰?


先生:最終目標を学校復帰と言わなくなりました。文科省からの通達があって、学校復帰と言えなくなりました。元々は学校復帰を目指す、そこに向かっていくように支援をするというのが目標でした。でも教育観とか価値観が色々変わっていく中で、学校に戻るだけが全てじゃないそこに至らない子達が沢山いるでしょうと。その子のニーズに合った教育の機会・場をってなっています。
ただこの流れは、学校の先生にとっては すごくジレンマだと思ってて。小中学校はそこに必要な学びがあるから「義務教育」という名前が与えられている。最初から来なくていいよって選択肢があると、「義務教育」の根幹が崩れてしまう。難しいですね。でもとにかくここに来る子達に関しては、学校復帰っていうところを課題設定にするのは辞めました。そこにはまらない子とかしんどい子には個別の支援が必要やからです。全員が学校支援に当てはまる訳では無い、ともっとハードルを下げてあげないといけません。ただ一例として、うちの市では集団活動に特化した施設と個別対応に特化した施設があります。その内の集団活動に特化した施設の方の子どもたちには、学校の復帰も目標ににしてあげるべきやと思います。そのため配慮しすぎて学校復帰を言わないのもよくないとも考えているし、高いハードルを与えてあげるべきタイミングもあれば、まだまだそれは無理って言う子もいます。だから一律の目標は立てられない、子どもによって支援する目標が違うよってところで、学校復帰っていう文言が消えました。

りんだ:私が聞きたかったところをすごく聞けた。今までこの施設での思い出って本当に素晴らしくて代えがたいものだったけれど、適応指導教室って元々本来最初は学校復帰を目的としていたとこじゃないですか。何かそこだけすごく自分の中で不安があって別に復帰しなくてもってずっと思ってたから、チャレンジデーとして学校に行かないと行けなかった金曜日は自分の中ではしんどかった。

先生:学校で学ぶことは社会へ出るためにいろんな要素が詰まっていて、自分で判断して考える能力や生きるための力を形成してくれます。だけど、やっぱり行きにくい場所ならなるべく行きたくないでしょう。
その子にとって何が正解なのかはわからないけど、その子自身で正解を選べることがすごく大事で、義務教育だけじゃなくて、教育支援センターもあるフリースクールもある心理士さんとかドクターとの繋がりもある。私もこの10年の間で価値観はいっぱい変わりました。最初は高校へ行かさないといけないと思ってました。中卒は絶対困るから行くべきやと今でも思うけど。だからその子が押し付けじゃなくて高校ぐらいは行っといた方がいいかなって思えるように話をするようにはしてます。
一番大切なことは、今日一日よかったなと思えて、それを積み重ねること。そう考えてます。

りんだ:貴重なお話ありがとうございました。

編集後記


 今回インタビューを行ってみて、私自身も当時の事が鮮明に思い出されました。N先生のお話を伺いながら、実際N先生にしていただいたことや、逆にこんな思いで生徒と接していたんだという新たな発見も自分の中で見つかりました。
 私にとって中学時代は本当に辛かったし、通級することが精一杯でした。その為大人になって改めて、私は当時こんなに支えられていたのだと気づかされました。そしてその経験は今の私自身の支えになっています。
 また今回のインタビューで、今辛い思いを抱えている子供たちに、私がどのように支援することが出来るかをより具体的に考えることが出来ました。

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とまりぎクリエーターズでは、より不登校のことを知ってもらうために
不登校を題材にした映画『絆王子と無限の一歩』
の制作を行っております
今後とも支援の現場や不登校についての取材を行って参りますので、
よろしければご支援の程、よろしくお願いします


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