[短編]ホテル星のマドモアゼル 1/x
ホテルのお仕事をされてこられたmさんが、SF小説を構想中だと聴いて、頭が立ち止まりました。ホテルには縁のなかった自分ですが一つ半端な思い出があって、それが思い出されたのです。
なにしろ半端な思い出なので、それだけではお話になりませんでしたが、この機会に……。
オマエみたいな底辺に高級ホテルのお話はムリ?
ですよね。でも、それは読んでのお楽しみ~
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付き合いのある出版社の人間から、高級ホテルを舞台にしたSF小説を書いてみないかと誘われた。正式な依頼ではない。採用すれば原稿料を支払うというドライな話だ。
ただ、アイデアを盗用するようなところではないので、声を掛けて貰えば、応じることにしていた。
とはいえ、今回は縁のない世界だ。高級ホテルどころかホテル一般に疎かった。旅行の際はもっぱらテント泊で節約してきた。景気の良い時代に青年期を過ごしたが、クリスマスにホテルを予約するなどというのはまるで別世界のことだった。愚痴ではない。当時も今も個人的には興味がない。ただライターとしては人並みの経験をしてこなかったことが悔やまれる。
それでも未練がましく記憶を辿っていると、ホテルマンと会ったことが思い出された。情報誌をやってた時の取材相手だ。
一人は男性でいかにもやり手という感じだったが、高級ホテルではなかったせいか、出てきた話題は、客のクレーム対応という泥臭い話だった。
もう一人は女性で、県内一の高級ホテルの人だった。雰囲気のある人で、さすがと感心した。その時、はじめて高級ホテルの魅力が少しイメージできたかもしれない。
じゃあ、それを書けばいいじゃないかということだが、わけあって、ほんのカケラしか記憶に残っていないのだ。ホテルだけの物語とすれば全然足りなかった。でなければ、とっくの昔に書いている。
SF仕立てで、という今回の条件は逆にありがたかった。宇宙やら科学の話で押せば、ホテルの描写が少なくて済むし、変なことを描いても何とかなりそうではないか。
彼女の話を、わずかしか覚えていない理由は二つあった。一つは彼女がはじめて会うタイプの女性だったからだ。彼女の語りには説明やストーリーがなかった。ただただ情景が描写され続けた。
たとえば、老貴婦人のことが語られたのだが、決まった時間に扉が開いて、そして階段を降りてレストランに向かう。座るのはたいてい○○に面した窓辺の席で…… というような具合だ。彼女がどういう人で何をやったのかというエピソードを期待して聴いていたら、最後までストーリーめいたことは出てこなかった。
オレはといえば、新米記者で5W1H式のテンプレしか頭になく、そのテンプレを埋めることが出来ず、ひたすらアセっていた。一応、弁解すると、通常の取材なら二時間でも三時間でもメモも取らずに会話をインプットすることが出来た。筋のある話ならいくらでも記憶できたのだが、筋のない話に対応出来なかったのである。
彼女の弁護もしておかねばならない。
彼女はその高級ホテルの現場のエースだったと思う。病院で云えば看護師長だ。なので当然、人並み以上のスキルを持っている。通常なら、ちゃんと仕事の会話が出来る。その時は特別だったのだ。
詳しいことは後でふれるが、その日、彼女はとても疲れていた。そこに名前も聞いたことがないローカル情報誌とやらの記者がやってきた。そいつは、あろうことか「ホテルの仕事の魅力は何ですか?」などと子どもじみたことを訊いてきたのだ。それで調子が狂ったのだと思う。
普通の記者なら、新装オープンについて尋ねてくる。新装オープン直前なのだから、それしかない。そうすれば用意されていた広報資料を渡して、不明な点についてのみ答えればいい。取材の申し込みは幾つもあったはずで、対応はルーティーンだ。それなら、どんなに疲れていても逸脱することはなかったと思う。
「ホテルの仕事の魅力は何ですか?」、このひと言で、彼女に変なスイッチが入ってしまった。心の扉が開いてしまったのではないかと思う。
老貴婦人というのは、ヨーロッパで出会ったお客のことだ。彼女はホテルが建て直される間、ヨーロッパに派遣されていた。そこで最高のホテルとお客を目の当たりにしていたのである。オレは、その再生ボタンを押してしまったのだ。
彼女の語りについて、説明がないだの筋がないなどと云ったが、彼女が話している間、オレはまるで映画を観ているようだった。半分は彼女の魅力にやられていたと思うのだが、しかし、彼女の容姿についての記憶はほとんど遺っておらず、覚えているのは、見たことのない老貴婦人が階段を降りてくるシーンなのである……
つづく