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『社員がメンタル不調になる前に』を読んで、メンタルヘルス施策の難しさを思う
藤田康男著(2024)『社員がメンタル不調になる前に』日本能率協会マネジメントセンター
個人の独立心理士として、組織のメンタルヘルスにどういう貢献ができるか、とここ数年自問していました。人事労務担当者向けの本ですが、心理士の私の見通しも付いたように感じます。
その貢献の一つは、組織運営におけるメンタルヘルス施策のボトルネックを探索し、持続的にワークするようにお手伝いすることなのかもしれません。
メンタルヘルス施策は難しい、というお話
独立の前後から、中小の組織のメンタルヘルス上の相談を受ける機会が増えました。案件ごと個別的にアドバイスを差し上げたり、対応に伴走するのですが、どうも場当たり感が強く、役に立てていないモヤモヤ感じが拭えませんでした。
トップ層の意識も高く、メンタルヘルスチェックを実施して、相談窓口をアウトソーシングもしているのに、全体の対応はスムースさを欠き、教訓が生かされずに問題を繰り返しているように感じるのです。総じてワークしてないという印象を受けていました。
この本を読んで思うのは、メンタルヘルスの問題を取り扱うことは、基本的に難しいということです。個々の事例のオーダーメイド性もさることながら、メンタルヘルスをあえて取り扱っていこうという意識の問題や、気付いたとて現実の業務の調整などを行う作業は容易ではありません。
メンタルヘルス上の問題が起きているということは、構造的な問題が遠因となっていると仮定するのが妥当です。根本的に手当てをしようとすると、組織体の存在意義に関わるような多様な変数に長期的に触れる必要が出てきます。ここに挑むには、相当の覚悟と経営力が求められますが、そのリソースが十分とは限りません。
危機介入を越えて事業体の価値創造につなげることが理想ですが、多くの場合、「その場をしのぐ」ことの連続であり、そこに関わる人間は消耗していくのだろうと想像します。
そして、メンタル不調が続出せざるをえない組織フェーズや局面というのもありそうです。
自分でも気付けないし、専門職とて難しい
また本書にもあるように、
自分ではメンタル不調に気付けない
のが原則です。精神科治療も、こうした原則の元にあるためか、理学的的、線形的治療の要素の濃い他科治療とは桁違いの複雑さが生じがちに思えます。患者さんに問いかけても「分からない」と答え、心理検査をしても症状の因果を直接説明する結果が出ることは極めてまれです。
いきおい、多様な変数の「ギャップ」をどう解釈するかという職人芸に頼らざるをえません。精神科医の中井久夫先生は、確か「パラメトリックな治療」と呼んだと思います(出典失念)。制度的にもとても限られた時間と情報の中でトライ&エラーを繰り返しながら、回復過程を見出さなければいけません。
一部のスーパードクターを除くと、総体としては、薬を出すか、休むか、デイケアに通うか、などざっくりとした方針になってしまうのも仕方ない面があります。そこにかろうじて、PSWや心理士、ピアサポートなどが介在することで治療変数のヒット率を上げるというのが戦術です。
たとえば、そこから私のカウンセリングの適応となっても、症状の変遷を追って、患者さんと話し合いながらその特性をつかむだけでも数ヶ月はかかることがほとんでした。つかめることと回復の過程は重なる場合も多いので、そこからご本人の自然な回復力が本格的に駆動します。
諸々の事情から、かなりの割合で自分の力不足から、そうした治療の過程に入れないことも度々ありました。特に何もしなくても、なぜかご自身の力で良くなられていく患者さんが一定程度おられるのも事実です。
このように専門職は、精神疾患の方の対応は慣れているかもしれませんが、かといって治療が簡単なわけではありません。特に、繰り返していたり、難治性の症状だったりすると、ドクターと相談しながら関係を深めながらゼロベースで考えて探索する必要があります。
専門職ですらこのようなのですから、当然、個々のメンタル不調を組織内で扱おうとすると、より複雑になります。相談窓口はあるんですけど。。。産業医はいるんですけど。。。というのはこうした問題の複雑さにも由来していると考えることができるでしょうか。
メンタルヘルスリテラシー、という考えの浸透
「メンタルヘルスリテラシー」という考えを、恥ずかしながら最近知りました。国立精神・神経医療研究センターのホームページから、下記そのまま引用しました。
心の健康を維持するために何をすべきか理解していること
精神疾患の症状とその対処方法を理解していること
精神疾患に対して偏見を持たないこと
精神的な問題で困った時に、いつ、どこで助けを求めるのかを理解していること。その相談先で何を期待できるのか、何が得られるのかを理解していること
思い出すと、私がスクールカウンセラーで入っている中学校には、精神疾患についてのポスターが貼ってあります。陰ながら私も勉強になるな、と思っていました。少なくとも今の子どもたちには、義務教育の段階から、こうした「メンタルヘルスリテラシー」の考えが伝えられているのが現状のようです。そこに心理士が関われていないのは、それはそれで問題ですが。
裏を返すと、私の世代(40代)以前の世代は、こうしたメンタルヘルスに関する知見が根付いていないと考えるのが妥当かもしれません。経営者やマネジメント層の大半は私よりも年上ですから、リテラシーなど持ち合わせていないままメンタルヘルスの問題に対処しなければいけないのは当然です。
世代の課題も存在するようです。
「個々のメンタル不調」と「それがどう扱われるか」、という2つの水準
こうして考えていると、「個々のメンタル不調の問題」と「コミュニティや組織の中でメンタル不調がどう扱われるか」という異なる2つの問題水準があることに気が付きます。
私が相談の中で受けたモヤモヤ感は、この2つの水準を混同していた、あるいは問題は同根なのに切り離して扱っていたためであるように思います。「個々のメンタル不調の問題」の水準で、「これはこうで、あれはこうで、それはこうしましょう」で終わらせていたため、取り残された「コミュニティや組織の中でメンタル不調がどう扱われるか」という水準の問題が心残りだったと言えるでしょう。
おそらく、個々の相談を受けてアドバイスすることに留まらず、問題が生じた組織力学や文化的背景などの構造的な変数を確認しにいく必要があったのでしょう。構造的な水準に触れないと、その問題を生み出す構造を支持することにすらなりかねません。本書でも、
個人の成長を組織の成長に一致させる
と締めくくられているように、メンタル不調は個々人の問題に限定しえない問題として捉え直される風潮にあるのだと考えられます。個人と組織を解離させるのではなく、問題の裏表として一元的に捉えるアプローチが必要とされていると言えるでしょうか。
私は、著者のようなプラットフォーマーの立場とは異なります。これまで、事業者に対しては、smart相談室のような民間事業者のパッケージ利用をお勧めしていました。私自身がメンタルヘルスチェックをすることも可能ですが、個人事業主という性質上、どうしても支援の再現性の面で保証しかねる面があり二の足を踏んでいました。
これからは、そうしたパッケージを利用していても、そのパッケージが有効に機能しているかという観点のご提案が可能になるのかもしれません。問題の沼に沈み、光るものを見出す作業をできるか、それを役割化できるかが課題です。