不登園の息子。母になって失ったものばかり数えていた私。
私は母親になって失ったものが多いと感じていた。
例えば
自由な時間
何かに熱中してやりきること
自分のペースで生活すること
など
母親になる前、私はハンドメイド作家として充実した生活を送っていた。昔から何かを作るのが好きで、それを仕事にできたらどんなに幸せだろうと思っていた。
そしてコツコツとSNSで発信を続けた結果、ファンも増え、月に30万円ほどの利益を出せるようになった。仕事も辞めて、ハンドメイド作家として独立するまでになった。
何かに熱中し、黙々と作業に没頭できる時間が、私にとって一番幸せな瞬間だった。
けれど、赤ちゃんが生まれると、その幸せな時間は一変した。頭の中では「子どもがいてもハンドメイドなら続けられる」と楽観的に考えていた。でも、その思いは甘かった。
赤ちゃんを育てる日々は、想像以上に大変だった。泣き声に対応し、寝不足になり、自分の時間なんて皆無。
ましてや、黙々と作業に没頭できるなんて夢のまた夢。ハンドメイドをする気力さえ湧かなくなってしまった。
それでも、子どもが保育園に通い始めたときは、「これでやっと自分の時間が戻ってくる」と少し希望が見えた。
しかし、息子が年中に上がる頃から、状況が変わった。4月の新学期を迎えたその日から、息子は頑なに「保育園に行きたくない」と言い始めた。
それまでも行きたがらない日が多かったけれど、何とか諭して連れて行っていた。
でも、4歳にもなると息子もいろいろ分かるようになって、私が何とか誘導しようとしても、すぐに気づいてしまうようになった。
体も大きくなり、抱きかかえて連れて行くのはもう限界だった。何とか連れて行く日もあったけれど、私の精神はどんどんすり減っていった。
そして、夏に実家へ1週間帰省したことが、決定打になった。その1週間の休みが、私の中の糸をプツリと切ってしまったのだ。
帰省から戻ると、息子はますます保育園に行きたがらず、私も限界だった。もう無理だと思い、保育園を辞めることを決断した。
とにかく今この状況を何とかしたいと考えた。先のことは後で考えようと。そのくらい朝がくるのが憂鬱で限界だった。
保育園を辞めた当初は、解放感があった。送り迎えからも、保育園を休ませる罪悪感からも解放され、少し気が楽になった。
息子は保育園を辞めてから、すごく穏やかに楽しそうに過ごしている。無理をさせることが、彼にとっても私にとっても辛かったのだと思う。
「これも案外いいかも」と思い、流れに身を任せて過ごしていた。
けれど、案の定、何もできない日々が続いた。やりたいことが何もできない。息子は5分おきに私に話しかけてくる。自分の時間がないことが、だんだん苦しくなっていった。
かといって、無理やり息子を保育園に連れて行くのも地獄。息子とずっと一緒にいることも地獄。どちらにしても、自分の心は追い詰められていった。
もう何もかもが嫌になり、母親になったことを後悔さえした。
ついには全てを投げ出したくなり、「一人暮らしがしたい」と極端な思考に陥ることもあった。
自分でも、何がしたいのかわからなくなっていた。
そんなとき、気分転換に見ていたアニメ『ワンピース』で、エースを失ったルフィに向かってジンベエが放った言葉が心に刺さった。
「ないものはない。失ったものばかり数えるな。お前にまだ残っておるものはなんじゃ!」
その瞬間、まるで自分に言われているような感覚になった。
そうだ、私は母親になって失ったものばかり数えていた。
毎日が忙しくて、思い通りにいかないことばかり。自分の時間が取れなくなり、かつては大切にしていた趣味や目標が遠く感じられて、ただその喪失感に押しつぶされそうだった。
でも、ふと気づいた。目の前にある「家族」という、大切で温かい存在を見落としていたことに。
息子はいつか必ず自立する。今、こうして毎日一緒に過ごすことが苦しいと感じる時もあるけれど、その時間は永遠に続くわけではない。
その気づきから、私は「何かをやりきること」をやめた。
ハンドメイドも、のんびりやれるときにやればいい。YouTubeに上げたり、気が向いたら販売したり、そんなペースでいい。このnoteの執筆もそのひとつ。
今は結果を求めることに意味がないと気づいた。
子どもが生まれる前、私は何かに没頭している時間が幸せだった。今でもその気持ちは変わらない。
でも、今はその時間が少なくなっただけで、決して一生戻らないわけではない。息子が成長し、自立したとき、その時こそ、再び没頭できる自由な時間が戻ってくるかもしれない。
私の夢は、自分のアトリエを持つことだ。いつでも好きなように作業に没頭できる、そんな場所を作りたい。
その夢を叶えるために、今は少しずつでも生活に取り入れていこうと思う。急がず、焦らず、自分のペースで進んでいけばいい。
確かに母親になって失ったものは多い。でも、それ以上に得たものもある。息子の笑顔、家族との時間、そして自分が変わっていく過程を見つめることができる機会。
今、私にあるもの。それは間違いなく「家族」だ。
この家族と共に、少しずつ自分のペースで歩んでいこうと思う。