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題:ジャン・ジュネ著 朝吹三吉訳「泥棒日記」を読んで
ジャン・ジュネは読んでいるかどうか分からない。この「泥棒日記」を読んでみるときっと一度も読んでいない。初めての文体のためである。ジャン・ジュネについては結構評論家が論じている。なるほど論じたくなるような魅力的かつ表現力豊かな文章である。他者と多くの交際を持ちながら、その関係性はどこか空疎で痛々しい、というより利害関係が主である。感情や罪に愛などについて語りながらいつも孤独と猜疑心に苛まれている。無論、本書「泥棒日記」と題名されているから、日記であり、思い出話を綴っている。時間軸に沿った他者との軋轢などの関係性が主であり、加えて泥棒なる出来事や男との性的な関係が記述されている。著者は本書の中で泥棒、男色、裏切りを書いていると言っているからその通りなのだろう。ただ、性的行為な描写は殆どなくて、泥棒も付け足しの出来事であり、裏切りもありふれた人間関係の破たんである。
サルトルの「ジャン・ジュネ論」は読んではいない。ジョルジュ・バタイユのジュネ論を少しばかり知っている。その時の感想文を次に示したい。『ここで注目したいのは、文学は霊的交通の戯れであるとする観点である。人類とは孤独ではない諸存在の霊的交通によって成立する。弱い意味での霊的交通とは夜と等価値であり、散文的な意志の伝達がむなしいものとあきらかにされる時に起きる。もう一方、諸客体の世界が対立して不可能的なものとして存在する主体性が万人に共通であると直感すると、自分の態度と行動とを自分の同胞たちのそれとが交通できるのである。この二種類の霊的な交通の判別は難しい。ただ、実存とはさまざまな意識の多様性とそれらの霊的交通の可能性のうちに明らかにされ、至高性とはつねにこの霊的な交通である。この霊的交通もしくは至高性とは、諸禁制によって限界づけられている生の枠内で与えられている。霊的交通とはわたしたちが悪、即ち禁制への侵害に結びついて、侵害へ走るというただひとつの条件でしか実現されない。ジュネの文学は悪を至高性としながらも孤独に身を置き、他者と実在するものが茫漠として無縁なものであるため、霊的交通を拒否している。即ち、自分自身に事物の存在性を付与する、即自的な存在であり、自分の実体を「石化させる」ことを欲したのだとバタイユは指摘する』
少し言い足りないので捕捉するが、霊的交通は禁制への侵害によって実現できる、ただ、この侵害は人間が実存的であることを前提としている。人間は即自的な存在ではない、対自的な存在、対他的な存在である。即ち、即自的な存在が霊的な交流を行うことができるはずがない。ジュネは「石化させる」ことを欲して即自的であり交流を閉じていると主張している。なお、本書の訳者、朝吹三吉の「解説」でサルトルのジュネ論を少し紹介しているが、その論旨は、ジュネは泥棒として語り、社会から除外され自己を奪われた少年ジュネが倫理的悲惨、汚醜そのものを高貴さとすることによって、「悪の中の聖性」によって自己救済を行っていると述べている。そして、訳者はそれを言辞によって実現できて、つまり小説を書くことで救済され、その後劇作家として第二の文学キャリアの道を進むことができたと述べている。
私はバタイユの主張よりもサルトルの主張に共感を覚える。バタイユは悪と禁制を結び付けて自らの思想を礎に論旨を展開している。ジュネは「石化させる」ことを望んだのではない。本書のリュシュアンとの盗みや肉体的接触を描いている時(236頁前後の数十頁)、それまでの無色な行動と感情を表していた文章が感情に波打ち抒情に満ち溢れている。この文章を読むと、ジュネは石化からの脱出を、確かな愛を望んでいたのである。ただ、それができなかった。本書は豊穣とも言える詩的な取り留めもない文章によって、行為と感情が表層を描いて軽質化させている言えよう、ただ、その奥底には秘めた望みが隠されている。その望みとはサルトルが述べる自己救済、自己回復に他ならない。ただ、それは作家ジュネの視点からの見立てであり、作品としては別の意味を持つ。それは心と体の表層を描いていて核心に触れることがない、存在や愛が偽物であると突きつけていることである。本書の価値つけや重みとは、こうした現代にとっても主テーマになっている虚偽、即ち深さのない表層の問題を描いていることにある。
文学作品はきっと自己救済を諦め「石化させる」作品へと、またはその逆の自己の回復へと向かわせる作品との二つの潮流がある。即ち、表層の心を文体にてそのまま描くこと、表層の心の内側を撫でて熱き鼓動に触れる文体で描くこと、この二つが潮流の特徴であり区別である。
以上
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