青い麦

題:コレット著 河野万里子訳「青い麦」を読んで

本書は少年と少女と言っていい、若い二人の恋の物語である。ただ、三島由紀夫の「潮騒」のような純愛小説でありながら、より具体的な肉感性を持たせている。著者の感性豊かな詩的な文章が彩りを添えて、大人へ脱皮しようとする二人の愛と齟齬と葛藤を描いていて読んでいて心が惹かれる良い作品である。ただ心理小説ではない、心理的にはどこか腑に落ちない点があって惜しまれる。フランス文学には珍しい青春の恋物語なのである。

あらすじを紹介したい。裏表紙には『毎年、幼馴染のフィリップとヴァンカは、夏をブルターニュの海辺で過ごす。だが、16歳と15歳になった今年はどこかもどかしい。互いに異性として意識し始めた二人の関係はぎくしゃくしている。そこへ現れた年上の美しい女性の存在が、二人の間に影を落とす・・。』と書いてある。これ以上述べない方が良いのかもしれないが、ヴァンカはフィリップと崖で一緒の時、死のうと意志し落ちようとする。でも、フィリップは救い出し二人はそれまでと同じように仲良く海辺などで遊んでいる。ある時フィリップはマダム・グルレイと知り合い誘惑されるまま関係を結ぶ。こうしてフィリップの苦悩が始まる。彼はグルレイとの関係に魅惑されながらもヴァンカが好きなのである。ヴァンカは何もかも知っていて、二人きりの時、フィリップに関係を迫り、そして二人は結ばれる。次の日ベランダでハミングし歌うヴァンカを見て、その無傷な姿にフィリップは驚く。なぜなら彼は初めて知ったことが、雷みたいな激しさで彼を貫いていたからである。生まれ変わる衝撃を感じたのに、ヴァンカは微笑みを浮かべている。でも、ヴァンカが何週間後に罪の意識に怯えて泣くかもしれないことは誰も知らない。

「解説」で鹿島茂がコレットなる作家の紹介とフランス文学における恋愛小説について書いている。コレットは珍しい経歴を持っているようだが省略する。フランス文学における恋愛小説は不倫小説であるとのこと。この「青い麦」のような青春恋愛小説は初めての作品であるとのこと。なぜなら、フランスの上流社会の夫婦は、妻が若い男を一人前の男として育て、夫は召使の女などを囲うのが多いらしい。日本とは違ってそういう恋愛事情が慣例としてあるらしい。フランスでは若い娘が財産的に値打ちを持ち、修道院に入れて純潔を守ろうとすることが、青春の盛りの男女の恋愛小説を少なくしているとのこと。なお、フランスでは未婚出生率が極端に多かったと何かの作品を読んだ時に記憶しているが、同棲が多いためであるらしい。未婚の出生が手厚く保護されているなど、社会制度が関連している。こうした社会制度と恋愛事情との関連は難しいために記述は省略したい。

今まで読んできた、記憶の薄れた作品もあるが、バルザック「谷間の百合」、スタンダールの「赤と黒」、フローベールの「感情教育」などなどは、こうしたフランスの不倫小説に入る。日本でも不倫小説はたくさんあるはずで、夏目漱石の「それから」、三島由紀夫の「美徳のよろめき」、大岡昇平の「武蔵野夫人」などなど、何と言っても「源氏物語」がある。不倫が小説の題材になるのは人間の境地の境界を示しているためであろう。不倫小説を論じることなど困難を極めるが、若干の感想のみを示したい。フローベールの「ボヴァリー夫人」が不倫の破滅型なら同じくフローベールの「感情教育」は切ない郷愁となっている。これは作者の心境の変化を表している。「美徳のよろめき」は境界のない無害の不倫で、「武蔵野夫人」は無害ながら人間の境界に近づこうとしている。でも、境界は示唆されるだけである。「谷間の百合」や「源氏物語」は不倫を下地にしながら物語そのものの持つ構成力がとてつもなく魅力的である。「それから」は葛藤しながらも生への高揚感が含まれている稀有な作品である。

こうしてみると不倫小説も青春恋愛小説もまず魅力的な文章で、揺れる苦悩と葛藤の心理描写が的を射て描いていなければならない。他の小説に求められるのと同様の質の高さが要求される。なお、不倫の心理に葛藤として罪と悪が含まれていれば凡作になる可能性が高い。結末がどうであれ、ほとばしり出る情熱こそが描かれなければならないだろう。こうしてみると本「青い麦」なる作品は魅力ある文章であるが、どちらかというと無害の部類に入る。最後に言い添えれば、不倫なるものが人間の境地を示しているかには、今日はなはだ疑問がある。違うことの方が境地を示せるはずで、むしろこの違う事柄の方が望ましくもある。もはや不倫は人間の境地を描くにはありきたりになり過ぎている。でも、魅力的な出来事ではある。

以上

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歩く魚
詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。