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写真とカメラ

初めて買ってもらったカメラを覚えています。110フィルムタイプの、黒くて細長い筆箱みたいな形のカメラ。誕生日プレゼントとして買ってもらったはず。

110フィルムは、通常の35mmよりも幅が細い16mmです。カートリッジ式なので、子どもでもフィルムを装填しやすい。基本的な構造は「写ルンです」のようなレンズ付きフィルム(当時は使い捨てカメラと呼んでいた)と同じ。ボタンを押すと、ばね仕掛けのシャッターが駆動する。撮ったら、ジコジコジコとフィルムを巻き上げる。撮り終わったら、現像屋さんに持っていく。うちの場合は、このカメラを買ったホームセンターにフィルムを持ち込んでたな。

ノンブランドの安いカメラでしたが、現像代は決して安くはないので、あまり数多くは撮れなかった。当時は、一撮入魂みたいな感じでしたよね。火の見やぐらに登って、下から見上げる妹を撮ったなんてことを覚えています。

小学五年生の修学旅行の時に、富士フイルム製の全自動カメラを買ってもらいました。ズームもついていて、レンズが電動で動くことに感動。そして、初めての35mmフィルムを使ったカメラでもありました。修学旅行は、江の島と鎌倉へ。ビーチで海を眺めていたら、映画のジョーズをほうふつとさせるサメの背びれのようなものが海面を見え隠れしていて生徒一同騒然。

「サメ?あれ、サメ?」
「さすがにやばいだろ」
「おい、誰か見て来いよ」
「やだよ食われるよ」

それに気づいた先生が、海にずぶずぶと入っていき、ゆっくり慎重に近づきながら確かめてみる。大人ってすごいなと思いつつ、見守る生徒たち。

先生が砂浜に引っ張り出したのは、なんとマンボーの死骸でした。美しい銀色の、ビート版を大きくしたような形の魚。身の一部が刃物で切り取られていたので、たぶん魚釣りの人か漁師さんが釣り上げて、身だけを切って海に捨てたのでしょう。それを見た僕たちは、どん引きして、口数少なくその場を離れましたが。でもまたすぐに修学旅行のテンションが戻ってきて、江の島のお土産や、ソフトクリーム屋さんなどを覗いていました。

そのカメラは、中学、高校でも引き続き使い、留学先のアメリカにも持っていきました。

本格的に写真にハマったのは、大学に入ってから。留学先のアメリカ・ネバダ州リノの骨董市で、中古の一眼レフカメラを買いました。1950年代に当時の東ドイツでつくられたEXAKTA VXというカメラ。まさに、一眼レフかめらの黎明期につくられたカメラで、現代のカメラと違うのはシャッターボタンが左側の本体部分にあることと、ファインダーは上から覗く方式。カメラの本体にカッターが内蔵されていて、フィルムを全部使い切る前に途中でカットできるという機能も付いてました。このカッター、使うことはなかったですけど。レンズはカールツァイスで、描写は見事。同じカメラで、ここまで美しい写真が撮れるのかと感動した記憶があります。ただ、当時ですでに製造から50年近く経過しているカメラなので、シャッターの幕がハイスピードにすると若干一部遅れが出て、仕上がりに垂直の帯型の影ができる。まぁ、それも含めてそのカメラで撮る写真が好きでしたけどね。

大学で写真のクラスを受講し、その流れで自宅のバスルームを時々暗室にして、フィルムを現像したり写真を焼いたりしてました。さすがに、学校の授業で骨董カメラだけでは無理だったので、続けてPENTAXの中古一眼レフカメラも購入。フリーマーケットでそのカメラを見かけて、売り主の方に声をかけたら、なんとその人は警察の鑑識で働いている方とのこと。

僕が驚いて、「え!本当ですか。じゃぁ、このカメラを使って殺人現場を撮ったりもしたことがあるんですか?」と質問すると、
「さぁ、どうだろうね。フフフフフフ」とその人が答えたので、
「そうなんですね。フフフフフフフ」と言って、僕はそのカメラを買いました。

現代のデジタル一眼レフカメラは、オート設定にすると絞りもシャッタースピードもフォーカスも全部自動でやってくれますが、当時のカメラは(特に僕が使っていたような古いカメラは)すべてがマニュアル。光量計で被写体周りの光の量を測り、それに最適な絞りとシャッタースピードを確認。カメラの設定をそれに合わせて、ファインダーをのぞき、フォーカスを合わせる。で、おもむろにシャッターボタンを押して、一枚撮る、と。たいへんでしたよね、写真撮影。

スマホやデジカメでバチバチたくさん撮れるようになった時代ですけど、いまだに学生時代に購入した東ドイツのカメラのレンズだけ使って、完全デジタルの一眼レフにアダプターをつけて装填し、たまに写真を撮っています。とたんに撮影に時間がかかるようになるのだけど、すべてがマニュアルの撮影も楽しい。「写真を撮っているぞ」という気分になるので。

ここでちょっと、大学で写真のクラスを取っていた頃の思い出を。

クラスメイトに、とても美しい女性がいました。黒髪で、背が高く、「モデルみたいな人だなぁ」と思ったら、本当にモデルの仕事もやってるというのを後から知りました。演劇や映画で女神役をやったらぴったりだろうなという人。

その時僕はといえば、日本から来たさえない留学生で、持っているカメラもなぜか骨董市で買った古ぼけたアンティークの一眼レフ。アートのクラスを取りまくっていたけどまだ人類学部に所属していて自分がなにをしたいのかよくわかってなかった頃。ただ、創作や表現をするということが好きだったので、その時は写真の他に陶芸と油絵もクラスを取っていて、アート学部等に入り浸ってました。床屋に行かず、伸び放題の髪の毛を後ろで縛って、いつも同じ服を着ているようなダサいやつ。

だからもちろん、僕はその女神のような女性とはまったく会話もできないですし、なんなら同じ教室で彼女の視界に入るだけで緊張するくらい。チラッと目が合ったりでもしたら、僕は溶けてしまっていたかもしれない。

写真のクラスはとても面白くて、刺激的で、一気にハマりました。僕は、ハマるととことん突き詰めたくなるので、自宅でも現像ができるように現像機や道具を買いそろえ、足りないものは創意工夫でなんとかしつつ、自宅のバスルームでフィルムを現像したり写真を焼いたりする日々。カメラも追加でもう一台買って、写真に没頭していきました。

一学期間のクラスもそろそろ終わりに近づいたころ、授業の終わりに女神が近づいてきて、「あとで読んでね」って目配せして小さな紙きれを僕の手の中に忍び込ませました。指先が触れ合った瞬間から、しばらく僕の記憶はありません。

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2002年に初めて「ブログ」というものに触れ、2011年から「ブロガー」を名乗るようになりました。ブログマーケティングが全盛だった時代の、…

「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。