ラテン音楽と『彼岸過迄』
小さいころから本が好きでした。覚えているのは、地元の小学校の校庭に毎月1度だけやってくる「移動図書館」のこと。マイクロバスいっぱいに運ばれてきた本の中から、面白そうな絵本や児童文学を選ぶのが楽しかった思い出。
日本の昔話や、海外の童話など、いろいろ手当たり次第に借りては読んでました。五味太郎さんの絵本とか、好きだったなぁ。「ずっこけ三人組」シリーズもよく読んでた。
次第に小学校の図書館でも本を借りるようになり、名探偵ホームズシリーズがとても面白くて図書館にあるだけ全部読み終わったあと、ルパンシリーズ(アニメの方じゃなくオリジナルのフランス小説の方)も読み始めたり。江戸川乱歩さんの作品も好きで読んでた。海外のSF小説なんかも大好きでした。
中学生になって、ちょっと変わった国語の先生に巡り合って、その後の人生が大きく変わりました。その先生、ちっとも教科書を使わないんです。授業中にラブレターを書かされたり、音楽を聴きながら作詞をしたり、あるいはお世話になった人たちに手紙を書いたりなど。それまで、作文や日記って、全然面白くない学校の課題っていうイメージだったのが、その先生に出会ってからは言葉や文章で思いを伝えるってのが楽しくなって。それ以来、読むのも書くのもどちらもとても好きになりました。
今でも覚えているのは、その先生がわら半紙に印刷して持ってきた星新一さんのショートショート。極限まで短い文章の中に物語が詰まっている。そこからショートショートやSF小説などにどんどんハマっていって、筒井康隆さんや阿刀田高さん、小松左京さんなどの本を片っ端から読むようになりました。
高校に入ってからも読書の量が加速していきます。通学中に電車の中で読んだり、昼休みもほとんど図書館。学校は嫌いではなかったですが、なんとなく大学受験中心の進学校の雰囲気になじめず。今でも覚えているのは、担任の先生がホームルームで、「本を読む時間があるなら、受験勉強を頑張りなさい。本は、後でも読めるんだから」と言ったこと。
それは、クラス全員に向けて発せられた言葉でしたが、暗に僕宛てのメッセージだったかもしれません。その教室の中で、僕と、もう一人の生徒だけが、やけにいつも図書館から大量の本を借りて読みふけっていたので。読書記録でもある図書カードは、あまりにたくさんの本を借りるためにすぐに書く欄が足りなくなってしまい、付け足し付け足しでカードをテープで貼り足していったら、いつの間にかとんでもなく分厚く膨れ上がってました。僕と、そのもう一人の生徒が、その図書カードの分厚さを競ってました。
なので、「本を読むな」と言われたのは本当にショックでした。受験が終わってからでも読めると言ってましたが、今しか読めない本ってあると思うのです。今、読んでおくべき本。今だからこそ、感じ取ることができることなど。
僕は、人生において大事なことは全部本から学んできました。生きるということ、人を愛するということ。わくわくするような冒険小説とか、知的好奇心を満足させる本や、まだ行ったことのない海外のお話や、想像力を広げる宇宙の世界など。大学受験のために読書をやめるくらいなら、むしろ大学受験の方がいらないとさえ思いました。読書を犠牲にした人だけが集まる大学って、なんだかとてもつまらない場所に思えたのです。
というわけで、国公立大学の模擬試験で校内トップの成績をとったあと、日本の大学を受験することはすっぱりとやめて、アメリカに留学することを決めました。先生からは最初反対されましたが、最後は受け入れてくれました。
アメリカに留学している間も、相変わらず読書は好きでした。むしろ、英語漬けの生活をしている中で、時々無性に日本語の本が読みたくなり。手元にある本は全部読み切ってしまっていたので、なにやら活字中毒の禁断症状みたいな感じでなんでもよいからまだ読んだことがない日本語の本が読みたくなり、図書館に行って「日本語だから」という理由だけで自分の専攻に全く関係ないような日本の学術論文のような資料を読み漁ったりもしました。
夏休みに、日本に一時帰国をしたときは、とりあえず古本屋で片っ端から安い文庫本を買いあさって、段ボール箱いっぱいに詰めてアメリカに持ち込みました。それもまぁ、わりとあっという間に読み切ってしまうのですが。
椎名誠さん、畑正憲さん、赤川次郎さんなどの割と軽めな本を前菜として読書のテンションを上げつつ、メインディッシュに重厚な大江健三郎さんの本を読むなど。宮本輝さんや村上春樹さんの本もよく読んでました。
大学を卒業し、アメリカ西海岸で「職探しの旅」という名のホームレス暮らしを1か月ほどした後、ロサンゼルスの宝石デザイン会社でフォトグラファーとして雇ってもらい、ようやく新社会人としての生活がスタートした頃。リトル東京にある古本屋さんで夏目漱石先生のやたら古い文庫本を見つけ、その茶色く変色した旧仮名遣いの本を週末によく読んでいたことを思い出します。陽気なラテン音楽が響くコインランドリーで、洗濯が終わるまでの間、店内で『彼岸過迄』を読んでいたことを。
「高等遊民」という言葉の響きが気に入って、自分が一番最初にゲットしたフリーメールのアドレスをそれにしました。本来の意味である「家賃収入のある早期退職者」みたいなのではなく、なんとなく「遊びを知ってる大人」みたいな意味合いで、本気で遊びを楽しむ人に憧れがあったから。その当時の僕は、ホームレスあがりの社会人ヒエラルキーの底辺のさらに下みたいなところにいたので、そういう生き方にものすごく憧れていのです。今でも、本気で遊ぶということについては、こだわっています。
「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。