高等遊民が羨ましかった
ロサンゼルスの、陽気なラテン音楽が流れる週末のコインランドリーで、僕はよくこの本を読んでいた。夏目漱石先生の『彼岸過迄』。リトル東京のはずれにある古本屋さんでこの日焼けして茶色く変色した本を見つけ、1ドルで買ったもの。奥付には「定價百四拾圓」と書かれている。
大学を卒業して、僕はホームレスになった。仕事が見つからないまま、車で西海岸を移動しながら職探しの旅を続けていた。その状況は、「お前はこの社会に必要のない人間なのだ」と言われているようで辛かった。しかしもっと辛かったのは、ロサンゼルスのダウンタウンにある宝石デザイン会社で仕事をするようになってから。フォトグラファーという肩書きで、毎日高価なネックレスやイヤリング、指輪などの写真を撮るのが僕の仕事だったのだが、扱う商品の価値に比べて、僕の給料はとても低かった。最悪なのは、その状況でも僕はとてもハッピーだったということだ。社会の底辺のような扱いを受けつつ、僕はその生活を気に入っていた。
ようやく社会人として第一歩を踏み出すことができたことが嬉しかった。そりゃ、ホームレスだった時に比べたら仕事があるだけでもありがたいことだったし、学生時代にはお金を払って学んでいたことが社会人になったらお金をもらいながら新しい知識とスキルを手に入れることができる。それは夢のようだった。
しかし、フルタイムで働いで給料をもらっているのにも関わらず手持ちの金が増えることはなく、仕事を初めて4か月後に銀行の残高は底を付き、書いたチェック(小切手)が残高不足で払えないという通知が来た。ホームレスだった頃がどん底だと思っていたら、さらにもっと下があった。どんどん、落ちていく。
ある日、車でダウンタウンに向かっている時に、すぐ後ろの車が交通事故に巻き込まれるのを目撃した。交差点で、信号無視をした車が突っ込んできたのだ。その事故現場をバックミラー越しに見て、僕は不思議なくらい何も感情が湧かなかった。一瞬タイミングがずれていたら、クラッシュしていたのは僕の車だったかもしれないのに。
なんて惜しいことをした、と思った。事故にあって、僕の身体が車ごと押しつぶされたらよかったのに。なぜあれが自分じゃなかったのかと、残念だった。
「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。