先週末の北海道は、各地平地で雪が降った。
その日は絵本の読み聞かせ映像の音撮りで…札幌ではJRが止まったり、朝からバタバタ。
この映像は海外におくるため、ここしばらくは日本の文化根底にながれるものを読んだり、認識を改めていた。
今日の投稿は宇野正人さんの著書『祭りと日本人』の備忘録として、これを残したい。
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この文をみて…パートナーの近くにいたくて、愛知から旭川へ越して行ったことを思い出した。
“言葉”をたいせつにしてきた、日本人らしいと言っていいかもしれない。
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日本人の信仰には「教典」がない。らしい
戦前は『古事記』や「日本書紀』が教典だという説もあったが、あくまでも神話。仏教の経典やキリスト教の聖書のように、教えが説かれているわけではないという解釈。
またまた、パートナーのことを思い出される。
そして僕らが脈々と受け継いできた、その背景に気づかされる。
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『Flower of Love』では七夕物語の“はじまる前の物語”と“新七夕物語”を描いていく。
そのベースとなるのが“夢祭り”“夢道”だ
時代のうねりや気まぐれで、はなれてしまったそれぞれが、引き合うさまを感じる。
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“おもてなし”の原点は、ここにあったんだね。
その本当の意味を知らなくても、当たり前に私たちの生活に息づいているものがある。
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すごいね、日本人。
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日本古来の「棚機女」の信仰と、中国の牽牛星と織女星の伝説をもとにした行事が合わさったのが、七夕のお祭り。日本には珍しい⁉︎星に関する行事。
これが「たなばた」の語源。
また“七夕感”が変わっていくかもしれないね
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「花見」という言葉は『万葉集』の時代から使われていたようで、桜の開花は種まきの目安だった。
もともと日本人には花を観賞する文化はなく、中国から伝わったものだった。
やっぱりお酒は欠くことができないよね
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“八百万”といわれるけれど、そのはじまりは日々の営みでわかれていった、ひとりのたくさんの個性なんだね。
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「道祖神」の古い呼び名は「サエノカミ」「サイノカミ」で「塞の神」と書く。本来は、あの世とこの世の境を塞ぐ神、悪霊の侵入を防いで村を守護する神。だから村の境や出に祀られているようだ。
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あたらしい発見もあったが…私たちが思っているより、“MATSURI”はもっと身近なものかもしれない。
流るる当たり前が“MATSURI”と知ったとき、また新しい扉がひらくんだね。