宗教2世と医者の子どもは似ている
新興宗教2世の方の半生を綴った手記がとても良かったので紹介します。
何ヶ所も印象に残ったので引用しながら感想を付けていきます。とくに受験産業にいる私から見て既視感のある話題がいくつもありましたので、それを中心に拾っていきたいと思います。
まずは16歳~18歳の頃、最も信仰に熱かった時期のお話。
この教団はなぜか二世の子供たちに東大などの難関大学受験をさせていたそうです。合格することだけが目的であり、それを蹴って教団に就職するのがルートだったと言います。筆者は家系的に勉強が大変得意であり、その一方で精神的に(肉体的にも)脆弱な遺伝的体質を持っているようです。いわば、宗教を必要とする条件を備え、かつ宗教に没入しやすい気質を備えていたとも言えましょうか。(家族それぞれの顛末も本文には記載されています。)
このくだりを教育者として読むと、受験勉強みたいなものは視野狭窄の人間の方が強いという法則を思い出します。予備校や進学校も似たような思想誘導によって受験の成果を上げようとしている面があります。これは苦々しい話であり、受験システムの問題点だと思っています。
さて、次。
この箇所も教育者の視点から思うところがありました。世の中には進路を親に決定されてしまう子どもたちがいます(医学部受験など)。その絶望感から精神疾患になる子や激しく反抗する子もいますが、多くは運命を受け入れ、淡々と受験をこなしているように見えます。その様子はまさにここで書かれているように、「絶望するでも不貞腐れるでもなく」、「自分の手札の中で出来ることを着実に成し遂げて」いるといった趣きです。そういう生徒を見ると私は複雑な気持ちになります。そして、もしその子が運命に抗おうという意志を示したならば、そのときは全力で応援するつもりで接しています。
次は、19歳にしてついに教祖が嘘つきだと判断を下し、信仰を捨てることを決めた頃の気分について。
この興奮状態というのもよく分かります。私も似たような経験をしたことがありました。教祖なりカリスマ的指導者なりがいて、人々はその人を賞賛し、私財を投げ打って忠誠を誓っている中で、自分だけがその正体を見破ったという興奮。これは滅多にない体験です。(もちろんそんな体験はしないに越したことはありません。おかしな集団には始めから近づかなければいいのです。)
後半は教団から離れて実世界で生きていこうとするも上手く行かないという話になります。この方は普通の世間の人達から見るとよほど変人に見えるらしく、あからさまに差別されていたそうです。(書いてはありませんが有り得そうなのは自閉症傾向でしょうか。)
熱心な信者である親とは当然反りが合わないわけですから、親を当てにしないで自立する必要があります。しかし、日本の諸制度はその障害になっていると筆者は指摘します。
これも全くその通りで、私も以前調べたことがあります。前述のような進路を決定されてしまう子どもにアドバイスする必要があったからです。こうして見てくると、宗教二世の悲劇と医者の家系の子供の悲劇は構造的によく似ていることが分かります。俗世での成功を志向するか否かという違いはありますが、子どもの人権を無視して進路を強制している点はそっくりです。宗教二世問題が社会的に取り沙汰されるようになった昨今、医者の家庭教育の問題にも社会はもっと注目すべきではないでしょうか。
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