創業時のトップダウン経営による急成長の裏側
こんにちは!今回から記事の画像を可愛らしいひよこにしてみました。
私(藤間秋男)のイメージがひよこに近いらしいです。
社員から似てると言われたんですが、似てますか?フォルム?
(ダイエット頑張ってますけどね)
さて、今回は私の著書『社員を喜ばせる経営』(現代書林)より、
今いる社員が辞めずに育つ、人材育成の成功法則をお届けいたします。
事務所を立ち上げて10年経った私の経験談です。
書籍から引用しつつ、当時を振り返りながらお話します。
トップダウン経営の急成長には挫折が待っている。
結局、その青年会議所をやっていたおかげで、社員に任せないと駄目な状況が数多くあったんですよね。
私が年中いたらやっぱり社員は伸びなかったと思うんです。
青年会議所って大体土日にあったり、時々平日にもあったりしたので、仕事は青年会議所の合間に、例えば朝早く行き、夜遅く帰ってきてから書類のチェック、または指示をやっていました。社員はある意味では、任された状況にあったというのもあるんでしょうね。
ここでの活動は私にとって、のちの挫折後の「社員を喜ばせる経営」の実践に大いに役に立ちました。
青年会議所では、理念の唱和(綱領唱和といいます)があったり、議事録をちゃんと作ったり、それから実際に立てた目標をどのように追い込むかというような事を学びました。
そういう意味で私は、30名とか40名の全国から来た青年会議所のリーダーをですね、給料も払うことなくコントロールできたっていうのは、そういう能力があったんでしょうね。(ちょっと自慢です)
そういう自信もあり、自分なりに結構できていたと思います。ただ社員と青年会議所が違うのは、給料で叩いていませんから、ある意味では任せるっていう形だったんだけど、仕事の方はやっぱり給料払ってるっていう・・・本当に変な発想ですね。怒鳴りまくってた経営をしてたかな、という風に思います。
30歳で入って40歳で卒業なんですが、青年会議所活動と仕事がうまく噛み合って、社員にとっても年中いないような社長からの、「色々な事を信じて任されてる」っていう自負があったんでしょうね。
そういう意味ではやっぱり社員を信じて任せられていなかったということ、それなのに青年会議所をやりながらだから年中おらず、社員は伸び伸びと色々と仕事がやれたという、そういう環境があって、40歳で40名まで来たのかなというふうに思います。
なのに、当時の私はそれを勘違いしましてね…
40歳になったら青年会議所を卒業するので、もっと伸びるだろうなと思っていたわけです。ところがそれが実は伸びなかったわけですね。私が年中職場にいて、社員に1から10まで全部指揮命令をしていたせいで、社員のやる気がなくなったり、言わされ感・やらされ感いっぱいのTOMAだったんだろうな、と思います。
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