トマさん劇場#38「鶴橋陸上 男子(およそ)300m決勝」/#たいらとショートショート
「トイレに行きたい。あぁどうする、俺」
会社員の森田隆司は、焦っていた。
電車のトイレのドアが、壊れていたからだ。
近鉄大阪線を、終点の大阪上本町駅に向けて走る、快速急行電車。
この電車は、奈良県の五位堂駅を出ると、終点の一つ手前、鶴橋駅まで、20分間止まらない。
今時の深夜アニメ一本よりは短いが、それでもまあまあ長い。
彼は、五位堂駅に到着する辺りで、既に尿意を感じ始めていた。
しかし、車内が混んでおり、降りることができなかった。
しかし彼は、10両編成のうちの9号車に、トイレがあることを知る。
そして、1号車から9号車までを歩き抜き、トイレの前まで来たものの、トイレのドアが開かない。
この車両は半世紀前に作られており、万全の整備体制を持ってしてもカバーしきれない経年劣化の影響で、ドアが開かなくなっていたのだ。
現実を知った彼は最後の手段に出る。
尿意を刺激しないように、そろりそろりとドアの方へ移動し、鶴橋駅でドアが開いたら刺激の少ないかにさん歩きでダッシュし、トイレにたどり着く、という流れ。
耐えること約18分。
「ご乗車ありがとうございました。鶴橋、鶴橋です。大阪難波・尼崎・神戸三宮方面と、JR環状線はお乗りかえです。大阪難波・尼崎・神戸三宮方面は、3番のりばの電車にお乗りかえください」
「お忘れ物のないよう、ご注意下さい」
「右側の扉が開きます、ご注意下さい」
「近鉄をご利用頂き、ありがとうございました」
そろそろ着く。
彼の周りからは、陸上選手同様のオーラが放たれていた。
ドアが開いた時がスタートの合図だ。
ドアが開いた。
号砲…もとい、ドアの開く音がする。
彼は勢いよく、かにさん歩きでスタートする。
「鶴橋陸上 男子(およそ)300m決勝」の開幕だ。
「鶴橋、鶴橋です。JR環状線はお乗りかえです。近鉄電車をご利用頂き、ありがとうございました」
実況…もとい、案内放送が鳴り響く中を、下の階のトイレに続く階段向けて猛加速。
そして下の階。
「トイレ」の看板が見えた!
小便器に向け、入り組んだ入口を抜けラストスパートを決める。
「ふぅ~」
ぎりぎり間に合った。
(了)(911文字)
この作品はフィクションです。
実在の人物・地名・団体等には一切関係ありません。
駅構内でのかにさん歩きは危険ですから、真似をしないようにお願いします。
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