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配信者に向かない配信者

 配信で遊び始めて5年くらいになる。
 元々配信、というものに興味を持ち始めたのは十ウン年前の話なのだが、当時は今のような手軽に楽しめるツールなどなく、特殊な訓練をしたものが、特殊な知識をもって、特殊な方法でできるような敷居の高さがあり、平々凡々なフリーターだった若かりし頃の僕は、憧れこそあれど、容易く手をだすことなど夢の夢だった。
 20歳のころに上京し、今から考えるとだいぶ温(ぬる)く緩(ゆる)く夢を追いかけていた頃。怪しい芸能事務所にスカウトされ、流されるまま知り合った事務所(笑)の先輩の誘い(半ば命令)で、同期の男の子と三人で今でいうウェブラジオをやろうという話になった。…といっても前述のとおり、「ツイキャス」や「ニコ生」というようなツールもない時代。一体どうやって発信すればいいのやらと模索していたところ、先輩がとあるサイトをみつけてきた。
スマホのスの字も無い時代、パソコンをつかってFM放送局のような枠を借り、そこにあらかじめ録音しておいたデータを公開するというもの。
 ストリーミング再生に近い感じだが、実際はもっとおぽんちな仕組みで、現在のような高い音質で配信されるようなものではなかったが、それでも芸能っぽい事に一喜一憂する若(バカ)者3人は夢中になって食いつき、このサイトを利用して配信を行うことと決めた。
 が、しかし。
 意気揚々と先輩が中心となって指揮をとりはじめたものの、ラジオとは何をしなくてはいけないのか全く理解をしていなかった。当然、あとの二人も上に同じ。録音ボタンをおもむろに押し、話す内容もないまま時間だけが過ぎていく。とりあえず始めた自己紹介も順調に滑りだし、収集のつけかたもわからないまま最終的には先輩の話が暴走して規定時間を終了するという無残な形が残った。停止ボタンを押した先輩のドヤ顔がわすれられないが、その後自分たちの配信(笑)を聞いた後のなんとも言えない空気もいまだに忘れられない。暴走した先輩は、ひどく満足気だったが。
 あれから数年たち、今配信をたまの趣味としてのらりくらりとやるようになった。あれからクオリティがあがっているとは信じたいが、あれ以来疎遠になってしまった怪しい芸能事務所の先輩は元気だろうか、と時折思い出す。配信という記憶に紐づいた忌まわしい黒歴史と共に。
 インターネットというのは恐ろしい。
 おそらく当時のサービスはもう終了し、名も残っていないだろうが、あの時先輩が残したマスターベーションと、それにひきつつ露骨にかみ合わない相槌を打っていた僕らの音声は今でも広大なネットの海を、漂流しているのであろうか。

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